Thursday, July 25, 2013

永久革命商品。


  フィンランドのデザイン、それも1950年以前の作品が、最近また新鮮に映るのは何故なんだろう? そんな疑問を持ちながら「ガラス街道」を旅してみました。なかでも、Nutuajarvi(ヌータヤルヴィ)という、今年220周年を迎えたフィンランド最古のガラス工房は、前々からぜひ訪れてみたかった場所。そこのミュージアムは創業時の工場をそのまま使ったもので、素晴らしいガラス作品はもちろんですが、木型を始め、様々な機械や道具が陳列され、当時の製作風景を偲ぶことができます。ちょっと化学的で硬質な印象を持つガラスが、実は働く人たちの汗と創意工夫でもって製品として成り立つという、いわばアタリマエのことにとても感心しました。そして、その労働者はきっと、ヌータヤルヴィの製品を日常生活でも使っていたに違いない、と思ったんです。なぜかというと、ハーマンミラー社の社員がイームズの家具を一番愛用していたということを聞いたことがあったからです。Kさんから教わったことのひとつに「労働者は同時に消費者でもある」というのがあります。自分が生産に携わった製品を、消費者として、いわば買い戻すという行為は、その製品への信頼がなければ成り立たないはずです。それからもうひとつ。以前マリメッコの作品集で、働いている人それぞれが、工場で好みの色のヨカポイカのシャツを着ているのを見て、フムと妙に納得したこともあります。その時はひょっとすると演出かな、と疑ったのですが、きっとそうではない気がします。世界中で見かける「ストライプ」は、伝統的な柄であり、時にユニフォーム的でもあります。そして、ストライプを直線ではなく、少し揺らいだ線にして色も多色を用意して遊び心を加味したことで、各人の好みを反映することができます。この先は、僕の独断なのですが、このことはフィンランドという国の成り立ちに関係しているのかもしれません。それは、経済的には資本主義だけど、一時的にせよ共産主義時代を経て、その後は社会主義福祉国家を目指していることと無縁じゃないと思います。シンプルで美しいデザインを実現すれば、余分とも思える意匠や機能を持たせた様々な商品に惑わされることも少なくなる、というわけです。そう、モダン・デザインという名前をした永久革命商品のようなものかもしれませんね。

Wednesday, July 24, 2013

フリマで見つけるアートピース。


   去年の冬にフィンランドを訪れた際、友人から紹介された「common」へ行ってみました。ヘルシンキで一番好きな地域FIVE CORNERSにある小さな店には、新旧を問わず日本の優れたアイテムが並んでいます。長崎出身の店主、中村さんは東京のBEAMSに勤務していて、北欧や民芸が好きになり、ついには奥さんと一緒にフィンランドへ移住したとのこと(スゴイ決断力がうらやましい)。そんな中村さんと話をするうちに、フィンランドの魅力のごく一部しか知らない自分に気がつきました。そして、教えてもらった、田舎で開かれるフリーマーケットに、ぜひ行ってみたいと思ったわけです。  
 それはヘルシンキから車で1時間、Fiskarsという小さな村で開催されていました。僕も愛用していて、最早これ以外は使えないと思っているほど切れ味がよいハサミを生み出す、創業なんと1649年という製鉄の工場跡地を利用した、夏限定のフリマなのです。出店しているのは、ヘルシンキにある店をはじめ色々です が、どれもそれなりにクォリティが高いことに驚きました。アメリカやフランスなどに比べると、いわゆるジャンク系のものが少なく、おかげで目の酷使が少な くて済みます。その代わりに、欲しいものがありすぎ。特にガラス製品には要注意。美術館に置いてあるものが普通に並んでいます。といってもガラスの事です から古い薬瓶やコップ、花瓶など実用品が多い。でも、そんな日常使うものが良い形をしているって、サイコーだと思いませんか? もちろん(プロなら誰でも知っていそうな)かなりレアなアート作品にも出会えます。そんな時は「ヤッタ!」と内心で叫ぶのですが、その後の値段交渉が待っ ています。まあ、そんな過程を経てorganにたどり着いた品々、良かったらジックリと観てやってください。   
会期:2013.7.25(木)〜8.11(日) 

Tuesday, July 2, 2013

強論に負けそうな自分への叱咤。


1970年代のはじめには、サンフランシスコを離れたヒッピーたちが、ポートランドに流れ着いた。その寸前、1969年8月には、ニューヨーク近郊、ウッドストックにあるマックス・ヤスガー所有の牧場内で、(当初の予想1万人をはるかに超える) 40万人以上の(自称&他称)ヒッピー達がロックコンサートに集まっている。ポートランドに流れ着いたのは、ヒッピーというレッテルに嫌気が差した人達 だったのだろうか。
 移民やその子孫で成り立っているアメリカだから、伝統指向やアイデンティティが希薄なのは仕方がない。かといって、それぞれが勝手に自分の原理でやるかと思うと、案外そうでもないらしい。実は「互いに他人がどうするかを見ながら、それを基準にする社会」だとKさんは言う。だからこそ、「アメリ カでは大衆社会、消費社会が最も早く、抵抗なく実現された」とも。
 ところで、ウッドストックに出演したザ・バンドの演奏はまるで受けなかった。かれらの音楽はラブやピースを声高に歌うどころか、南北戦争や大恐慌時代を連想させるクライ曲で、フラワーなヒッピーたちのお祭りに水をさした格好だった。
 その当時ボクは、新宿駅東口で学生やフーテンが渾然一体となった騒ぎを横目に、下宿に引きこもり、ヘッドフォンでザ・バンドの『ザ・ウェイト』を繰り返し聴 きながら、下手な歌詞を考えていた。気分だけはいっぱしのヒッピーだったが、音楽や映画に自分の想像を加えただけのもの。ベトナム戦争には反対だったけ ど、ベ平連のデモには参加しなかった。野音のロックコンサートへは行ったけれど、お目当ては女の子だった。つまり、「なにか面白いことないか子猫ちゃ ん?」だった。
 ザ・バンドのメンバー5人のうち4人はカナダ人である。アメリカとカナダは言語&文化を共有して今では友好的に見える が、独立直後のアメリカは、カナダの当時の宗主国イギリスと度々深刻な領土問題を起こしている。実は、ポートランドを含むオレゴン州についても双方が領有を主張、アメリカ側のメディアは、当時世界のヘゲモニーを握っていた大国イギリスに対して<戦争やむ無し>と世論を煽っていたことを、最近知った。オッ ト、ここで「領土問題」や「ナショナリズム」が古くて新しい問題であることが言いたいのではなかったが、なにしろ参議院選挙が間近なのである。国家同士が、良き隣人として存在することって、本当に可能なんだろうか、イヤ無理に決まっている、という強論に負けそうな自分への叱咤でもある。写真は、ただ一人のアメリカ人リヴォンだけが後ろを向いているザ・バンドの2ndアルバム・ジャケのアウトテイク写真。意味深。