Sunday, December 23, 2007

ウォッカとラムを半々で

もうずいぶん前のことだけど、台湾映画に夢中だったことがある。きっかけは、ホウ・シャオシェンの『恋恋風塵』を観たことだった。静かで切なすぎる映像に涙し、大ファンになった。続けて観たエドワード・ヤンの『嶺街少年殺人事件』の鮮烈さにノックアウトされ、その後もツァイ・ミンリャンなど、台湾の才能ある監督作品は出来るだけ触れるようにした。とはいっても、ホウ・シャオシェンのその後の作品については、あまり熱心であったとはいえない。ところが、『珈琲時光』あたりから、また彼の映画への興味が復活した。そして、ようやく、DVDだけど、『百年恋歌』を観ることが出来た。
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 三つの異なる時代の恋愛が、同じ二人の主演男女によって描かれるという思い切った構成。第一章は1966年。プラターズの「煙が目にしみる」のメロディーが流れ、暗いビリヤード屋の中から外へ向けたカメラが柔らかい光をとらえている。少ない言葉と、日常的なふるまいから生まれる懐かしい恋情。第二章の舞台は1911年。賛否両論だった作品、『フラワーズ・オブ・シャンハイ』を思わせる娼家。古いしきたりの中で、自由を夢想する二人が、サイレントで描かれる。近代化以前の中国様式美がとても美しく、弁髪がクールに映る。当時の日本との微妙な関係性も意味深。そして第三章、2005年の台北。疾走するバイクに乗る二人。一見ドライだけど、実は痛々しい現代の愛が前二章と対比され、破天荒に見えた全体像がようやく俯瞰されるところで映画は終わる。
 
 ホウ・シャオシェンの映画は台湾という場を抜きにはありえないのではないか。台湾と中国、イデオロギーの違いで分断された国家。日本やアメリカとの関係。全てが時間軸抜きには語れない、複雑な背景を持っている。台湾人は、僕らが勝手に思い描く”アジアの純情”なんかよりずっとハードな変化を経験している。だから、「どんな時代だろうと、人は生きてゆく」というまなざしがある限り、彼の映画は観るに値するのだと思う。
 
 余談だけど、10数年前小さなホテルのバーでホウ・シャオシェンと酒を飲んだことがある。アジア映画祭で来福した彼をモツ鍋屋で発見した僕は、我慢できずに、自分はあなたのファンであることを告げてしまった。ところが彼はいっぱいやりましょうと誘ってくれた。なにを飲もうかという段になった時、彼はメニューを見ないで「ウォッカとラムを半々で」、と言った。ボーイは「そのようなカクテルはありません」、と断ったところ「台湾ではよく飲まれているから」、と平然と答えた。そして、運ばれてきた恐ろしくハードな液体をおいしそうに飲んでいる。かたわらに置いた子供への土産物である「サンリオ」の包装紙の裏側に、ボールペンで中国の歴史や、台湾の内省人、外省人などの説明を漢字で綿々と書きなぐりながら。それ以来、僕は、あんなにタフな人間に出会ったことはないような気がする。

Sunday, December 16, 2007

近所のしあわせな椅子

うちの近所に気に入りの珈琲屋があり、必要な時に新鮮な豆を走って買いにゆける。
『手音(てのん)』というその店に入っていくと、余計な装飾が一切ないその空間に、珈琲の香りとシューシューというわずかな蒸気音が気持ちよい。

 ここのカウンターとテーブルに連なる椅子はすべて水之江忠臣のプライウッドチェア。
オープン当初から使われていて、私はそこにある椅子を"とてもラッキーな椅子"だと思っている。
珈琲の香り漂う空気と適度な湿気のなかにあって、さらには日々の珈琲焙煎により椅子たちは見事な艶とほどよい色焼けをしたものになっている、しばらく間を空けて行くことがあると、その変化に驚かされたこともあるほどだ。一度尋ねたら、毎日の掃除として店主が拭き掃除をしているとのこと。なるほど、そこまでしてもらえば、均一に美しいアメ色に変わってゆくことが納得できる。書きながら思ったけど、まるで椅子のエステサロンのようではないか。
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私たちもカタログ販売しているこの椅子、すっきりしたデザインとクオリティの良さに対するリーズナブルな価格が魅力の一脚なのでぜひ店頭にも飾りたいところなのだが、その前にできれば数ヶ月で良いから是非『手音』に預かってもらいたい。
いつか、美味しい珈琲豆を買いに行きながら水之江の椅子を担いでいるかもしれない。t.t.

Friday, December 14, 2007

湯煙ウィッグ事件

久しぶりに、ちゃんとした温泉に行った。近郊のヌーヴェル温泉みたいなのには時々行くのだけれど、遠来の友人や、長年の親友、つい前日に誘った若い友人達との遠出である。気分が高揚しているのがわかった。ちょっと不思議な組み合わせなのだが、全員仕事としてアートやデザインに携わっているというところが共通している。そうそう、「飲み助&食いしん坊」ってところも同じだ。ひょっとして、「何か起こるのでは」という予感めいたものがあった。

 行く先はなるべくメジャーじゃないほうがいい、ということで「はげの湯温泉」とした。ネットで調べた結果、リーズナブルで料理も盛りだくさん、なによりお湯自慢という点にこだわったつもりだが、多分、ネーミングに惹かれたのかもしれない。しかし、結果としては正解だったといえる。日田で高速を下りて小国へ。そこから脇道へ20分くらい坂道を登ると、木立の間から湯煙が立ち登るのが見えた。それも、かなりの数である。いわゆる温泉街とは違う、山間の田園に点在する一見普通の家々からの煙に、親友は「なんか、昔の工場のようだ」、とつぶやく。

 車から降り、宿の玄関へ向かう途中、そこかしこでシューシューと音を立てて湯が噴出している。昔行った別府温泉ですら、こんなふうに駐車場のそばで当たり前のように煙やお湯が出ていただろうか。いやがうえにも期待感が高まる。古民家風の建物に上がると、大きな掘り炬燵がある。たまらず足を入れると、じんわりと暖かい。温泉の蒸気を引いているということである。そうこなくては。

 部屋に落ち着き、茶と菓子を頂いたはずだが、覚えていない。一刻も早く、温泉に入りたい一心だったのだろうか。ただ、仲居さんの注意だけは覚えている。お風呂は内湯と露天、両方ともいったん下駄に履き替え外に出ること。ふたつの風呂はすぐ隣だが、かならず浴衣を着て移動すること、と念を押された。なるほど、この宿には囲いがない。内湯と露天を裸で移動すれば、近くの道路からも丸見えである。

 お湯はとてもよかった。優しい硫黄の匂いにとろりとした泉質。「湯ノ花」というものも久しぶりだった。それにしても、日本的なうまい言い方だ。外人さんが、汚れた湯と勘違いした時、「これは、ホットスプリング特有のフラワーです」、などと説明できるではないか。

 夕ご飯は部屋食ではないが、その代わりにひと品ずつ出てくるので、焼きたての子持ち鮎や揚げたての天ぷらもおいしくいただくことが出来た。白眉は温泉の蒸気で蒸した若鶏と野菜。持ち込みの焼酎、ワインやシャンペンにもこころよく対応してもらい、全員すっかり出来上がってしまう。「クイーンと10cc、どっちがアートか」で、議論が白熱。当然の成り行きで「さあ、もう一風呂浴びて、部屋で飲みましょう」、ということになった。

 ところが、NYから一週間ほど前に里帰りし、目下旅行中のカップルは早めの就寝。となると、残るは我ら博多ッ子だけ。話は、ややもするとざっくばらんなムードとなる。子細は忘れたが、気が付くと僕が持参した帽子代わりのウィッグを代わりばんこにかぶっている。浴衣、はんてんにウォーホル風かつらはバカバカしくも可笑しい。
Rimg0029-1「修学旅行の夜中」状態と化した僕らはだんだんとエスカレート。布団に入り、若松孝二もどきのポーズで激写大会が始まってしまった。確かに、予感は当たったわけである。もちろん、「はげの湯」だからと、ウィッグを持参したわけではないのだけれど。










熊本県阿蘇郡小国町西里3051「たけの蔵」tel.0967-46-4554

Wednesday, December 5, 2007

ウィグワムの靴下

「丈夫で長持ち」、といっても渥美清のことではない。米国ウィスコンシン州で、20世紀初頭から作り続けられている丈夫な靴下のことである。 
 僕は蒸れ足だから、夏は水虫にならないように注意を払っている。でも、過保護になってしまう冬のほうがあぶない。分厚いウールなどを穿いて、多湿で暖房が効いた部屋などは禁物である。やはり靴下は、適度な通気性がある綿100%が望ましい。
 しかし、高い安いにかかわらず、半年もしないうちに破れたり、そうでなくてもダラーンと伸びてしまうものも多い。その点、"Wigwam"のコットン靴下はすこぶる長持ちする。というか、しすぎるのだ。僕が持っているもので古いものは、10年くらい経っている。さすがにかかとあたりの生地はすっかり薄くなっている。しかし、決して破れたりはしないのである。ときおり、友人の家に上がった時など、かかとが薄寒くてひとり赤面しそうになるのだが、捨てるのは忍びない。したがって、僕のウィグワムはうずたかく重なり合っていて、かかとが薄くないやつを捜すのに一苦労する。
 そんなわけで、そろそろ買い換え時期と思い探すのだが、いざとなると見あたらない。たまにあっても、10%ほどポリエステルが混ざっている。試しに使ったが、気のせいかやはりムシムシするので、ほどなく穿かなくなってしまう。そういえば、前回買ったのが4,5年前。その時も福岡で探したが見あたらず、東京に行ったついでにスポーツ店でようやく100%コットンを見つけた記憶がある。そして、9月のアメリカ西海岸買付ツアーで無事入手(*1)。これで、少なくとも5年間は靴下の心配はせずに済みそうだ。
 
 ところで、ウィグワムという名前の由来が気になってグーグルしてみると、いくつかのことに行き当たった。まずは、「アメリカ先住民族が使用していたドーム型のテント式住居」とある。そして、「ウィグワムを建てるのは一族の女性たちの大切な仕事とされた」ともある。なるほど、と思う。次に「ウィグワム作戦(Operation Wigwam)とは、1955年にアメリカ合衆国が行った核実験のこと」、とありギョッとする。そして、「派手な外見とパフォーマンスで魅了するノルウェーのグラムロックバンドウィグワム!! ノルウェーでは知らない人はいない」と来る。なるほど、ウィグワムにまつわる話題は意外に広範囲なのだ。で、僕が一番興味を持ったのは「アリゾナ州の東部、Holbrook(ホルブロック)に存在する”ウィグワム・モーテル”」。写真を見ると、ネイティブ・アメリカンのティピーを模した客室を備えたユニークなモーテルである。いつか、靴下を穿いて泊まってみたいものだ。
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(*1) ”MASTER"と冠された100%コットン、スポーツ仕様。リブも厚めで、全体にちょうど良いクッション性があって、なかなか快適。サイズ8-10、メイド・イン・USA。一足1260円にてorganで販売。

Wednesday, November 28, 2007

シャンブレーのワークシャツ

「ビッグ・マック」が好きだ。といっても、ハンバーガーのことではない。アメリカの通販会社J.C. Pennyのブランド名である。なかでも、シャンブレーのワークシャツには目がない。3枚持っていて、色合い、風合い、襟やボタンの形、胸ポケットのペン差しの形状などが微妙に違う。以前は初夏になるとかならず着ていたが、最近はそうでもなくなった。ただ、古着屋をのぞくと、意識しなくてもシャンブレーのコーナーに目が行く。肩のステッチがトリプルになっているのを見つけると、つい手が伸びてしまうのである。
 
 先日も中心街のビルの中にある古着屋で暇をつぶしていたら、いい感じのビッグ・マックに出会った。いや、正確に言うと再会してしまった。その少し前、やはりその店を冷やかしていて見つけたものである。でも、その時は買わなかった。考えてみると、その店で古着を買うことは余り無い。商品の半分以上が古着っぽく見せたオリジナルだし、必要以上に大きな音でヒップホップがかかっていることもあって、いつも気持ちがそがれてしまう。その時もそうで、それ以来そのシャツのことはすっかり忘れてしまっていた。
 
 そういえば、昔からの古着屋が最近少なくなってきた。一時は古着ブームとかで、大名あたりはもちろん、今泉にもいくつか面白い店があった。その後、「グラムいくら」みたいな売り方の店なんかも現れ、とばっちりを受けた老舗はやってゆけなくなったのだろう。今では、一部のヴィンテージを中心にしたアイテムをそろえた店だけになってしまった。それに、そんな店でもちゃんとしたシャンブレーのシャツを見かけることはあまりないし、あっても案外高い。
 
Rimg0193 残念なことに、再会したビッグ・マックにはラベルが無かった、というか切り取られていた。それもあって、前回買うのを見送ったような気がする。”BIG MAC 100%Cotton JC Penny"という、素っ気ないロゴのラベルも、この実直なシャツの大切な一部分だったからだ。でも、今回は買ってしまった。無情にも¥3990という値札が赤ペンで消され¥2990に値下げされたシャツを、そのままほっておけなかったからだ。かつてあったかもしれないアメリカのプライドみたいなものへのレクイエム、などというのはもちろんオセンチに決まっているけど。
 
 ところで、僕にとってビッグ・マックが一番似合う役者は、アメリカ人ではない。フランスの名優ミッシェル・ピッコリである。ジャック・リベット監督の『美しき諍い女』(*1)の中で、彼はほとんどの場面をこのシャツで通していたと記憶している。人生の午後を迎えた画家は、洗いざらしのシャンブレーを美しい労働着として完璧に着こなしていた。案外、アメリカの良さを理解しているのは、アメリカ人以外のことが多いのかもしれない。

*1 1991年フランス映画。エマニュエル・ベアールのヌードが話題になったが、上映時間4時間にはビックリ。ピッコリの妻役でジェーン・バーキンも出演している。

Sunday, November 18, 2007

パリ、メルド

Rimg3761-1 「買付の旅」と聞くと、「うらやましい」とおっしゃる人が多い。確かに好きなものを探して外国の街を歩き回るのは、楽しい。でも、商売であるからには、それなりの苦労もある。さしずめ、買い付けた商品を狭いホテルの部屋で夜遅くまでかかって梱包して、出来るだけ早く日本へ送り出す作業などはその典型だろう。よほどの大物でない限り、郵便で送ることが多いのだが、送料がバカにならない。特に、ヨーロッパや北欧はかなり高い。おまけにサイズや重さの制限もあり(しかも各国で規定が違う)、リミットぎりぎりに経済的な梱包するのはなかなか骨の折れる作業である。いきおい、郵便局とのちょっとしたトラブルも多くなる。そんな中、忘れられない出来事が、今年の春、パリで起こってしまった。
 
 その郵便局はホテルから歩いても10分はかからない距離だった。とはいえ、一番重いもので20kgくらいはある、計五個の段ボール箱を運ぶためにはタクシーを呼ぶしかない。フロントに頼んだのだが、40分経ってもやってこない。そのうちにようやく来たのだが、あいにく全部の荷物は入らない。再度、大きめのワンボックス・カーを呼んでもらい、待つこと30分。業を煮やして、10分ほどのところにある大きめのホテルの前に客待ちしているタクシーを歩いて呼びに行く。そうやって、なんとか目指す郵便局に到着。中にはいると、パリの郵便局ではおなじみ、待ちの列がズラリと並んでいる。20分くらいはかかりそうだ。そのうちに、ようやく自分たちの番が来た。係の男がカウンターから出てきて、荷物をメジャーで測り始める。「大丈夫、ちゃんと測ってきたから」と冷静を装うが、前にも重量オーバーで、その場でアレンジし直した経験がある。油断は禁物だ。と、係の男は一番大きな段ボールをさして、フランス語でなにやらネガティヴな言葉を発している。どうも、5cmほど高さがオーバーしていると言いたいらしい。やれやれ。この男は大型を経済的に送る別のオプションがあるのを知らないのだろうか。その場合ははかり方が違うのである。英語でそのことを繰り返し伝えるが、がんとして聞こうとはしない。「ジャメ、ジャメ」の繰り返しである。困り果て、「前回、リパブリックの近くの郵便局ではOKだった」と言うと、彼はこう答えた。「その郵便局に持って行け」、と。一瞬耳を疑った。局ごとに規定が違うはずはない。それを平然と、違う局に行け、とはさすがフランスの公務員、個性的すぎる。こうなっては、僕としてもとっておきのフランス語を使わざるを得ない。映画では何度も耳にしたことがあるが、現実に使う機会があるとは思ってもみなかった。「メルド!」。ここ一番という時の僕の声は、とても大きい。後ろに並んでいたおばさんが僕に向かってこういった。「あんた、自分の国に帰ったら」。

 以前、小柳帝氏からも勧められていた『パリ、ジュテーム』をDVDで観た。オムニバス映画で、なんと総勢18名の監督が各々パリに関する5分間の短編を作るというもの。こういう趣向は、いわばフランス映画の得意技。昔から何本か観たことはあるが、どれもあまり記憶にない(トリュフォーやゴダール、ロメールなど、好きな監督だったはずなのだが)。短編でオムニバスという手法が僕は不得手なのかもしれない、と思っていたけど、とても楽しく観ることが出来た。18名といっても、フランス人監督はたしか2,3人だったと思う。コーエン兄弟や、ガス・ヴァン・サントなどアメリカ勢を含めて各国のシネ・フィルがそれぞれに個性的なパリを切り取っている。それは、たった今パリの片隅で実際に起こっているかもしれない小さな出来事ばかり。イスラム系、アフリカ系、アジア系など多人種、多文化の中での普段の生活には、ロマンと苦さがいつも同居している。つまり、「パリ、メルド」でもあるってことなんだろう。

Friday, November 9, 2007

クリストの術中

新聞の小さな記事で、クリストの講演会があることを知った。パリのポンヌフを布で覆ったり、日本とアメリカで、同時に3100本ものアンブレラを何十キロに渡って延々と設置するという、桁外れに壮大なインスタレーションをやる人である。前から興味を持っていただけに、おせっかいは承知で、数人の友人に声を掛けてみた。
 2時間に及んだトーク・セッションは、予想以上に面白かった。奥さんであり、プロジェクトのパートナーでもあるジャンヌ=クロードのウィットに富んだ話で幕を開ける。「私と彼は同い年、誕生日も一緒で、おまけに生まれた時間もほぼ同じ。もちろん、お父さんとお母さんは別だけど。」と笑わせつつ、クリストと彼女が様々なプランを一緒に実現してきたことを明かす。そしてスライドを使って、過去そして現在進行中のプロジェクトを、データを含めてかなり細かく説明。空前絶後の予算と、膨大な関係各位への果てることのない説明。2人の道はまるで、ロング・アンド・ワインディング・ロードである。そして、その資金は全てクリスト自身の計画段階での構想図を、作品として美術館やアート・ディーラー、コレクターなどに売ることによりまかなっているという。「いくらくらいで売るんですか?」との会場からの質問に、「それはマーケットが決めること、資本主義ではね。」とかわす。
 
 ブルガリア生まれのクリストとパリ生まれのジャンヌ=クロードという二人が、拠点に選んだのはNY。世間を驚かすような作品は、耳目を集めると同時に、賛否両論の部分もあるらしい。大変なお金と膨大な時間を費やして作ったあげく、長くても2週間くらいで消えてしまう「人騒がせな自己表現」と映ってしまうのだろう。
 
Christo2 終了後に買ったパンフレットには、1964年にNYのチェルシー・ホテルのベッド・ルームで撮られた二人のモノクロのポートレイトが載っている。まるで、ヌーヴェル・ヴァーグのワンシーンのようだ。いや待てよ、僕には、むしろジョンとヨーコの”ベッド・イン”に通じるものかも。二人が、 「戦争は終る!あなたが望むなら」と書かれた巨大なポスターを世界の11都市に揚げた時、世界的なロック・スターが、女性アーティストと一緒に行ったお遊びだと決めつけたのはジャーナリズムだけではなかった。僕を含む多くのファンでさえも、内心「ベトナム戦争反対もいいけど、ビートルズ、ちゃんとやってくれよ」と思ったものだ。もちろん、クリストは政治にコミットする直接的表現をするほどナイーブではない。

 
Christo1 彼は布を「柔らかな障害」だと説明する。それを使って、例えばベルリンにある民主主義のシンボル的建物「ライヒスターク」を包んだ時、訪れた人々は普段なら絶対に触れようとはしない建造物に、つい触れようとしたらしい。誰しも、一見不自然なものへの好奇心がある。それが布という昔から存在するもろくて、あやうい素材に包まれていたら不思議と参加したくなるのだろうか。
 
 クリストとジャンヌ=クロードは、何事につけても一緒である。ただひとつ、飛行機だけはかならず別々の便を使うという。たとえ待ち時間が4,5時間であっても、それだけは守っているとのこと。一体、なぜなんだろう。事故にあった時のことを考えてのことなんだろうか?やはり、パンフレットにサインをしてもらう際、そのことを聞くべきだったのだろうか?やはり、好奇心からの質問はせずによかったのだろう・・・。イヤハヤ、どうやら、人を巻き込むことが得意な彼らの術中にはまったようだ。

Sunday, November 4, 2007

ふた物

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東京から主人の友人がやってきた際に、人形町の老舗「ハマヤ」の富貴豆をいただいた。
主人の好物なので、あっという間になくなってしまうことは確かなのだが、包みのままで置いておくと、食べる時に随分もどかしかろうと(そういう理由にして)、つい先日、小鹿田で購入してきたふた物にその富貴豆を入れたら、丁寧な感じがしてなんとも嬉しくなった。
保存方法にも「ふた物にて冷蔵庫にお入れになり 〜(略)〜」と記されていたから、この「ふた物」というコトバが私を刺激したに違いない。
理由はいろいろあるとして、「ふた物」は好きな食器のひとつ。商品としてそれが入荷する場合も必ず"私だったらどう使う"を結構考えて楽しんでいる。
和、洋をとわずに「使い方」の視点で、ものを選んでみたり考えてみたりすると、また面白い。
で、最近、新入荷したセラミックウェアをはじめ、「ふた物」をサーチさせました。よかったら、見てください。t.t.

Friday, November 2, 2007

霜降り

「霜降り」が好きだ。といっても、牛肉の話ではない。Tシャツやトレーナー、それもアメリカ製の古いものに目がない。あの、グレーと白の糸が微妙にミックスしたテクスチャーに出会うと、つい触手が伸びてしまう。持っているくせに、ちょっとした違いを見つけては、ついまた買ってしまう。
Rimg0284-1初めてリアルな霜降りのTシャツを見たのは、神宮外苑、国立競技場のそばのマンションにオープンしたばかりの『ハリウッド・ランチマーケット』という店だった。いまでは代官山にあるその店は、そのころ、つまり30年ほど前はマンションの螺旋状の外部階段をトントンと登らないと到達できないという、ちょっと秘密めいた場所だった。おまけに、いつも明け放しのドアの前には大きなラブラドール・リトリバーがいて、そいつをまたいで入らなければならない。インド更紗のカーテンを開けておじゃますると、6畳くらいの部屋いっぱいにプーンとお香の匂いがする。まるで、日本に初めて出現したヒッピーのコロニーのようだった。
 
 そこで目にしたものは、正真正銘のアメリカの古着だった。LevisのGジャン、Leeのホワイト・ジーンズ、タンガリーのワークシャツ、そして様々なロゴが入ったTシャツは、アメリカの映画やTVドラマでしかお目にかかれないとびきりのワークウェアだった。古着独特のクタッとした使用感は、『VAN』や『JUN』を経過し『BIGI』でお洒落に目覚めたばかりの僕をピリピリと刺激した。なによりもセレクトがよかった。ジャック・ニコルソンが着ると似合いそうな、まるでアメリカン・ニュー・シネマっぽい雰囲気がたまらない魅力を放っていた(*1)。
 
 お目当ての霜降りTシャツは、胸にロゴが入っていた。おそらく刑務所のユニフォームだったのだろう。想像していたより濃いグレーだったけれど、一目見て欲しいと思った。でもプライスのほうは僕の想像より高めだった。『増田屋』のざる蕎麦が350円くらいだったとすると、その10倍くらいだったそのTシャツは、当時の僕には高嶺の花だった。
 
 それまで僕が着ていたのは『フクスケ』の肌着だったかもしれない。それは「下着」であり、どちらかというと人に見せたくないものだった。それをTシャツと呼ぶことで、下着はお洒落着へと昇格を果たしたのだろう。もちろん、真っ白のHanesも素敵だけど、グレーの霜降りは別格だった。メーカーや年代によって、同じものがないといっていいほどに濃淡や材質に違いがあることにも気が付いた(オートミールとよばれる優しい色味は特別だった)。で、そんなお気に入りのTシャツを着こなす為の肉体の貧弱さに気が付いた僕は、少しでも筋肉を付けようと、無駄と知りつつ日々筋トレに励むことになったしまった。ワークウェアを着るために、ワークアウト。ところで、「霜降り」って英語ではなんというのだろう。辞書を引いてみたところ、"marbled meat"とあり、やはり、肉がらみ。彼らは「グレイ」としか呼ばないのだろうか。今でも疑問である。
 
 *1 おそらく、映画『カッコーの巣の上で』を見た後だったのだろう。

Thursday, November 1, 2007

水差し

久しぶりに小鹿田まで足を伸ばした。秋の日を浴びた山里はとてもすがすがしく、唐臼のギッコン・バッタンという音が、変わらず谷間中のどかに響いていた。今回は遠来の友人夫妻も一緒。僕らもなんだかいつも以上に新鮮な気分で10軒ほどの窯元をゆっくり堪能した。

いつもは、皿や小鉢などを買うことが多いのだが、その日はなんとなく「水差し」に目がいってしまった。ひょっとすると、東京でやっているバーナード・リーチ展へ行きたいという気持ちが反映したのかもしれない。ご存じのようにリーチは昔、小鹿田を訪れた際に水差しの取っ手部分の付け方を指導したといわれている。多分、取って付きの水差しは日本では珍しかったのだろう。以前訪れた時、ある窯元のおばあさんにリーチ来訪当時のことを伺ったら、村中で"炊きだし"をして歓待したことをなつかしそうに話してくれた。日本滞在中は民芸運動に参加し、東洋、とりわけ朝鮮の焼き物に傾倒したといわれている。また、1920年には濱田庄司を伴ってイギリスに戻り、セント・アイブスに日本風の登り窯を築いて、その地で作陶にいそしむことになる。以前、彼の作品をいくつか大原美術館で見たことがあるが、人目をひくものというより、もの寂びた風情にあふれた温雅な作風が印象に残っている。それは、よく言われることだが、東洋と西洋の伝統美を陶芸という形に融合しようとした結果なのだろう。しかし、「言うは易く、行うは難し」。当時、イギリスにおいて、彼の作品が正当に評価されたとは言いがたい。異質な文化がお互いに補い合うことの必要性は、むしろこれからますます高まるに違いない。その意味において、リーチは先覚者だったといっていい。
今回買い付けてきた小鹿田のおおらかな日用雑器は、そんな文化の相互作用と同時に、生活に生きる手仕事の一端を物語っているように思える。
Onta 1

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Saturday, October 27, 2007

「素敵な歌と舟はゆく」

僕にとって映画とは、見ている間、自分がいかに反応出来るかという、いわばリトマス試験紙のようなもの。だめだと思ったら、すぐに席を立ちたくなってしまう。もちろん、お金はもったいないけど、反応できずにストーリーだけ追うほど苦痛なことはない。なにより最近はDVDの自宅鑑賞なので、つまらないと思ったら遠慮せずにベッドに直行できてしまう。
 オタール・イオセリアーニ。この旧ソビエト連邦、グルジア出身の監督の映画は初体験だったけど、タイトルバックのピアノ音楽が流れた瞬間になんだか良い予感。本編が始まって5分もすると、それは確信に変わった。なんか人を食ったような登場人物と、少ないせりふ、コミカルな所作は、あのジャック・タチに通じる。ただし、タチのホノボノ感の代わりに漂うのは、かなりニヒルな視点。例えば、金持ちのボンボンがパリのカフェで皿洗いをして、隣のカフェのネエちゃんに恋するも、彼女はイカレたバイク野郎になびいてしまう。だいたい、なんでボンボンがわざわざ労働者ぶるのか、レイプされそうになったネエちゃんはどうしてバイク野郎と結婚するのか、その他いっさい説明めいたことがない。これに比べると、同じ群像劇を描いたロバート・アルトマンのブラック・ユーモアは道徳的とさえいえる。

Vsl3-2 この映画には、いい人、悪い人、幸せ、不幸せ、金持ち、貧乏などという類型的な構図はなく、すべての登場人物が、清濁合わせ持つアンビバレントな状態で、それなりに勝手に生きている。それがいい。それぞれがひたすらワインを飲み、セックスに励み、泥棒をして刑務所に入ったりしながら、人生という時間をせっせと費やしている。楽しいかどうかは、多分本人にさえわからない。時々そうだし、おおむねそうじゃない。かといって、失望しないし、希望なんて絵空事にも同意できない。いっそ幻想くらい持てればまだしも・・。
 
 それにしても、映画の最後で南の島に出奔してしまう金持ちじいさんという「おいしい役」をけろっと演じてしまうイオセリアーニ。ソ連をおん出た監督ならではのアナーキーさなんだろう。近々新作が公開されるらしい。ただし、東京での話。福岡で見れるのはやはりDVD化されてからなのだろうか。たまには映画館で化学反応してみたいもの。

Saturday, October 20, 2007

dosaでドネーション。

買付の合間に、dosaのパーティーに誘われた。韓国生まれのクリスティーナ・キムがデザインした服には、自然素材を使った適度なエスノ感と巧みなソフィスティケーションがある。生地から作ったという軽やかなドレスは、一年中、春か夏みたいなL.A.にはピッタリ。パーティーといっても、どうやら購入も出来るらしい。これから冬に向かう日本には不向きなのでは、という僕の考えは我が奥さんには通じないらしく、レイヤーする服だから大丈夫という。。 

Rimg0462ところが、入場するには「ドネーション」として100ドル必要らしい。聞き慣れない言葉だが、どうやら「寄付」の意味らしい。アメリカ人は太っ腹だな、と感心する。「赤い羽根」の呼びかけにも素通りしてしまう僕には、かなり縁遠い話だが、この際腹をくくるしかない。なにせ、そうそうある機会ではないのだから。
 会場はダウンタウンにあるビルの中。まるで、田中小実昌が酔っぱらって今にも出てきそうなバーなどもある、ちょっとうらぶれた地区だ。冷やかしのつもりで入った洋品店でリーヴァイス501xxレプリカモデルが29.99ドルだったので買ってしまう。で、そのまま穿く。パリパリの生ジーンズがアメリカ気分!(ところが、後日帰国してよく見ると「メイド・イン・メキシコ」だった。)
 
エレベーターを降りると、そのままワンフロアーが会場だった。それにしても広い。「何坪あるんだろう」とか、考える気にもならない。本物のロフトである。このあたりは昔工場などが入ったビルが多かったらしいけど、今はさびれているためわりと安く借りられるのだろうか。壁のレンガがフェイクじゃなくていい感じだ。こんな広々とした会場に、服や雑貨がゆったりと並べられている景色は確かに初めてだ。
 
Rimg0718ところで、肝心のドネーションだが、どうやらこちらの勘違いだったようだ。実際は入場料ではなく、1000ドル以上の買い物をすればそのうち100ドルを寄付に当て、代わりに限定トートバッグがもらえる。もし、バッグだけが欲しければ100ドルで販売するというもの。なるほど。それにしても、一枚一枚シルク・プリントしたアートっぽいトートバッグには惹かれる。しかし、いくら奥さんがdosa好きだとしても、1000ドルの買い物は財布が許さない。「よし」とばかりにバッグを購入しようとしたのだが、なにせ手刷りで、各々色もパターンも全部違う。数枚から選ぶのならまだしも、かなりの枚数である。あれもこれもと目移りする内にだんだん面倒になり、結局断念。初のドネーションはかくして未遂のまま、サーヴィング・コーナーでおいしいワインとイチジクを頂きダウンタウンを後にした。
 いろいろなことがアメリカナイズされるなか、ドネーションはまだまだ我が国ではなじみが薄い。ドナー(臓器提供)って言葉はニュースで聞くけど。

Friday, October 19, 2007

なんとなくハッピー

たまたま、東京から遅れて合流することになった人を迎えるために、サンフランシスコから車を飛ばし、早めにL.A.の空港に付いた僕らは到着ロビーで所在なげに待っていた。そこにはイームズの”タンデム・チェア(*1)”があるものの、わりと混んでいて座ることも出来ずにその側を通り過ぎようとした時、「Tさんですよね」と声を掛けられた。
 振り返ると、タンデム・チェアの端っこに座っている二人(男はちょっとくたびれ感がある中年の白人、女性は若めの日本人)のうちの女性が僕に声を掛けたようである。
「やっぱりTさんだ」。

 うれしそうな声と、特徴的なキョロッとした目を見て、突然20年前の記憶がよみがえってきた。当時、僕は輸入レコード屋に勤めていて、確か彼女はまだ中学生だったはず。笑うたびに、矯正ブラケットが光る口で「ロバート・ワイアットは、自動車事故で足を無くして唄に専念するようになったんですか?」などという質問を投げかける、若くマニアックなお客さんだったのだ。

「久しぶり。で、L.A.で何してるんです」、とりあえずの質問に、
「2年前からL.A.に住んでて、今日か明日、結婚するんです。で、家族が日本からやってくるのをここで待ってるんです」という言葉が返ってきた。
 時の経つのは何とやら。進学で東京に行ったのが最後だったはずで、その後の消息は一切知らなかった。それにしても、「今日か明日」ってのはさすがL.A.,アバウトなのだ。
「へー、そうなんだ。ひょっとして隣の方が・・・」、と地味目なおじさんに目線を移すと、「ええ、スパークスのロン・メールです」と、もう矯正ブラケットは無い口から、実に驚天動地な答えが返ってきた。


Rimg0057-3 SPARKS。このなんともシンプルな名を持つ兄弟ユニットの名前を何人の音楽ファンが記憶しているのか、僕には見当が付かない。アイドルっぽい風貌でヴォーカル担当の弟ラッセル・メールと、オールバックにチョビ髭、いつも白のランニング・シャツ姿でキーボードを弾く異形の兄ロン・メールは、当時、僕が参加していたバンドに少なからず影響を与えてくれた。1970年代、ロックの創生期は過ぎ、シーンが何となく煮詰まっていた時期だった。ザ・バンドに夢中だった僕らは台頭してきたイーグルスなどのウエスト・コースト・サウンドにはまったくなじめず、今野雄二さんが提唱する"ロック・マニエリズム(*2)"に傾倒していった。形骸化したロック産業をシニカルかつアーティスティックに批評するかのような、このキッチュで斬新な音楽の代表格はロキシー・ミュージックをはじめとするイギリス勢だった(SPARKSだけは、なぜかL.A.出身)。彼らは凝った演奏や衣装に加えて、ジャケット・ワークにも新しさを持ち込んだ。そんな中でも、スパークスは格別だった。デビュー作「キモノ・マイ・ハウス」が、ヨーロッパで受けたのはケバケバしく髪を振り乱した二人の日本人らしい着もの姿を使ったそのジャケットに一因があったことは確かだろう(ジャケに惹かれて買った人は、ファルセットっぽい素っ頓狂なヴォーカルを聞いてとまどったかもしれないが)。でも、僕らはそのキテレツなプレゼンスをとてもカッコイイと思った。現に、ヴォーカルのAちゃんなどはロン・メールまがいのチョビ髭をたくわえてステージに立ったりしたものだ。
 
 ともあれ、その時、僕の目の前にはスパークスの中心人物がいたが、もはやチョビ髭ではなかった。彼は白くなったコールマン髭と、多分染めたのだろう真っ黒な髪で立ち上がり、近寄ってきて握手をしてくれた。もちろん僕は感激して、お定まりの言葉を口にした。
「僕は、ずっとあなたの熱烈なファンでした」と。
言った途端に、後悔した。なぜ、現在形じゃないんだ。あわてて、質問を浴びせかけてしまった。
「最近はアルバム出してないのですか?」。
彼は、真顔になって答えた。
「今年、出しました。聞いてくれましたか?」。
「・・・、実はまだ・・・」、
「後で送りますから、良かったら聞いてください」。
 しかし、日本に帰ってひと月、今だにそのCDは届いていない。
といって、自分で買いに行く気配もない。
ただ、なんとなくハッピーな気分が残っているのは確かなんだけど。


*1 イームズがシカゴのオヘア空港の為にデザインし1962年にハーマン・ミラーより発売された。その後世界中の空港で使用されている。座り心地の良さは格別で、旅の気分も盛り上がる。福岡の老舗デパート「岩田屋」にも残っている。
*2 ビッグ・スターを輩出し商業化してしまったロック界を、一度壊してあらたな地平を築こうと模索した動き。美術用語を今野氏が独自に転用したものだと思う。後のパンクやニューウェーヴなどが生まれるまでの橋渡しをした功績は無視できない。セイラー、スプリット・エンズ、10cc、ルイス・フューレー、デフ・スクール、コックニー・レヴェル、アレックス・ハーヴェイ・バンドなどがいた。