Sunday, February 28, 2010

Chillida Leku Museum

Rimg0491 サン・セバスチャンからバスに乗り、30分くらい走った丘陵地帯の一角にバスク人彫刻家エドゥアルド・チリーダの美術館があった。日本を出る前日に、たまたま福岡に来ていた編集者の岡本さんから耳打ちされ、俄然行きたくなったのだ。彼は日本で展覧会を観たらしく、作品はもちろん、美術館自体が素晴らしいようだから是非とも!、と薦めてくれた。始発地点ではガラガラだったバスは、途中大学らしいところから乗り込んだ若者達でいつしか満員。そろそろカナー、と思っていると、隣に座っていた小母さんが「次だヨ・・・」、みたいに身振りで教えてくれた。チリーダは有名なのである。それにしても、この親切、他者には嬉しいものだ。バスを降り、小さなトンネルを抜けると、まるで牧草地のような広い敷地が広がっている。受付のある建物を出ると、なだらかな斜面に点在する彫刻が見える素晴らしいランドスケープが待っていた。その先の細い道の向こうに遠く、目指す展示館が見えている。最早この段階で、チリーダの世界に入ってゆくわけである。当初建築家志望だった彼は、1950年にパリで開いた個展で鉄の彫刻家として高い評価を受け、その後ヴェネチア・ビエンナーレを始め、世界中の美術展で数々の栄誉を得ることになる。
Rimg0428-2 そして、1983年、故郷サンセバスチャンの地にあった古い農家を見いだし、回りの土地を少しづつ買い足しながら、世界中に散逸していた作品を集めて自身の作品を展示するスペースにしたということだ。1543年に建てられ、当時は廃墟同然だったという農家は、友人の建築家と一緒にまさに理想の空間となって生まれ変わっていた。石積みの壁に太い木の骨組みが露わな室内には、超ジャストな位置に作品が配置されていて、プライベートでコージーな空気が流れている。ちょうど「バッハへのオマージュ」と題された小さな企画展が行われていて、チリーダが書いた楽譜や文章が展示されていたのだが、その細かな筆跡は巨大な鉄の彫刻と同じ形状をしているように思える。帰り際、ショップでポスターを物色するのも一苦労。どれも素晴らしく、さんざん悩んでしまった。

Museo Chillida-Leku
Bº Jáuregui, 66
20120 Hernani
電話: 943-336006 ファックス: 943-335959
http://www.museochillidaleku.com/

Thursday, February 25, 2010

福岡一のバル。

Img 0646 今回の旅が天気に恵まれないことは、事前にインターネットの天気予報で予測できていた。実際、良くて曇り、たまに雨や雪に強風という悪天候だったのだが、気まぐれに雲の切れ間から差し込む太陽も、いかにも冬のヨーロッパという風情で案外悪くなかった。
 パリからイージージェットでビアリッツの小さな空港に降り立ったのは夜9時過ぎ。冷たい小雨に煙った瀟洒な避暑地は、閑散としている。例によって、荷物を置くのももどかしくホテルを出た。歩いて10分もかからず、町の中心であるレアール(市場)へ。ところが、その周辺に点在するバルがどこもクローズしている。海の方角へしばらく歩いたが観光客向けのバーが1、2軒開けているだけ。オフシーズンなのだと思い知る。コンビニみたいなものもなく、仕方なくホテルへ戻り、そのまま寝た。その反動もあって、翌日からは思いっきり食べた。そしたら、お腹を壊してしまった。海外では初めての経験である。丸ごとソテーした魚に、ガーリックバター・ソースをたっぷりかけ過ぎたかな、それとも旅の疲れが出たのかと考えて、薬局で下痢止めを買い、一晩寝た。翌日は何となく回復したので近郊のバイヨンヌへ行き、名物の生牡蠣を恐る恐る食べたが大丈夫だった。ところが、サンセバスチャンへ移動後2日目に、今度は奥さんが具合が悪くなった。彼女は回復に一日かかってしまったが、それでも昼間はめげずにチリーダ美術館見学に同行した。まったく見上げた根性だ。
 帰国してすぐに、福岡でガレットやシードルを出す店を経営しているマティアスさんと会い、そんな話をすると、「僕だってフランスへ戻ってレストランで食事をすると、一回はかならずお腹を壊すヨ。油分が多いからね」、と言った。多分彼は日本人体質になっているのだろう。バスク料理にしても、確かに旨いが、塩分や油分、乳分などは強いほうである。一昨日、天神へ出た際に「正福」へ立ち寄り、まよわず塩鯖定食を頼んだ。塩鯖といっても塩分はひかえめで、大根おろしが嬉しい。身体が喜ぶのが分かった。願わくば、閉店が20:00ではなく、せめて23:00くらいであって欲しいもの。そうすれば、ここはまちがいなく「Goiz-Argi」もかなわない福岡一のバルなのに・・・。

Sunday, February 21, 2010

少しだけパリと仲良くなれる気がした。

Img 0084 「なぜ旅へ出るのか」という質問には、「足があるから」と答えてみよう。ほぼ終日をかけ、自分の足で街中を歩き回る商売をしているから「足こそ命」なのである。ヨーロッパは凸凹の石畳が多い。そのうえにメトロでの煩雑な乗り換え時などは、イヤになるほど階段を上り下りしなければならない。時差をかかえたままノミの市などを探索し、小さなアイテムを見つけ、ついしゃがみ込んで子細に品定めなどしようものなら、立ち上がったときにクラクラと立ちくらみなどを起こしてしまう。で、それが苦痛かと言われるとそうでもないから不思議なものだ。なにせ、いいものを見つけたい一心なのだ。しかし、さしたる成果がないときなど、自然に足取りは重くなってしまう。それでも、限られた時間の中、また一歩足を踏み出さざるを得ない。そんなとき、人に会うとリフレッシュすることが出来る。今回は、ユカリンから紹介されたパリに住む若いアーテイスト達と、マレにあるカフェでランチを食べることになった。3人のなかで生粋のフランス人はひとり、革のアーテイスト、ジャック。フィレンツェで勉強した彼は、もとスケーター。最新の作品は自転車のフレームを丸ごと革でくるんだもの。実用というよりも、アルティザンならではのオブジェみたいな作品だ。NY育ちの韓国人ジンは画家。昨日朝まで飲んでいたらしく、気だるそうにハンバーガーを食べていた。韓国で個展を開いたら、作品が全部売り切れたらしい。後で、ユカリンに作品集を見せてもらったら、CGを駆使した近未来都市型カタストロフィーといった雰囲気だった。紅一点アメリは、日本人とフランス人のハーフで目下テキスタイルを試作中。ちょっと幽玄な手描き作品をファブリックに起こし、プロダクトとして発表する予定だとか。とても個性的な顔立ちで、お洒落な人。そうそう、ジャックのアトリエで土足について話していたら、突然自分のブーツを脱いでしまうという茶目っ気の持ち主でもある。短時間ながら彼らとおしゃべりをし、カフェから出ると、さっき店を覗いたときにはいなかったAnatomikaのムッシュー・ピエールが通りかかる。すかさずジャックが僕らを紹介する。前回買い求め、丁度その時ジャケットの下に着ていたシェットランドのセーターを見せるまでもなく、僕のことを思い出してくれた。なんだか、少しだけパリと仲良くなれる気がした。
(ちなみに写真右がジャック、左がジン、真ん中の人は無口な方で失念しました、スミマセン。)

Saturday, February 20, 2010

Donostia =San Sebastian

Rimg0336-1 サン・セバスチャンへ着いたのは夜10時を過ぎた頃だった。ビアリッツからバスに乗り、右に漆黒の海岸線を見ながら、1時間半くらい走っただろうか。バスターミナルで降り、タクシーを捕まえ、予約していたホテルへチェックイン。旧市街の入り口近く、ビルの3階フロアにあるペンションである。おそらく夫婦なのだろう、笑顔でレセプションをする小母さんと、重い荷物を運んでくれる伯父さんの、傍目にも仲が良さそうな様子がありがたい(夜遅く着き、あまり愛想の良くないナイト・ポーターに出会くらいツライものはない)。さしあたって必要なものだけをトランクから取り出し、とりあえず外へ出る。目的はただひとつ、バル。福岡にも最近チラホラ出来たバルっぽい酒場へ足を運んだものの満足できず、ここは本場へ乗り込むしかない!と、いうわけである。あらかじめ、見当を付けてはいたものの、狭い路地に点在するバスク語の看板をたよりに探し当てるのは容易ではない。気温は多分零下、海風が肌を刺す。ようやくたどり着いたのは「Goiz-Argi」という評判の店。すでに店内は満員だが、旅人は躊躇しない。「これだけは覚えておかねば」、と頭にインプットしてきた地ワインの「チャコリ」をオーダーし、目に鮮やかななタパスやピンチョスが並んだカウンターににじり寄り、やみくもに幾つかを指さして所望する。それにしても、このなごやかな雰囲気は何なんだ!常連、旅人を問わず次々に小皿をつまみ、コップを空けてゆく。サクッと飲んで去る人もあれば、延々とおしゃべりを続ける人もいる。カウンター内では、店主とおぼしき貫禄の伯父さんと、笑顔で客をもてなす小母さん(こちらも、まちがいなく夫婦と見た)が、頭の高さから小さいコップめざしてたえまなくチャコリを注ぎ込んでいる。まるで日本の立ち飲みが焼鳥屋、それに江戸時代の鮨屋と合体したかのような庶民的バイタリティにあふれている。おかげで、その日からの3日間というもの昼間からいろんなバル通い。最終日にマルシェの中を土産の生ハムを物色していると、「オーラ」というスペイン語の挨拶と共にポンと肩を叩かれた。振り向くと、そこに「Goiz-Argi」の店主の笑顔が在る。これで僕もいっぱしの常連だ。

Friday, February 5, 2010

鹿児島へ行ってきた

Rimg0043 鹿児島へ行ってきた。岡本さんの新しい本の出版記念パーティーへ出席するためだ。友人3名と一緒に高速を飛ばしてで3時間半。途中、人吉で休憩。旨いウナギと民芸店「魚座」で買い物をする。九州を縦に横断したわけだが、。気心の知れた仲間と一緒だと、あっという間だった。鹿児島に着くと、まず「菖蒲学園」へ。障害を持った人たちの施設なのだが、素晴らしい環境である。木工製品を買う。そしてパーティーへ。本でも紹介されていた13代沈壽官さんの話がとても面白かった。400年続く伝統を受け継ぎながら、新しい焼き物を目指す彼は、とてもチャーミングな人だった。夜は、前回同様「権兵衛」で湯豆腐と旨い芋焼酎。店内では三橋美智也がかかっていて、小学生の時に買ったドーナツ盤「古城」を思い出した。翌日は市内のお店を探訪。「AUL」という雑貨屋さんと「ZOOL」というDOSAが日本一たくさん置いてある服屋さんへ。途中西郷ドンの銅像の横を通った。頭にハトが留まっていて、とてもお似合いだった。

「音のある休日」#17

「ピザ・テープス」   ジェリー・ガルシア、デビッド・グリスマン、トニー・ライス
 
Rimg0047-2 ジェリー・ガルシアといえば70年代のロック・バンド、グレートフル・デッドを率いた反体制カルチャーのアイコン的存在。と同時に、アメリカン・ルーツ・ミュジックのよき理解者でもあった。
そんな彼がマンドリンのデビッド・グリスマン、ギターのトニー・ライスと即興的に録音した幻の音源がCDとなって陽の目を見ることになった。黒人、白人ブルースからフォークなど、いずれもリラックスした中にもコクのある演奏が繰り広げられている。
「天国の扉」、「朝日の当たる家」など、おなじみの曲もガルシアの温かい声で聴くと、あらためて胸にじーんと来る。ロックの歴史に刻まれたひだをかいま見るようだ。(西日本新聞 1 月 31 日朝刊)

「音のある休日」#16

ザ・ブライト・ミシシッピー / アラン・トゥーサン
 
Allen New2 ニューオリンズのピアニスト&作曲家アラン・トゥーサン。魂が解放され、天国へ行くことを祝う意味が込められた「セカンド・ライン」という、独特のファンキーなリズムを世に知らしめた名プロデューサーである。その彼がジャズの名曲をカヴァーしたアルバムを発表した。
 デューク・エリントンやセロニアス・モンクの曲が、流麗なピアノと味わい深いアレンジでよみがえる。泥臭さと洗練、古さと新しさの見事なバランスには、デキシーランドを好きな人はもちろん、ジャズ・ファン以外にも開かれた世界が感じられる。
 2005年のハリケーン「カトリーナ」の復興を支援するプロジェクトにも参加するなど、地元に根ざした音楽家らしい作品である。(西日本新聞 1 月 17 日朝刊)

「音のある休日」#15

「フロム・ザ・グラウンド」
 ヒザー・ウッズ・フロデリック
 
Heather アコースティック・ギターとつぶやきに似た可憐な歌声に、ひかえめなピアノやストリングスが彩りを添える。まるでクラシックとフォーク・ミュージックが密やかに融合したかのようなサウンドでデビューした彼女は、アメリカ西海岸ポートランドの出身。
 半導体、電子部品、情報産業の集積地として発展したこの町は、緯度がほぼ同じである札幌と姉妹都市。自然と調和した美しい都市計画でも知られている。そういえばこのアルバムにも静かだが熱い実験精神が流れているような気がする。
  「変えられるものを変える勇気と、変わらぬものを受けいるれ謙虚さ」とは、ポップスの世界にもある。さて、来年はどんな音に出会えるか?(西日本新聞 12 月 27 日朝刊)