Sunday, December 28, 2008

博多雑煮

Zoni 日本各地にそれぞれのお雑煮があるように、博多には「博多雑煮」と呼ばれるものがある。博多ッ子は「これを食うたら、他のは食えん!」と、自慢する(まあ、みなさん故郷の雑煮が一番美味しいと思っているわけですが)。ただ、作るのに手間暇がかかるのは確かである。生前、母が「アゴだし」というトビウオを主体にしたつゆを準備し、様々な具材をひとつひとつ別個に下ごしらえをしていた光景は、押し詰まった年末の年中行事として今でも記憶に残っている。魚は出世魚のブリ、青菜は「勝負に勝つ」という縁起を担いだカツオ菜と、いずれも商人の街だった博多のなごりなのだろうか。どちらもクセが強い具だが、アゴだしの強さとマッチしてたしかに旨い。特にカツオ菜の独特の香りとザクっとした食感は一種エキゾチックですらある。ほうれん草や三つ葉ではダメなのである。ところで、ここ2,3年来ウチでは正月前にお雑煮を食べる変な習慣がついてしまった。今年もおととい食ってしまった。駅前にある「翁堂」のつきたて餅がおいしくて、実は正月まで待てないのだ。正月は退屈で苦手なのだが、「博多雑煮」は早く食べたいのだから仕方がない。作る前に奥さんが「砂糖も入れる?」、と聞いたのであきれたしまった。たしかに甘味好きな九州人だが、それはないだろう。よく聞くと、「里芋入れる?」の聞き間違いだった。

Friday, December 26, 2008

オリジナル・サヴァンナ・バンドの「サンシャワー」

Rimg0317 少し前、友人の結婚披露宴の2次会でDJをやった時にウケた曲が一曲あった。オリジナル・サヴァンナ・バンドの「サンシャワー」である。いろんなコンピに収録されたりカヴァーやサンプリング・ネタだったりするこの曲は、甘酸っぱいムードと子供達のコーラスが雨音のSEとあいまって、実にラブリーなのである。アルバムが発売された1976年当時、僕はバンドをやっていて、確か今野雄二さんからの口コミで知ったはずだ。アメリカの土臭い音に少々疲れ始めた頃に聞こえてきた、なんとも垢抜けたサウンドだった。ラテンと言っても、当時はやっていたサルサとは違ったビッグ・バンド・スタイルで、レイジーなリズム、小粋なブラスやストリングスをバックに唄うコリーデイがすこぶる魅力的だった。その後も、リーダーのオーガスト・ダーネルがプロデュースしたZEレーベルのヘンテコなレコードを、トーキング・ヘッズやB52'sなどと一緒に聞いて、まだ見ぬニューヨークのイメージを勝手に増幅させていたものだ。当時は多分ニューウェーブの文脈で聞いていたはずだが、改めて再発された紙ジャケ仕様のCDを聞くと、ミュージカル映画からの影響がうかがえる。もうじき、嫌いな正月がやってくる。そうだ、今回は今まで苦手だったミュージカル映画をたっぷりレンタルして大レイジーな寝正月を決めこんでみようか。
*正式名ドクター・バザーズ・オリジナル・サヴァンナ・バンドのCDは、ただ今organにて販売中。店頭にて試聴できます。 ¥2520

Wednesday, December 24, 2008

Tさんの子育て

Tさんの子供-1 総勢10+3名で、一泊温泉忘年会へ行ってきた。+3はTさんの子供達。「うるさいですよ」と、Tさんに釘を刺されていたので覚悟をしていたのだが、取り越し苦労だった。もちろんそれなりに腕白なところもあるのだが、最後には父親の一言をちゃんと聞き分けることが出来るのだ。以前、一緒に飲んでいたとき、Tさんは今の学校教育に対する問題点みたいなことをぶっていたことがあったが、なるほど有言実行しているのだ、と少し納得させられた。育児への父親の参加という事を意識したのは、多分ジョン・レノンのいわゆる「主夫宣言」が最初だったような気がする。その時は「肝心の音楽をほったらかしで、大丈夫なんだろうか?」、などと思ったものだけれど、萎縮させず伸び伸びと、しかも社会性を認識させながら成長を見守るためには、父親の力が不可欠なのだろう。朝方洗面所で顔を洗っていると、いきなり小学1年生の長男から「カンチョー」をお見舞いされた。もちろん、僕もすかさず小さなお尻めがけてお返しを食らわしてやった。ニコニコとイタズラ坊主の顔だった。

Saturday, December 20, 2008

次がんばらしてもらいます。

Rimg0225 grafの服部さんから自選CDコンピ第2弾が届いた。春にENOUGHのイヴェントをやった際のBGM用にお互いにコンピを交換した。とても面白かったので、「四季折々にやりましょう」などと約束したのだが、そうは問屋が卸さない。僕は暇なので、夏に一枚送ったのだけれど彼からは来なかった。で、あきらめかけた頃に届けられてきたのだから、なおさら嬉しい。それも2枚組、プラケースにはラブリーな手描きのイラスト付きである。中身はジルベルト・ジルの渋い口笛サウダージから始まり、いつものように知らない曲がほとんどで、少しだけ知っているのが混じっている。たとえばPsappや、ジム・オルーク、ホセ・ゴンザレス、,ニーナ・シモン、ヴァシティ・バニヤンなど。前回は曲のクレジットがなく、どうしても知りたいのでその旨お願いしたところ、しばらくして丁寧にアルバムのジャケ写付きをプリントアウトして別送していただいた。今回はあらかじめリストが同封されていたのでアルバム名、アーティスト名、曲名は表記されているんだけれど、どう考えても順不同のようである。こうなったら各曲を秒数で識別するしかない。まあ、いただいた手料理に一手間かけるようなもので、まるでパズルを解くように楽しかった。前半のミニマル、エレクトロニカ系もサイコーだったけど、後半に入っているHIMやスペイン(?)の女性ボーカルものにはやられました。早速Googleしてみます。で、次がんばらしてもらいます。

Thursday, December 18, 2008

ハウシュカの新作CD

Rimg0212-1 ハウシュカの新作CD「ファーンドルフ」をようやく手に入れた。3枚目までは輸入盤でオーダーしていたのだが、インポーターからのリリース案内が何故だか4ヶ月ほど前からパッタリ来なくなってしまった。その後、国内盤が出ていることを知り、ディストリビューターへ何回かオーダーしたのだがいつも品切れ状態。万事休して、とうとうタワーレコードで買ったのである。以前も触れたのだけれど、気に入ったCDを店で販売することは案外むずかしい。特に、あまり売れそうにない、従って生産枚数も少ないこの手のCDは初回出荷で全国の大型店などに置かれたまま、追加オーダーされることもなく廃盤になってしまうことも多いのだ。でも、そんな愚痴を吹き飛ばすほど、この新作は良かった。前作のプリペアード・ピアノによる実験性から、チェロやヴァイオリンなどを加えた叙情的な作風へとゆるやかにシフトしている。ルネ・オーブリーっぽくもあるけど、どちらかというとペンギン・カフェ・オーケストラに近い。多分1980年代の末頃だったか、福岡の小さなホールで行われた彼らの初来日コンサートの記憶は、今でも鮮明に残っている。ペンギンの縫いぐるみを着た人や、パンク風英国紳士のMCおじさん、そして妖艶なダンサーなどとコラボレートしたその時の静かだけれど圧倒的なパフォーマンスを越えるものには、多分一生出会えないと思っている。楽屋でリーダーのサイモン・ジェフズにインタビューした時のおっとりした語り口も忘れられない。そのサイモンが亡くなったのは1997年、それからもう11年経ったことになる。彼がやろうとした事を引き継ぐ音楽家に出会うのはとても嬉しいことだ。

穴の開いた凧

Rimg0269-1 つい最近、太宰府の九州国立博物館で日中韓3ヵ国の首脳会談が行われた。新聞では、”世界不況を連携して乗り越えよう”、といった声明以外にさしたる成果もなかったように報じられていたが、お互いに「近くて遠い国」なだけに、「日帰り会談」とはいいアイデアだ。場所も意味深だ。日本が中国や朝鮮の文化を輸入、吸収してきた証のような博物館で行われたのだから。なんでこんな話をするかというと、たまに顔を出してくれる若き物知りさんから面白そうな展覧会の話を聞いたからだ。なんでも、鈴木召平さんという方が作った「朝鮮凧」と呼ばれる真ん中に丸い穴が開いた凧の展覧会だという。先日、早速工藝店「FOUCAULT」で始まった「新羅凧展」へ行ってみた。60x40cm位に竹籤を組み、和紙を貼ったものなのだが、絵柄が「民芸+グラフィック・デザイン」という感じで、とにかく素晴らしい。よく見ると、色絵柄は和紙を切り抜いて貼ったもののようで、下の方にハングルの印が押してある。購入も出来ると聞き、さんざん迷って一枚いただいた。以前買った長崎の凧(ハタ)と一緒に、お正月にでも飾ってみようかと思ったからだ。そうそう、お正月3日には平和台の鴻臚館跡で鈴木さんとの凧揚げ会もあるのだ。柳宗悦もそうだけど、たとえ国同士の仲が悪い時期にあっても、文化を通して交流してきた人たちがいる。工芸や芸術というものは「国家」なんてものに開いた穴みたいなものかもしれない。おかげで、少しは風通しが良くなり相手を認めるきっかけにもなっているようだ。

Tuesday, December 16, 2008

自立するトートバッグ

Rimg0229 L.L.Beanのトートバッグを手に入れた。海外に買い付けに行っても、ブックストアやスーパー・マーケットをはじめ、フリー・マーケットの使い古しでも気に入ったらついつい買ってしまうほどのトート好きなのに、今までなぜだか手に入れる機会がなかった。考えてみると、今風にアップ・トゥー・デートされたトートを見て「これ、欲しい」と思ったのは、おおむねL.L.Beanの亜流だったはずなのに、本家本元のことをすっかり忘れていたようだ。多分、もう廃盤になったものだと勝手に勘違いしていたのかもしれない。若者向けの古着屋で見つけたのだけれど、L.L.Beanのタグがなければ見過ごしたかもしれないほど、あっけらかんと「普通」だった。だから売れ残っていたのか?ありきたりの言い方だが、「何も足さない、何も引かない」デザインとはこのことだろう。ENOUGHの野見山さんと一緒にオリジナルのトートを作ろうか、などと話しているのだけれど、こいつを見てしまうとやる気がなくなってしまう。トートはこれさえあれば、他にいらないのじゃないか、と思わせるほどに完成されている。今どきUSAメイドなのに値段もリーズナブル、おまけにキャンバス生地のハードさが並ではない。何も入れなくても自立するから、買い物途中で床においてもフニャっとならずシャキッと立っている。こりゃ確かに水を入れても漏れないはずだ。それにしても、この堅牢なバッグがヨレヨレ、すり切れ、いい感じのパティーナが出るまでにはこれから一体何年かかるのだろうか。

Monday, December 15, 2008

YABUさんの絵は家具との相性がとてもいい

Rimg0211 おとといはYABUさんの個展だった。会場の九州日仏学館に着いたのは8時半過ぎで、ちょうどライブ・ペインテイングが終わろうとする頃だった。途中で焼鳥屋に立ち寄ったのがいけなかった。駅のホームで電車を待っているとき、どこからか香ばしい焼き鳥の匂いがして、俄然その気になっていたところに、今はなき「焼き鳥権兵衛」の姉妹店を見つけたのだから仕方がない。ついフラフラと暖簾をくぐったのだが、思った通り、鳥皮が旨かった。おかげで遅刻してしまったのだけれど、肝心の絵のほうは、ゆったりとした空間にズラーリと並んでなかなか見応えがあった。今までの集大成とも思える作品に加え、新しい作風も感じられた。特に、モネの「睡蓮」をYABU風にしたような雰囲気の絵はよかった。なんでも、自分の家の裏に見える池を描いたらしい。でも、僕が一番惹かれたのはエドワード・ホッパーの『線路脇の家』のカヴァーだとYABUさんが認めた一枚だった。青い画面に白いグラフィティっぽい線が引かれていて、オリジナルとはかなり違っている。僕は勝手に「ペリアンの家具に似合いそうだな」などと思った。そういえば前から思っていたのだが、YABUさんの絵は家具との相性がとてもいい。ポスターを飾るのもいいけど、やはりオリジナルのタブローにはかなわない。それも、あまりトンガリ過ぎず、かといって平凡でもない作品が壁に掛かっているのは悪くないものだ。19日からは眼鏡屋「4AD」で年末恒例の「YABU DRAWING CALENDER」のエキシビジョンも始まる。一点もので手描きのカレンダーがお手頃価格で手にはいるとあって、こちらも見逃せない。

Friday, December 12, 2008

種子島の紫芋

Rimg0212 今日、「デザインの現場」という雑誌の取材を受けた。来年1月号が九州のデザイナー特集ということで、ENOUGHの活動に興味を持っていただいたらしい。改装したマンション602で話をする中で、この後、鹿児島取材があるとうかがった。そういえば、最近、鹿児島の話題が多い。先日、街中でプレイマウンテンの中原さんにばったりお会いした。鹿児島から仕事で福岡に来て、一段落した後、丁度organに行こうと思っていたところだったらしく、嬉しい偶然とはこの事である。「gi」や「マルチェロ」などを案内させてもらいながら、今開催中の”ASH"というイヴェントの事など、いろいろと興味深い話を聞くことが出来た。この夏訪れた鹿児島の印象が強く残っているだけに、福岡も「リトル東京」などと呼ばれないよう、もっとローカルに根ざした活動を目指したいものだと思う。話変わって、ウチの近所にイートインも出来る美味しいデリがある。近在のナチュラルな食材を使った総菜は、さながら大橋の小さなWhole Foodsと言ったところか。いつもはランチ時に利用するのだが、今夜は奥さんと晩ご飯を食べた。食事を終わり出ようとすると、カウンターの端にある小さなケースに保温された薩摩芋があった。「種子島の紫芋」とある。以前どこかで食べて美味しかった記憶があるし、そうそう鹿児島のフリーペーパー「JUDD」の最新号で、中原さんも薩摩芋のことを書いていたっけ。小さめのものを買って、うちに帰りペロリと食べた。実は、今日は奥さんの誕生日なのだが、「ノミの市」の忙しさにかまけてケーキも準備していなかった。総菜のディナーと紫芋のデザートでも文句を言わない奥さんは、薩摩おごじょも顔負けなのだ。

Wednesday, December 10, 2008

T君と木馬

Rimg0208-1 T君が福岡に戻ってきて歓迎会はやったのだが、大勢だったこともあり、ろくに話も出来なかった。で、昨日T君一家3人と僕らだけでご飯を食べた。場所はまだ2才のSちゃんが騒いでもOKなようにと、ワガママを許してくれそうな「ikone」にした。3年前、一緒に南阿蘇の地獄温泉に行った時は、Sちゃんはお母さんであるM子さんのお腹の中だった。去年の春、彼らが大阪に転勤になってすぐの頃、倉敷、直島で落ち合った。そのころはまだハイハイの頃だったが倉敷民芸館の畳の上でゴロゴロ、ゴロゴロと元気いっぱい転がっていた。今では、笑顔をふりまき、片言のおしゃべりをしている。でも、大声を出したりはしなくなっている。T君と僕が酒を飲みながら話をしていると、なんだか興味深げに見つめたりする。M子さんは大阪での思わぬ病からもすっかり立ち直り、以前にも増して元気だ。来年あたりから小さな店を始めるらしい。とても楽しみである。T君が思い出したように言った。「そういえば、以前organで買ったCreative Playthingの木馬、ようやく最近揺らして遊ぶようになりましたよ」。イームズの時代にアメリカで作られた、今では子供用としては高価すぎるこのアイテム、実はSちゃんがお腹にいる時にT君が買ったものなのだ。生まれる子供の為とはいえ、なかなか気前がいい。実は、人一倍インテリアにこだわる彼がすっかり気に入ってしまい、ちゃっかり子供をだしに使った、と言えなくもないのだが。3人が福岡に帰ってきてくれて、なんだか回りがハッピーになったようだ。

Monday, December 8, 2008

ノミの市

Rimg0210 久しぶりにノミの市をやることになった。多分4、5年ぶりかな。ちょっと難ありや、店頭に出せなくて眠っている商品を引っ張り出して3階のリビングルームに並べるだけでもちょっとした仕事。結局3日間かけて「これ、出そうか、いや待てよ、あの時がんばって手に入れたものだし・・・」、などと自問自答しながらの楽しい作業だった。で、気がついたのはレコードの量の多さだ。考えてみると20年くらいはレコード屋にいたわけだし、辞めてからもorganで8年間ほどはレコードを売ってたわけである。結局売り場の問題もあって止めてしまったけれど、そこそこの数が残ってるのは当たり前なのか。それにしても、倉庫から段ボール入りのレコードを階段を昇って3階まで運ぶのはかなりの重労働だ。アナログは重い。今回は一部だけにしよう。そのかわり、全てLP900円、12インチ400円と格安にして、出来れば年明けにでも全部放出することにした。ざっと見ると、アメリカ系、ニューウェーブ、フレンチ、R&B, レゲエ, JAZZ、その他ってところか。中には、それなりのレア盤もあるから勘弁してもらおう。写真の中では、ROCHESというNYの女性3人ユニットのデビュー盤、よく聴いたナー。試しに、お気に入りだったA綿2曲目”Hammond Song"に針を落としてみる。フォーキーなコーラスとロバート・フリップの天国ギターとの出会いには、やっぱりグッと来てしまった。
「organ ノミの市」 12月10日(水)より14日(日)まで。

Saturday, December 6, 2008

インティメイトなタイ・ポップス

Rimg0009-4 先日、福岡に来てくれたOさん夫妻からタイ・ポップスの自選コンピレーションCDをいただいた。実は、ひと月ほど前に郵送してもらったCDの面白さに驚いて「よければ続編をぜひ」とお願いしていたのだ。僕が知っている90年代のタイ・ポップスとは違い、ヴァラエティに富んだサウンドが満載だ。おととい、友人のT君が2年あまりの関西暮らしを終えて念願の福岡転勤で戻ってきた。音楽好きが集まる歓迎会を我が家で催した際、そのCDをBGMにした。「カッコイイ!オリジナル・ラブみたい」とか「カヒミ・カリイよりイケテル!まるで渋谷系だね」などと、みな年相応に驚きの声をあげていたものだ。僕も初めて聴いたときにはそんな印象を持ったのだが、よく聴くとAOR, R&B, SS&W, JAZZなど往年のアメリカっぽいテイストが充満しているようだ。時々、ちょっと泥臭い曲も入っている。よく練られたアレンジには斜に構えたところがなくストレート。センチな歌声には人なつっこさが溢れて、まさに良質の大衆ポップスというところだ。次回、チェンマイに行く機会があったらぜひOさんオススメのCD屋を覗いてみよう。でも、数あるCDの中から、ひとりでこんなナイスな曲をチョイスできるだろうか?アートワークはイケテないらしく、ジャケ買いは無理だろう。やはり、Oさん同伴を願うしかない。

Thursday, December 4, 2008

Gパン=構造的

Rimg0005-1 そういえば、「構造主義」を唱えたフランスの思想家レヴィ=ストロースが100才の誕生日を迎えたらしい。といっても、彼について多くのことを知っているわけではない。ずいぶん前、柄谷行人の本の中でしばしば引用され興味を持ったくらい。当時僕はインドネシアやマレーシアの音楽に惹かれてよく赤道付近を訪れていた。そんなこともあって興味を持った「悲しき熱帯」という古本を買って読もうとしたけど、なんだか読みづらくて挫折してしまった。「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」なんて言葉は強烈だったけど、要は「西欧の目線で世界を見るな」という感じなのだろう。賛成だ。それにしても、「構造主義」というコンセプトを、よくわからないくせに知ったかぶりをして友人との会話でもずいぶん多用してヒンシュクをかってしまったっけ。ところで、今回知ったのだが、彼の名前レヴィ=ストロースはリーヴァイ・ストラウスとかなり紛らわしい。カリフォルニアのレストランで名前を告げると「pants or books?(ズボン、それとも本?)」と尋ねられたという逸話を本人が語っている(Wikipediaより)。で、実際彼はGパンの創始者とは遠縁に当たるという説もあるらしい。もし本当なら、前回の「Gパン=構造的」説もまんざらではないということになる?