Tuesday, February 11, 2014

戦いとは取引が不首尾に終わった結果である。

トルコの旅の最後はイスタンブールだった。その前にはカッパドキアその他の有名な世界遺産系にも立ち寄って、それはそれなりに見物した。イスタンブールではグランバザールという、アラブ圏によくあるスークみたいな密集土産物屋での自由行動があった。ところが、ようやく思いっきり買い物ができると喜ぶわれらツアー客に、またニハットさんのアドバイスがはじまった。「みなさん、ここには定価はありません。どんどん値切ってください。ただし、日本より異常に安い値段には気をつけてください。それは、本物ではありません!」。絨毯やトルコ石やカシミヤのストールなど、それぞれお目当てがある13名に緊張が走った。適正価格ってどれくらいなんだろう?果たして、ニセモノの見分けがつくのだろうか?
 「定価」に慣れきった僕ら日本人は、値段交渉が苦手である。ぼくも、仕入れの時には仕事なので値切るくせに、自分の買い物になるとやはり中古を探すか、セールまで待つことが多い。で、今回もアンカラの近くにある”政府公認の絨毯屋”で、いかにも達者なトルコ人のオジさん相手に精一杯頑張ってはみたが、果たしてあれが適正価格だったのかどうかは自信がない。「もっと安くなったのかもしれない」とも思ってしまうが「まあ、こんなところだろう」と折れてしまった感がある。
 アラブ圏で「定価」の慣習がない理由には、売る側と買う側のどちらも「不当な利益を得ないように」というイスラムの教えが反映しているのだという。そのためには、めんどうでもお互いにとことんまで交渉する。なるほど、銀行利子さえ認めないアンチ資本主義的な考え方だなーと思う。お金まで商品とみなすデリバティブ取引の新自由主義世界に巻き込まれている我が身を思い知らされてしまう。とこらが、我ら日本人は、値段交渉以外の論争などでも、丁々発止と、最終的に納得できるまでやりあって着地点を見出すことがどうも不得手。来てみてわかったことなのだが、トルコの西側はぐるりと地中海に面している。そこは、太古の昔からヨーロッパとアジア、中近東、そしてアフリカにかけて人々が交通し、さまざまな交易をしてきた文明のクロスロードだった。人間と人間が何かを「交換」してきた生きた世界史の場所なんだと思う。それは一方的な価値観や文化が通用しない人々が交通せざるをえない場所だったのだ。「交換とは平和的に解決された戦いであり、そして戦いとは取引が不首尾に終わった結果である」とは柄谷行人さんの言葉だ。

Wednesday, February 5, 2014

『びっくりトルコ8日間』イオニアの痕跡。

「先日、アベさんがトルコに来ました」とガイドのニハットさん。もっとも、「原発売り込みのために」とは言わない。イスタンブール市内では何度も「この地下鉄工事は日本のタイセーケンセツがやっています」などと説明する。確かに、見覚えのある大手ゼネコンのマークが建築中の囲いに見える。トルコと日本の関係が良いことを言いたいのだろうが、「国家」と「資本」が一体となったグローバル資本主義の姿を見せつけられたようで別に嬉しくはない。「みなさん、今のトルコは高速道路が発達したおかげで、ツアーの時間も短縮され便利になりました」と、ツアー客へのアピールも忘れない。そのおかげか、バスはオリーブの林を抜けて快調にハイウェイを飛ばしている。
 エフェソスに近づき、まずバスを降りたのは古代ギリシャ人が建てたアルテミス神殿。今では石柱が残るだけだが、その向こうにはキリスト教会、そしてイスラムのモスクも同時に見える。ここは、紀元前1500年ころから紀元後800年くらいまで色んな変遷を経ながらも長く栄えた商業都市だった”あかし”なのだ。どちらもユダヤ教を批判しながら派生した宗教である証拠に、ユダヤ教の「アーメン」はキリスト教徒だけではなくイスラム教徒も使うと、これまた意外発言はニハットさん。本当なのだろうか。ただし、ユダヤ教は布教ということをしない宗教なので、祭祀のための壮大な教会などはここにはない。
 古代都市エフェソスは交易港だったが、いまは土が堆積してしまい、海岸線から離れた丘の周辺に大規模な遺跡群が残るだけだった。それにしても規模が大きい。これで発掘は全体のまだ10%程度だというから驚きだ。議事堂や広場、市場や浴場、そして2万人収容の劇場などを見て回った。アントニーとクレオパトラがふたりで歩いたという石畳の大通りではエリザベス・テイラーとリチャード・バートンを気取って奥さんと記念写真を撮ってみたがいまいち。僕にはおしなべてローマ帝国の威光ばかりが目立つ印象しか残らなかった。ひとつだけ面白かったのは立派な図書館(写真)と、すぐ近くの売春宿。なんと、ふたつは地下通路で通じていたらしい。「勉強で疲れた頭と体を、リラックスするためでした」とは、またまたニハットさんの迷言。もしも、暴力で強制されたわけではない女性が、貨幣との交換に男性のエントロピーを解消したのなら、イオニア時代の「無支配」の痕跡と言えないこともないか、と無理にひとりごちた。