Friday, November 19, 2010

"MOBI BOOM"

Img 2566 パリでは、たまたま開催されていたFIACというアートフェアに行くことが出来た。マイアミやバーゼルと並ぶイヴェントで、世界中からギャラリーが出展している。そこでは著名なアーティストの作品が展示、即売されていた。僕の興味の範疇では、ハンス・アルプのコラージュや彫刻、コルビュジェのタブロー、チリーダのスケッチなんかが気になったところ。そうそうドナルド・ジャッドの作品も複数のブースで見かけた。値段は表記してないので、そのつど聞かなければならない。チリーダは小品だったので「もしや?」と思って聞いてみたが、やはり桁が違っていた。場所はグラン・パレ。1900年万博のメイン会場として建築されたもので、ガラスと鉄骨でアールデコ様式の壮麗なメインホールが会場となっている。各々のブースには商談用の椅子とテーブルが準備されているのだが、自分のギャラリーのセンス自慢とでもいうのか、まるで名作椅子のオンパレードだった。やはり、というかプルーヴェ率が一番高く、続いてイームズ、サーリネン、ヤコブセン、アールト、タピオヴァラ、そして柳宗理のエレファント・スツールも。フランスのものは、ピエール・ジャンヌレとピエール・ガーリッシュくらいだったか。近くでは、オークションもやっていて、ジャン・プルーヴェの「アンソニー」が目立つ場所に展示されていた。それに、ブランクーシもあった、やっぱり。
 装飾美術館では "MOBI BOOM" と題して、1945-1975年フランスの、いわゆるミッド・センチュリー・モダン展をやっていた。なにしろ、その時代のフレンチ・デザインは一般的にほとんど認知されていないのだから、これは嬉しかった。思えば80年代だったか、ジャック・タチの『ぼくの伯父さん』を観て、フランスの家具ってなんてヘンテコでカッコイイんだろー、と思ったのが最初。その後、パリへ行く度に、『2001年宇宙の旅』のオリヴィエ・ムルグによる近未来な椅子や、ピエール・ポーランの洒落たデスクなど、レアールの近く、ティケトンヌ通りにあった「シェ・ママン」という店で、随分夢中になって探したものだ。で、こうやって一同に集められた家具を見ると、やはり独特だ。ガーリッシュのプラスティック椅子にしても、イームズの完成されたプロダクト感とは違って、フォルムがずっと自由なのだ。アノニマスな美しさではなく、作家のデッサンをそのまま形にしてしまったような楽しさやユーモアが感じられる。だからなのか、フランスの家具は世界商品としては流通しなかった。というか、もともとそんな気もなかったのかもしれない、などと思ってしまうほど。それを物語るのが展覧会図録の表紙。アラン・リシャール、ロジェ・タロンをはじめ、コンテンツは素晴らしいのだが、これではやはり誤解されてしまいそうだな。

Thursday, November 18, 2010

アヌシーの教訓

Img 2366 リヨンからバスで2時間、黄色く色付いた谷間をぬってアヌシーへ向かった。スイス国境にほど近く、湖のほとりに別荘やオーベルジュが点在した風光明媚なところらしい。車中、「湯布院みたいなところだったりして」などといいながら、くねくね道に弱いウチの奥さんはいつものように寝る体制に入った。
 「フランスのヴェニス」などと呼ばれる旧市街を水路沿いに歩くと、目の前に、雄大なアルプスを背景にした湖の息をのむような景色が現れる。泳ぐ水鳥の脚先に、ゴミひとつない水底までがくっきりと透けて見えるほどの透明な水。「夏なら、すぐにでも飛び込むのに」とは、目を覚ました人らしい言葉。
 小型の遊覧船に乗って、1時間の湖水巡りをする気になったのには小さな目的があった。ずいぶん前に観たエリック・ロメールの映画『クレールの膝』の舞台となった湖面を、一度でいいからボートで走ってみたかったのだ。対岸に目をこらし、映画に出てきた石灰岩の山を眺めながら夢中になってi phoneで動画を撮った。名手ネストール・アルメンドロスが撮影した湖面には、いまも変わらぬ光がキラキラと輝いている。映画の中で、突然の雨を避けるためにボートを船着き場に止め、主人公がクレールの膝に不器用に手を置くシーンを思い出すと、今でもハラハラしてしまう。長年、付かず離れずだった恋人との結婚をいったんは決意しながら、10代のクレールに、それも”薄い皮膜にかろうじて包まれ、肉体の温もりが消えかけた「膝」”に恋した中年男。そんな、まことに「やるせない」映画が、いったい自分にとって”教訓話”として成り立っていたのか、はなはだ疑問だ。欲望から解き放たれることは、とてもむずかしいことだろう。

Friday, November 12, 2010

リヨンでブション

Img 2530 買付の旅では、食事は適当に済ますことがほとんどなのだが、今回は、リヨン=美食の街と聞いて、多少の下調べをした。すると、<ブション>と呼ばれる伝統的なリヨン料理を提供する店が良い、とあった。といっても大衆的な店のようで、いわゆるレストランってやつが苦手な僕でもOKそうである。
 到着した昼に、さっそくホテルの近くのブラッスリー“Le Sud”にランチを食べに行ってみた。ポール・ボキューズというヌーヴェル・キュイジーヌで有名な料理人が経営する店で、ブションではない。名前通り、南系の料理なので、クスクスとスズキのグリルを食べてみた。どちらも美味しかったが、味付けが甘めだった。しかし、スタートとしては申し分あるわけがない。その夜は疲れもあってメシ抜きでバタン。
 次の日は早朝からアンティック・フェアに出向き、フラフラの体で市内へ戻り、ランチを食べに、ガイドブックにあった近場のブション街へ。とりあえず一番それらしい構えの店に入り、虎の巻を出して品書きに見入る。壁中やたらに牛の剥製やらが飾ってあり、ここは元来肉屋だった様子。だから、多分肉を食べたのだろうが、記憶がない。つまり、そんな風。でも、バターと塩分が強かったことだけは覚えている。その後、やっぱりバタンで夜抜き(ま、ワインは飲んでたけど)。
 翌日は、蚤の市へ出向いたのでそこにあるカフェで昼の定食、シュークルート。ソーセージも名物らしいのだが、やはり塩分がきつい。酢キャベツが体に沁みたね。バイク好きが溜まる店みたいで、昼からみんな良い調子。僕も負けずにワインをピシェにていただく。夜は、調べておいた“Chez Paul"を尋ねて市庁舎付近をウロウロ。ようやくたどり着いたものの、予約で満員だった。もう一軒近くにリアル・ブションがあったはずと、疲れた足を引きずりつつ行ってみると、そこも満員御礼。予約という手間を省いた僕らが甘かった。美味しいブションの人気は予想以上のようである。そういえば、観光通りのブションにはなかった公認マークがあるじゃないの。コレ探してたんだよなー。
 続く日曜と祭日だった月曜は、どこも軒並みお休み。あきらめ切れず、最終日13時30分のTGVに乗る前、ランチに再トライ。12時開店と同時に席に着き、「タブリエ・ド・サプール(牛の内臓にパン粉を付け、衣を付けて焼き、クリームソースで食す。癖がなく旨し)」と、「クネル(魚のすり身をはんぺん状にしたものをバターソースで。これ又旨し。)」を急ぎ平らげる。もう時間切れなので、勘定をお願いすると「なんでデザートを食べないんだ!」と、丸々太ったオヤジに一喝されて、これまた手作りのプリンにリンゴソースとプラムジャムを、なんなく胃袋に治め、タクシーに飛び乗った。

Monday, November 8, 2010

リヨンの親切

Img 2253 パリからTGVで約2時間、その昔ローマ帝国がガリア地方を治めるために築いた街リヨンは、今ではフランス第2の都市。いつもパリばかりで、たまには違うフランスも探訪したかったのと、なにより大きな蚤の市が開かれていると聞き、訪れることにした。それに、YODEL次号がフランス特集ということも理由のひとつだった。そうそう、食べ物も美味しいってところも気になるところ。
予約しておいたホテルはローヌ川とソーヌ川に挟まれた中心街にあるベルクール広場の側で、すぐ裏通りは骨董屋街。昼前に到着後、さっそく探索。でもアンティック系が多く、フレンチモダンを扱う店は一軒だけ。ちょうどセルジュ・ムイユの展示会をしていて、本でしか見たことがない珍しいタイプのランプなどもあり、びっくり。聞くとヴィンテージではないらしく、正式なリプロダクトらしい。値段はIDEEのものよりかなり高め。もちろん、ヴィンテージほどではないけど...。美人のスタッフと少し話しをするうちに、お互い明日郊外で開かれるアンティック・フェアに行くことが分かり、ファイトが湧く。
 翌日、朝まだきの寒さの中、メトロとトラムを乗り継ぎ、最後は徒歩で空港裏手のエキスポ会場へたどり着くと、おじさん達が商品を並べ終わった頃だった。ウーンやっぱり骨董系が多い。そりゃそうだ、ヨーロッパだもの。でも、モダン一辺倒ではなく、古いものにももちろん面白いものがある。額縁や塑像、子供用の古いソリにスキー道具、ランプなどなど、どれも時間を経ているけど、まだまだ現役の顔をしている。そこかしこが欠けていたり、不完全だったりするところも、なんだか人間的で悪くない。結局、出口近くでシャーロット・ペリアンのダイニング椅子4脚を発見。けっこう遠くからやって来たらしいブロカンテなのだが、シッピングもやってくれるそうで、めでたく交渉成立。ほかにも欲しいものはあったのだけれど、なにしろ大きなものは買いにくい、ということでそうそうに断念。帰りの足がないのでバス停を尋ねているうち、太った赤ら顔のおじさんが「近くのトラムの駅までなら送ってやるよ」との申し出に、ありがたく便乗。こんな親切には、パリではお目に掛かったことがなく、いたく感激。ただし、車中、フランス語不案内な僕らにはおかまいなしに、ひたすらしゃべり続けるのには少し閉口したのだが。

Friday, November 5, 2010

RONSONの使い捨てライター

Img 2546 旅がいいののは、一日があっという間に終わることだ。朝早く起きて、仕事らしきことをイソイソとこなしてしまうと、もう夕ご飯の時間になっている。だから、日本にいる時よりタバコの本数は少なくなる。でも、吸わないわけではない。ホテルの部屋は禁煙なので、窓を開けて吸う。急いで吸うので余り美味しくはない。しかし吸う。そんな時、日本から持ってきたはずのライターが見つからないことがある。多分、毎回ある。したがって、ライターを買う。スーパーか、タバコ屋で。たいしたものはないが、ヨーロッパだと少し期待もする。最近日本では少なくなったビックはもちろん、クリケットなんていう愛らしいデザインのものがあったりするからだ。今回は、ちょっと珍しいライターに出会った。RONSONという名で、僕もタバコを吸い始めのころ"COMET"というモデルを使っていた覚えがあって、なんだか懐かしく、うれしくなった。三本パックで、色の組み合わせが5種類ほどあった。紫を除いて、グレイとネイビーが混ざっているヤツを2パック買った。外に出て、さっそく取り出して付けてみようとすると、点火スイッチの縁に赤いポッチがあった。ストッパーらしく、いったん内側に押し込んでからでないと点火しない仕組みになっている。使い捨てライターにしては、たいしたものだが、必然性はあるのだろうか。そういえば、リヨンの旧市街をウロウロしていた時、若い女性が火を貸してくれというから差し出しすと、案の定、点火できずに困ってしまった。恋人らしき男のアドバイスで無事着火できたので、僕が口を出す手間は省けたのだけれど。見ると、その男も指にタバコをはさんでいる。返してもらったライターを再度差し出すと、いらないと手振りして、彼女のタバコから直接火をもらうではないか。たくもう、いい光景だった。