Monday, March 30, 2009

パリで一番美味しいフォー屋

Rimg0872 パリでの楽しみのひとつにフォーがある。4,5年前に訪れた際、minaから「パリで2番目に美味しいファー屋」として教えてもらって以来やみつきになってしまった店は、ベルヴィルでメトロを降りてすぐにある数件のフォー屋の中の一軒で、それ以来毎回、短い滞在中でもかならず立ち寄ることにしている。旅で疲れた体にしみこむ味は、淡泊だがしっかりしていて、何度通っても飽きることがない。いつも、たっぷりのパクチーにレモンをギューっと絞った唐辛子入りのスープを一滴も残さず最後まですすってしまい、奥さんにあきれられるほどである。思えば、最初に旨いフォーを食べたのは10年以上前だろうか、ホノルルのダウンタウンにあるフォー屋だった。その後、Oさんからサンフランシスコの店も教えてもらった。考えてみると、どれも外国である。福岡でも食べさせる店はあるが、それはフォーであってフォーではない味なのだ。フランスはベトナムの旧宗主国でパリにはベトナム人が多いし、アメリカはベトナム戦争時の難民受け入れのおかげなのだろうか、どちらもベトナム直伝の味がする。ところで今回はやっと「パリで一番美味しいフォー屋」に行くことが出来た。北マレの狭い路地にあるその店に着いたのは昼の12時過ぎ。minaが開店直後の11時くらいに行かないと座れないと思う、と言っていたとおり並びが出来ていた。待つこと20分くらい、10坪に満たない店内のテーブルに案内されると、肘と肘がくっつくほどの合い席である。メニューは二つ、「汁あり」か「汁なし」。迷わず一杯ずつ頼む。奥さんは「ボブン」と呼ばれる汁なしが好みなのだ。待つほどのこともなく目の前に現れたフォーは噂に違わず旨い。しかし、デカイ。欲張って「大」にしたことを早くも後悔するがもう遅い。とうとう完食には至らなかったのが、とても残念だ。

Sunday, March 29, 2009

花の都パリ

Rimg0854 パリでのホテルはリパブリック広場が見下ろせる最上階の屋根裏部屋だった。ところが、前夜飛行機の都合で夜中の12時ころチェックインしようとすると、フロントにいた顔色の悪い男から「予約が入っていない」と意外なことを告げられ、早速一悶着あったのだ。とりあえず一部屋あてがわれ、翌朝フロントの別の男にどうなったのかを尋ねると、悪びれることもなく「予約はあった」と言う。どうやらファースト・ネームで探したらしく、僕は常々、外国でも日本式に通そうとして名字を先に書くことにしているために、予約リストから見落としたらしい。というわけで、一件落着してみてようやく、このロケーションのスゴサを素直に喜ぶことができたわけだ。窓を開け放つと、ロータリーを駆け回る車のクラクションや、雑踏のざわめきがいかにも猥雑で、「また、パリにやってきてしまった」という感慨みたいなものが沸き上がってくる。「花の都パリ」は今や様々な人種がひしめき合い、「生き馬の目も抜く」激しい都会でもあるのだ。すぐ隣にある「HABITA」の軒下には昼間から路上生活者がベッドを敷き、寒空の下、飼い犬2匹と一緒に毛布をかぶって寝ているのが見える。僕らが3日間滞在していた間も、彼らはそこから微動だにせず、そのままだった。ただ、カップにはいつもドッグフードが入っていて、2匹の犬たちはいかにも気持ちよさそうにぐっすりと眠っていたのが救いと言えば言えるのだが。

Saturday, March 28, 2009

エンリコに感謝

Rimg0290 フィレンツェといえば、ワインと料理が有名だ。到着早々、ゲストハウスのエンリコ(親切です)にオススメを訪ねると、すぐ近くに旨いトラットリアがあるらしく早速出かけることにした。ワンブロック先の角にあるその店は、天井からぶら下がった大きなプロシュートの固まり以外に何の飾りっ気もないところが好ましく、食べる前から「当たり」を期待させるのに充分な貫禄みたいなものがあった。エンリコはピザが評判だといっていたけど、ここはまず名物フィレンツェ風ステーキとオリーブオイルで蒸した白インゲン豆をオーダーした。ワインは普通に地元キャンティのごくリーズナブルなやつだ。あっという間にテーブルに運ばれた料理はごくシンプルで、長旅の後の胃袋にもOKな感じだった。新鮮なルッコラの上に載った焼きたてのステーキは塩味だけ。外はパリパリ中身はジューシーで、まぶされた細切りのチーズと良く合う。普段レアなステーキが苦手なウチの奥さんも「スゴイ肉の味がする」などと分かり切ったことをいいながら遠慮なくパク付いている。パンは白く、何の塩っ気もなく実にプレーンで、インゲン豆もいかにも優しい味だった。その後4日間の間、下調べをしてきた店をほぼ網羅して、どれも旨かったのだが結局この店を越えることはなかったような気がする。有名店の味と、地元ッ子が通うような食堂の味は自ずと違うものなのだとすれば、エンリコに感謝しなければならない。

3本脚のスツール

Rimg0540 午後のイージージェットでオルリーからピサの小さな空港に着き、それからバスで1時間ほど走ってようやくフィレンツェにたどり着いた。盆地にあって美しいアルノ川が流れる古い街並みや教会を見ると、月並みだけどつい京都を思い浮かべてしまう。観光客だらけなのも同じか。あらかじめオンラインで予約していったのだけれど、それでもウフィツィ美術館の入口はごったがえしていた。まあ、ルネサンスというよりゴシックに淡い興味を持つ身としては、カラヴァッジオの「イサクの犠牲」を見れただけでも良しとしよう。そうそう、サン・マルコ美術館のフレスコ画の淡い色合は良かった。フレスコ画って、今までなんのことかよくわからなかったのだが、要は壁画なんだ。宗教的グラフィティ?壮麗な教会にある名画なんかよりも民衆の匂いがしているようで、親近感が持てる。小さな部屋に飾られた絵を見てゆくうちに面白い発見をした。ズラリと並んだ聖人達がテーブルに座って洗礼の儀式らしきことを執り行っている。ふとみると、テーブルの手前に並んだ4個の素朴なスツールがシャーロット・ペリアンの3本脚のスツールに酷似しているではないか。分厚いトップと裾広がりな脚など、明らかに近似値だ。さすがペリアン、こんなところにも彼女の世俗寄りなデザイン魂がうかがえるような気がして嬉しくなった。

Friday, March 27, 2009

久しぶりのコペンハーゲン

Rimg0250 久しぶりのコペンハーゲンは、小雨まじりでけっこう寒かった。でも、カストラップ空港に着くとなんだかホッとする。床がチーク材で、今どきの空港のような冷たさがないからだろう。なにより、タクシーで10分も走れば、定宿にさせてもらっている岡村邸があるのが心強い。その日も、いつのまにか雪に変わった夕暮れの中、玄関のベルを押すまもなく、孝さんと恭子さんの笑顔が出迎えてくれた。デンマークの大学を卒業した娘の彩さんが、昨年末に福岡に来てくれたものの、お二人に会うのは2年振りくらいだ。彩さんは、今までにない形でダニッシュ・デザインを日本へ紹介するべく、目下着々と準備中。福岡にいらしたときは、ENOUGH ROOMに泊まってもらい、初めてのモツ鍋や博多ラーメンを喜んでもらった。部屋から見える山の風景が印象に残ったらしく、戻ってからもご両親に「アブラヤマがよかった・・・」、と何度も話されたらしい。そういえば、デンマークには山らしい山がなく、彼女にとって新鮮な景色だったのかもしれない。孝さんが家具デザインに燃え、ひとりシベリア鉄道に乗ってデンマークに渡って30年以上だろうか。彼の地にしっかりと根を下ろし、家具デザイナーとして自立され、今はその愛娘が飛び立とうとしている。そんな家庭にころがりこんだ僕たち夫婦を優しく迎えていただくと、なんだか親戚の家へ来たような不思議な気持ちになってしまう。保管していただいていたたくさんの椅子をあわただしく梱包した後、恭子さんの美味しい料理をいただき、酒をくみかわしながら第1日が暮れていく。孝さんの「友あり、遠方より来たる」の言葉が、心に残った。

Wednesday, March 25, 2009

アルコール分なしの甘酒

Rimg0902-1 今回の旅は12日間でコペンハーゲン、フィレンツェ、パリを回った。買付ツアーとはいえ、少々欲をかきすぎたようで、いつにも増して体に応えてしまった。で、面白くなかったかといえば正反対で、今まで以上に楽しめた。めずらしく旅の中盤で風邪を引いたこともあり、肩の力が抜けたせいなのか。それとも、そのすぐ前に行ったタイのおかげなのだろうか。ヨーロッパの個人主義的な主張の強さにも、「ニヤッ」っと笑って受け流す術(すべ)をチェンマイから少し教わったのかもしれない。それにしても、12日間の内、移動に費やした日が5日で、3カ所での実働日は7日間だったわけで、当分飛行機は乗りたくないってのが本音だ。特に帰国の日はしんどかった。パリで買ったペリアンのスツールやガーリッシュの椅子を手荷物にして、重量制限ちょいオーバーで強引にチェックイン。コペンハーゲンで成田行きに乗り換え、風邪薬とアルコールでうつらうつらの12時間。フラフラと入国審査を終え、福岡行き国内線へ乗り換えようと思い、チケットを見ると、なんと羽田からの出発。ばたばたしていて、チェックを怠ったせいだから自業自得。リムジンバスで赤ワインをやけのみするももはや眠れぬ。ようやく我が家にたどりつくと友人から電話。「成田、大丈夫だった?」とはなんのこと?僕らの到着寸前に起きたらしい飛行機事故、こちとら、なんにも知らなかった。でも、無事でよかった、と留守中届けていただいたアルコール分なしの甘酒でひとり乾杯した次第。

Saturday, March 7, 2009

小振りな仏様

Rimg0200 チェンマイ滞在中、「食い倒れ、着倒れ」ばかりじゃバチが当たると、一日お寺を訪れることになった。チェンマイから車で2時間、北タイ最古の街ランパーンにある「ワット・プラタート・ランパーン・ルアン」である。チェンマイより500年も前に誕生したランパーンは、ビルマの支配を受けなかったため、今でも古いお寺が残っているのだそう。確かに、なかなか味わい深い建築様式である。ただし、気温33度の戸外は当然のように、すこぶる暑い。連日、エアコン完備のクルマで移動し、ひんやりした店で物欲に耽っていた身にはかなり応える。おまけに、広い境内は砂が敷き詰められていて、歩く度にお気に入りの靴が埃まみれになってしまうので気が気ではない。テンション下がり気味だったところ、Oさんが「併設のミュージアムを見ましょう」と誘ってくれた。入ってみると、仏像がズラリと並んでいる。どれも高さ15cm程で、いずれもランナー調の小振りな仏様である。ひとつひとつ見ていくうちにその表情の豊かさにグイグイ引き込まれてしまう。それぞれが個性的で、作品的には稚拙なのかもしれないが、偶像的な威圧感がないところがいい。日本の木喰仏にも似た心休まる微笑みは、きのう屋台でガヤーンをぱくついていたおじさんの顔にそっくりだった。

チェンマイの「そぼろ」

Rimg0395 チェンマイを訪れる楽しみのひとつは、なんといっても食堂探索だろう。東南アジア全体がそうなのだが、外食する人が多い。したがって、食堂の数も半端ではない。そんな中でも、チェンマイは何処で食べても比較的外れがないと聞いた。そのうえ、アッちゃんやナリスさんという地元っ子が好む店なのだからピカイチなのは当然だろう。前回も、事前に教えていただいた店をかなり訪れ、ウチの奥さん共々そのエキゾチックな味にビックリしたのだが、今回は一層深みにハマッタ感がある。同じ店で同じものを食べるのだが、大勢で、しかも様々な食材やスパイス、香草の種類や食べ方などを教えてもらいながらだと、やっぱり格段に旨いのだ。たった2人で「おっかなびっくり」食べるのとはワケが違う。なかでも気に入ったのが「ラープ」という、ランナー時代から300年以上も食べられている郷土料理のひとつだ。豚肉などの挽肉を、パクチー、カルダモン、、ロングペッパー、ドーク・ジャンなど10種類以上の香辛料と混ぜたもので、店によってはかなりスパイシー。これをほっかほっかのカオニャオ(モチ米)とまぜまぜして食べるのだが、フト見るとアッちゃんは手でカオニャオを丸め、ラープをヒョイとくっつけて上手に食べている。早速まねしてみると、これがまた旨い。気分は地元っ子である。ちなみに、仕事でしばらく北海道にいたことがあるナリスさんは、ラープのことを「そぼろ」と呼んでいる。

Friday, March 6, 2009

仏教の国での殺生

Rimg0135 チェンマイから戻り、早くも3日が過ぎた。ヨーロッパやアメリカとは違い、飛行時間や時差も少なく、比較的楽な旅だった。なにより、チェンマイ大好きのOさん夫妻が一緒だったから、心おきなく楽しめたのだろう。町の食堂で日に4食も美味しい北タイ料理を食べ、市場で買付をし、美しい寺院を訪れ、気がつけばあっという間の1週間だった。そういえば、買付の度に悩む便秘も今回は無縁だった。これはきっと食べ物のおかげかもしれない。なにせ、チェンマイの食事には野菜が付きもの。それに、料理そのものにたくさんのハーブや香料が混ざっている。いわば医食同源みたいなものだ。「よく食べ、よく遊び、よく寝る」という生きる3原則が満たされ、なんだか子供に還ったかのような時間を過ごした。ただし、熱帯アジアであるから蚊はいる。もちろん、ホテルの部屋にはスプレーや、(最初はなんだかわからなかったのだが)テニス・ラケット型をした殺虫マシーンなんてものさえ準備されている。夜中に耳元を飛ぶ蚊の音に目覚め、ラケットを振り回し「パチッ」っという音で処刑を確認することもあるにはあった。「仏教の国での殺生」には、チト胸が痛んだが・・・。それに比べると、テラスに置いてあるレモングラスの「蚊よけオイル」のほうがずっと平和的だ。「トムヤムクン」でしか知らなかったレモングラスだが、こんな使い方もあったのだ。