Thursday, May 29, 2008

バーディー・ナム・ナム

Rimg0483 ビートルズのDVDボックスを観て、色々なことを思い出した。その一つがモンティ・パイソンだ。ナンセンスでブラックなユーモアにあふれた彼らのコントのセンスはビートルズにも通じるものだと思う。物議をかもしたジョン・レノンの「ビートルズはキリストより有名」発言なども、彼らがコントでやったとしたら、きっとあれほど大騒ぎにはならなかったはず。実際、お笑いの力って馬鹿にならない。イギリス人には有名な「サタイア精神」ってものがある。辞書を引くと「風刺」となっているが、「批評精神」みたいなものなのではないだろうか。それにしても、自分を棚に上げた「批判」ではなく、自分も参加したギリギリの「物言い」はとても勇気がいるものだろう。 ビートルズの映画「ハード・デイズ・ナイト」や「ヘルプ」で、ストーリーとは関係なく飛び出すナンセンスなギャグはやっぱりイギリス的だ。監督のリチャード・レスターはアメリカ人らしいけど、イギリスに渡ってピーター・セラーズとかなりナンセンスな短編実験映画を撮ったりしていたようだ。 そういえば、ビートルズの面々はピーター・セラーズが出ていた「グーン・ショウ」というラジオ・バラエティのファンだったらしい。僕も「暗闇でどっきり」でピーター・セラーズにやられた口である。その後、「ピンク・パンサー」でタイトルバックのアニメやヘンリー・マンシーニの音楽も含め、大ファンになってしまった。「ロリータ」での怪人もよかったけど、なんといっても「パーティー」でのインド人はハマリ役だと思う。もちろん、可憐なクロディーヌ・ロンジェも素敵だったけど・・・。そうそう、当時高校生だった僕は、親友だったN君にしか打ち明けていないある発見をしたのだ(もちろん、たいしたことではないのだけれど)。「ジョン・レノンとピーター・セラーズ、実は似ている」というのがそれだ。根拠はいくつかある。「顔、特にワシ鼻と薄い唇が似ている。笑い方が不自然でコミカルな動きをする。傲慢なようで、どことなく寂しげ」などが主なポイントだが、最近この説を補完するあることに気が付いた。それは両者共に物まね、もしくは形態模写好きだという点だ。ピーター・セラーズは、ご存じのように百変化の俳優だが、ジョンも映画やインタビューの中で、突然声色を使ったりしているのをお気づきの方もいるだろう。いったい、物まねが好きだというのはどういう心理なのだろう。深い詮議はさておくとして、二人とも何らかのコンプレックスやアイデンティティの喪失感があったのは確かだろう。そして、名声を得た後、「イマジン」と「チャンス」という枯淡の境地へ向かったこともなんだか因縁めいているような気がする。

Saturday, May 24, 2008

にじむ涙

初めてビートルズを聞いたのは、家族でドライブしていた時だった。ラーメンでも食べようと父が言い出し、峠のドライブインに立ち寄った時、店内のラジオから流れていた「プリーズ・プリーズ・ミー」に出くわした。その時の印象を一言でいえば、とても奇妙な音楽という感じだった。僕は海外ポップスが好きな中学生だったけど、ニール・セダカやパット・ブーンなどのクルーナー系とは明らかに違う不思議なコーラス・ワークや、性急なリズムのドラムやギターに面食らってしまった。なんだか、聞いてはいけないものを聞いたような、胸騒ぎめいた心持ちがした。とにかく、父や母と一緒にひなびたドライブ・インで聞くにはちょっと不向きな音楽だった。
 
Rimg0474 最近ビートルズの写真集とDVD5本セットのアンソロジーを購入した。リンゴ・スターみたいにドラムが叩きたくてドラマーのはしくれになり、ジョン・レノンそっくりの丸メガネを掛け、70年代の新宿武蔵野館で「レット・イット・ビー」を見たのを最後にビートルズを卒業していたと思いこんでいた。ところが、最近新しいといわれるいろいろな音楽を聞くにつけ、どこかにビートルズの影響を発見してしまう。いったい彼らのどこに惹かれていたのだろう。
 イギリスの日刊紙デイリー・メールのカメラマンが撮った写真をコンパイルした"Images Of The Beatles "には、当時日本の音楽誌や週刊誌で見かけたショットがたくさん載っている。とてもなつかしいけど、モノクロに定着した4人の姿はいかにもな過去である。一方、アンソロジーDVDは膨大なデータを使い再編集、リ・ミックス、生前のジョージを含めた3人のインタヴィューも豊富で文句なしに楽しめる。全部見るのに12時間ほどかかるところ、僕は2日間で見てしまった。音楽はもちろん、ファション、発言、すべて現状に対する実験と挑戦だったことにいまさらのように驚いた。4人が発見し、表現し、新たなステップへ進むスピードの速さはまるで奇跡を見ているようでもある。しかも、世界中が彼らにノボセていたとき、冷静だったのは当の4人だけだったとは。「静かなビートル」とマスコミに呼ばれたジョージ・ハリソンの歯に衣を着せぬ発言も意外な発見だった。
実は、DVDを見ている間にかなりの頻度でグッと来てしまい、思わずにじむ涙を奥さんに見つからないようにするのに苦労してしまった。もちろん、彼女もビートルズは嫌いではないはずだけれど、やはり一人で、しかも画面の前1メートルのカブリツキで見続けていたかったのだ。中間試験の前日にもかかわらず、多分29回目の映画「ハード・デイズ・ナイト」を観るために場末の3番館に駆けつけた時から確実に40年以上が経つというのに、僕はまだ4人にノボセることが出来る。別に自慢出来ることではないけれど。

Sunday, May 4, 2008

人が関われるすき間

5日間に及ぶデザインニング展を通じ、印象に残ったのはgraf、服部氏の言葉でした。それは、最終日にもうけたトーク・セッションの際、彼が発言した「すき間があるデザイン」という言葉に集約されるのかもしれません。セッションはgrafがデザインしたKGアンプの心地よい音が流れる中、満員のゲストと一緒にリラックスした雰囲気で始まりました。I-Podからのデジタル・データが真空管アンプを経過することで、とても自然な音となってゆきます。それは、デジタルといういわば点のようなものが集積し真空管を通る間に、波のようなものに変化するためだと彼は言います。たしかに、寄せては返す音と音の間には、つい引き込まれてしまいそうに魅力的な間が感じられます。

Enough 13

そういえば、grafの家具にも、それと共通するデザイン性があるような気がします。合理性を備えた完成形というより、買った人が「どう使うか」といったすき間、もしくはスキを残したデザインとでもいえるようなもの。人が関わって初めて機能し出すようにセッティングされたオブジェ。

今回のイヴェントで提案した「靴のままの生活」なるものも、実はそんな試みのひとつだったような気がします。あらかじめ、靴を脱ぐことが合理的だとして規定された空間は、ともすれば息苦しいものです。訪れる人が何らかの形で関われるスキとしての土足。拒否しないこと。問いかけること。出来れば、お互い成長すること。
Enough 11
今回手がけたフラットも、あえてラギッドにとどめた部分が端々にあります。
訪れた人たちがこの空間で、「○○でなければならない」よりも、「○○もありかもね」という楽しみ方を感じてもらうことが、できたかどうか。
そして今後それを「どう使うか」ということを想像させるような空間であったかどうか、ということも。
まだまだENOUGHの試みはつづきます。

Enough 12
イヴェントの二日目、土足仕様に改装したばかりのフラットに友人達を招いて小宴を開きました。そのうち、多分酔いも手伝ってか、ある友人が赤ワインを床にこぼしてしまいました。おかげで真新しい麻のカーペットには30センチ位のシミが。怒るに怒れない僕を尻目に、その友人はシミのすぐ横で朝までぐっすり眠り込んでしまいました。翌日うちの奥さんが「染み抜きには重曹が良い」と調べてゴシゴシやるけど赤暗色が薄黒く変化するだけ。おかげで、僕ら夫婦と友人は、お互いに忘れることの出来ない物語を共有することになったというわけです。