Friday, June 18, 2010

地球が存在していれば

Img 1060 そういえば、dosaが2005年に出したカタログみたいな写真集も、今回の旅のきっかけのひとつだったのかもしれない。LAを起点に、アジアなど手仕事の美しさを生かした服作りをするクリスティーナ・キムの世界は、どのページも緑深い手つかずの森。ネイティブやヒッピーみたいな欧米人がドリフト・アウェイする様がとても魅力的だった。もっとも、その写真集が撮影されたのはカウアイ島で、今回は水先案内を引き受けてくれる友人がいるマウイ島上陸だったのだが...。
 マウイ島はアメリカ本土から直行便が出ているほどアメリカ人のフェイバリットらしく、確かにゴルフ場やコンドミニアムなど家族向けのファシリティが整備されていて快適なヴァカンスが約束されている。ビーチはゴミひとつなく、フナムシもおらず、磯臭さもなく、蚊もほとんどいないと来ている。もちろん貿易風が絶えず吹いているから汗もかかない。カナヅチで、海にはいるのがおっくうな僕みたいな人間も、木陰で本などを読むフリをしたりと、まさに言うことナシ(これでキツエンにもう少し寛容だったら、などというのは虫が良すぎる話)。そういえば、ハイウェイを時速45マイルで走っていて前方にとぐろを巻いたかのような物体を発見した奥さんは反射的に声をあげた「ヘビだ!」と。僕は冷静に(友人から聞いたとおりに)、ハワイにはヘビがいない旨を彼女に伝えた。案の定、それはロープだった。
 大昔、海底火山が隆起して出来たハワイ諸島には元来ヘビはいないらしい(時々外国船の荷物なんかに紛れ込んで侵入したヘビが発見されると、テレビで話題になるそうだ)。今でも、ハワイ島の南では海底火山が活発な活動を続けており、将来海上に隆起して島になると考えられている。ただし、それは数万年後の未来であり、地球が存在していればという条件付きである。

Saturday, June 5, 2010

HONOHONOすれば気分はALOHA,皆さんMAHALOです。

Img 1419 オアフ島へは随分昔に一度だけ格安ツアーで訪れたことがある。「ハワイなんて、どうせ芸能人御用達のパラダイス」とタカをくくっていたのだが、カラッとした空気と絶え間なく吹く風は、思いのほか気持ちが良かった。そもそもきっかけとなったのはスラッキー・ギター。ハワイアン・ミュージックでよく使われるオープンチューニングしたギター奏法である。なかでもサニー・チリングワースのCDには、仕事とプライベートの両方に行き詰まり、毎日酒浸りでくさりきっていた時期、いわば睡眠導入剤として随分お世話になったものだ。ゆるめのチューニングによる「ボヨーン」というレイジーな弦の響きと、ハワイアン・カウボーイらしい男気あふれる泣き節に、恥ずかしながら癒されてしまい、とりあえず現場を見たくなったのだ。とはいっても、3泊5日のオアフ滞在中には結局スラッキーのライブに遭遇することは出来ず、今回のマウイで初体験を期したわけなのである。
 事前の下調べでは、予約したコンドミニアム近くのホテルで毎週水曜日にスラッキー・ショーが行われているという。マウイにはスラッキーの名手が多いことは友人のKさんから聞いていたし、今回はまちがいなく生の演奏が味わえるはずだと胸が躍った。おまけにその友人が絶対食べて欲しいというランチプレート屋さんがあり、そのオーナー(サーファー&スラッキー奏者の日本人)に詳しいことを聞くように、と仰せつかってもいるので鬼に金棒だった。目印のピンク色のランチ屋台で総菜各種盛りのボックスをゲットし、翌日のショーの予約をお願いした。ショーのホストを務めるジョージ・カフモクさんはハワイを代表するスラッキーの名人らしいのだ。
 そして当夜、コンドからビーチを10分あまりHONOHONOして会場に到着した。この季節限定、パッションフルーツ入りの地ビールをひっかけて準備万端だ。入り口で予約の件を伝えようとしていると、恰幅のいいアロハ姿の男性から「ノブの友人か?」と 声を掛けられた。なんとカフモク氏本人である。そのうえに今夜は招待しますとのこと。ランチ屋台のノブさんの好意に甘えることにした。肝心のライブだが、12弦ギターによるゆったりとした演奏に夢見心地の気分。そのうちに、本当にコックリコックリとなってしまった。やっぱり睡眠導入の効果てきめんなのだ。でも、会場で購入した最新盤CDは、帰国しても連日のように店の中をALOHAな気分で満たしてくれている。MAHALOです。

Friday, June 4, 2010

カマイナ

Img 1345 少し前 kama Ainaという日本の音楽ユニットが好きで、マウイ島で録音されたというそのゆったりとしたサウンドを聴きながら、いつか行ってみたいと思っていた。だから、オアフ島から小さな双発機を乗り継ぎ、島に着いてまず友人に尋ねたことはその名前の意味だった。「波乗りをするために、ちょっとマウイへ行ってきます」といって福岡を出発し、そのまま住み着いてしまった彼と再会するのは20年以上振りのこと。「カマイナ? そう、地元の人っていう感じですかね」と教えてくれたその友人は、僕の記憶通りの真っ黒に日焼けした顔と人なつっこい笑顔だった。その昔, 捕鯨(食用ではなく、あくまでランプ用の油をとるためと聞き唖然!)で栄え、ハワイ全体を統治したラハイナという町をブラブラしながら、ふたりで少しづつ思い出話をしたりした。その頃の僕は、カウンターカルチャーみたいなものにあこがれを持ってはいたものの、サーファーには冷ややかだったと思う。ウッドストック派と呼ばれる内省的なミュージシャンとは違い、波乗り野郎なんてきっと快楽的なことばっかり考えている連中に違いないと、なかば反感さえ持っていた。そんな僕も、福岡へ戻って少しづつ友人ができ始め、若いサーファー達と一緒に酒を飲む機会が増えるにつれて考えが変わった。「結局、ヒッピー・ムーヴメントの正当な継承者はサーファーかもしれない」と独り合点したわけだ。
 彼が、最初はアメリカ本国へ行くつもりでちょっとマウイへ寄り道したところ、あまりに居心地が良くて「ここでいいか!」とアルバイトをはじめ、気がつけば2度の結婚を経てふたりの娘を育てる父となったことは、なんとなく知ってはいた。それにしても、イタリア系アメリカ人である最初の奥さんとの間の娘は今や海兵隊員で、死別した日本人の奥さんとの娘はもうすぐ高校生だと聞き、ビックリした。その娘はおばあちゃんがいる東京の学校へ進学するためマウイを離れるらしく、ちょうどお別れパーティーをやるから良かったら来て欲しいとのことだった。夕刻にマンションへ伺うと、リビングルームでは彼女の友人達が集まりワイワイやっていた。冬にはクジラが見えるというベランダに腰掛け、彼がポロッと独りごちた。「この島では混血が普通なんです。混ざってない方が珍しいかも...」。たしかに、娘の友人達の顔には色々なオリジンが透けて見える。日本、中国、フィリピン、スペイン、ベトナム、エトセトラ。しかし、ここではみんなカマイナ、国家なんていう括弧にはくくれそうにない笑顔がゴージャスだった。