Monday, September 12, 2011

多分もうセーフな年齢になってしまったが油断はできない。

Img 3270 20%OffセールをやっていたBOOK OFFでスタンリー・キューブリックのDVD『フルメタル・ジャケット』を購入、720円也。劇場公開を含め2,3回は観たはずだが、ここまで破格値になると救出せざるを得ない。記憶していた通り、アメリカの海兵隊新兵基地の過酷な訓練を描いた前半が圧巻だった。オチこぼれのダメな兵隊がさんざん虐められた挙げ句、皮肉にも射撃の腕前を認められるものの時すでに遅く、彼の精神はズタズタになっており、教官である軍曹を射殺して自身も自殺するというもの。スゴイのはその軍曹のまくし立てる激烈な叱咤&恫喝の口上。「四文字言葉」が炸裂、ある意味でカッコイイところが凡百の反戦映画と違うキューブリック仕様なのだ。若者を殺人兵器に仕立て上げるためとはいえ、初めて観たときには、これほど人権無視で卑猥な言葉が果たしてアメリカ軍内に存在したのだろうかと怪しんだが、あったのだ。そういえば、同じ軍隊の陰湿な体質を描いた日本映画に『兵隊やくざ』という人気シリーズがあり、高校生だったころ何本か観たことがあった。たしか1作目は増村保造が監督しており、勝新太郎の八方破れさも痛快だったが、ひ弱なインテリである田村高廣に惹かれた。多分アメリカだったら良心的徴兵忌避者にでもなったのだろうが、日本ではそうは問屋が卸さない。多分ぼくはその頃から早く年をとりたいと思い始めた。運動神経が悪く、減らず口だけが達者とあっては、とてもじゃないが軍隊は勤まるまい。徴兵年齢を過ぎるまで有事が起こらないことを願うしかなかった。で、多分もうセーフな年齢になってしまったが油断はできない。徴兵を回避する方法としては精神異常という診断が有効で、これなら案外可能性があるかもしれない(ちなみに、アインシュタインは「偏平足」の診断を受けて、スイスの兵役を免除されたらしい)。昨日は9.11テロから10年にあたり、グランド・ゼロでは盛大な追悼式典がおこなわれた。犠牲になった人の中には、知人のNさんがいる。銀行員で、今度ニューヨークへ赴任することになったからと、ウチでサヴィニャックのポスターを買ってくれたっけ。丸顔で眼鏡をかけ、人なつっこい笑顔の人であった。

Sunday, September 4, 2011

おとといポップス#6 ”やわらかな紫煙に包まれながら”

32607 小坂忠のライブは、それ以前に一度だけ、たしか法政大学の学園祭で見たことがあった。タイトな演奏をバックにして『機関車』を唄う姿に、アメリカの内省的なSS&Wの姿がダブって見えた。駒沢結城のペダル・スティールが効果的で、いわゆる「日本のフォーク」とは違うスタイルにショックを受けた。サポートは他にドラムスの林立夫、ベース後藤次利、キーボードは松任谷正隆という4人のユニット、「フォージョーハーフ」。タンガリーのシャツにカウボーイ・ブーツを履いた小坂忠がジェイムズ・テイラーだとすると、彼らはさしずめザ・セクションといったところか。「四畳半」を意味するバンド・ネームには、当時の日本のニューミュージック・ブームに対する皮肉も感じられた。どこか「はっぴいえんど」に連なる東京、山の手の音だと思った。だから、バックをやらないかという話にも困ってしまった。 アメリカ西海岸を思わせる都会的な音に対して、ぼくらは南部の田舎っぽい音を指向していたし、やってはみたいけれど明らかに荷が重いな、と感じていた。そんな時、一度会って話をしたいので来て欲しいということになり、狭山に住む彼の家におじゃました。1974年当時、福生や狭山にはまだ在日米軍のハウスが点在していてミュージシャンやアーテイストが住んでいるちょっとしたコミューンだった。「ムーヴィン」の和田博巳さんもその一人で、以前一度遊びに伺い、すぐ近所にある細野さんの自宅で「HOSONO HOUSE」のレコーディング風景を覗かせてもらったことがあり、なにか独特の地場を感じさせる場所だった。ドアを開けると、そこは照明を落としたフローリングのリビングで、古い革の椅子に座った忠さんがぼくらを出迎えてくれた。そして、コーヒーを飲みながら少し話をした。たしか彼は「これからはちょっと重い音をやりたい」みたいなことを言った記憶がある。そしてレイ・チャールズやブルース系のレコードを色々かけてくれた。そのなかでジョシュ・ホワイトというブルーズマンが気に入った。泥臭すぎず、洒落た感覚で、どちらかというとブルースが苦手だったぼくにもスンナリ聴ける音だった。やわらかな紫煙に包まれながら、ぼくらは彼と一緒にやってみる気になっていた。