Tuesday, October 25, 2016

疾走する庶民。

平野太呂さんが新作写真集『LOS ANGELS CAR CLUB』をひっさげて福岡へやってきた。そこで、TAG STAで”本の即売と、お話の会”をやりましょうということになり、相手を努めさせてもらった。お題は「僕らはどうしてこんなにアメリカに影響されちゃったんだろう」。
  これはロサンゼルスのハイウェイを走る車だけで構成された写真集だ。それも高級車ではなく、庶民の足か仕事兼用がほとんど。洗車なんて無縁、色違いに修理されてしまったフェンダーがボコボコだったり、年季の入ったビーイクルばかり。それが妙にカッコいい。今ではすっかり見なくなった日本車だってまだまだ現役だ。運転しているのは白人、メキシカン、黒人、イスラムのチャドルを被った女性もいる。かれらはまっすぐ前を見ながらひたすら運転する。空も道路も、乾いたカリフォルニアの空気を映して白っぽい。車は疾走しているのか静止しているのか判然としない。宙に浮いているかのようにも見える。
  40年前にぼくは『MADE IN USA カタログ』という雑誌で、アメリカの「これでもか!」というほどのモノやアイテムにはじめて触れた。なかでもワークウエアのデザインや素材感を切望した。太呂さんが写した写真をその延長戦のようだと思った。疾走する庶民の瞬間だ。
 太呂さんはスケボー少年だったらしい。”スピード移動する道具”という意味では、小さく無防備なクルマである。それを駆って、動体写真への感を養っていたのだろうか。100キロ超えの車が走る4車線のハイウェイで「これぞ」という車を発見し、追走し、並走し窓越しにパシャリとやるのはそんなに簡単ではなかったらしい。乗っている人が何を考え、悩み、期待しているのか、ぼくらは2車線離れたレンズを通して、少しだけ想像するしかない。






Tuesday, October 18, 2016

アイノ・アールトのこと。

 パイミオのサナトリウムではアルヴァ・アールトがデザインした有名な椅子をいろいろ見ることができる。そのなかでひっそりと異彩を放つスツールがある。スチール製の3本の脚の2/3が接地面で円を描いて連結されたこの美しいスツールは、アルヴァの妻であるアイノがデザインしたもの。ぼくは以前から、アイノがデザインした同心円を描く"湖の波紋"のようなガラス製品は大好きだったのだが、彼女こそが建築家アルヴァ・アールトにとって無くてはならない存在だったことを知ったのはつい最近のこと。
 1910年代、ふたりはヘルシンキ工科大学で建築を学んでいた。先輩のアルヴァは快活で議論好きで学内でも目立つ存在、かたやアイノは内気で控えめと対照的。そんなふたりが結婚したのは1924年、卒業したアイノがアルヴァの最初の建築事務所で働き始めてほどなくのことだった。アイノのドラフト(製図)の腕前は卓越していたのだ。彼らの仕事は平等で対等で、完成した設計図には二人がサインをしたばかりか、アイノの名前を先に記していたという。さすがなアルヴァ。ル・コルビュジェのシャーロット・ペリアンへのクールな対し方とは違う(ふたりは夫婦ではなかったけれど)。どちらかというと、チャールズとレイ・イームズ夫妻による「協働スタイル」に近い。
 
たしかに夫婦協働は、やり方によっては強い。パイミオのサナトリウムのためにデザインされた椅子たちは、その後アイノが友人と設立したアルテックという会社からプロダクト生産され、大戦後の好景気に湧くアメリカを始め世界中に輸出されることになる。そして家具や内装、テキスタイルなどのデザインを手がけることになったアイノは、建築家アルヴァとは違った仕事の立ち位置へシフトしていく。それらはいずれも簡潔なのに、温かさとウィットにあふれるアルヴァのデザインにも通じるが、なんというか、より冷静さが感じられる。
 ふたりはそれぞれ「同士」としてモダニズムへと邁進した。もちろん、いつもツーカーとは限らない。目標こそ近いとしても、どうしてもお互いの個性が出てしまう。たとえば服装だけど、ボヘミアン・タイプで無造作だったアルヴァに対して、アイノはファッショニスタだった。料理はしなかった。どちらかというとロシア人っぽく、ぽっちゃり体型のアイノの、短髪にアレクサンダー・カルダーがデザインしたネックレスを付け、モダンで個性的なドレスを着た写真を見ると、つい樹木希林さんを思ってしまう。ついでに言うと、女性関係でも無邪気だったアルヴァを本気で怒らなかったというところも、似ているのかも。
 主人公ノラを通して”女性の自立”を描き、一大センセーションを起こした戯曲『人形の家』を書いたヘンリック・イプセンはノルウェーの人だったし、『ムーミン』でおなじみのトーベ・ヤンソンはフィンランド人で同性愛者だった。そう思えば、北欧にはヨーロッパ的旧習から自由であろうとした女性がいい仕事をしている。「可愛いく」て「お洒落」なだけじゃない、独特のオーラを持った北欧デザインの奥には、アイノのような女性の存在があったのだろう。
 アルヴァとアイノの協働関係は、アイノが悪性腫瘍と診断された後の約20年間にも渡り、55歳で死が訪れるまで続いた。彼女は最後まで現役だった。ちょっと早すぎた感もあるけど、濃密でフェアな時間を共有したふたりにとっては、短くはなかったはずである。