Sunday, June 28, 2009

「マルメロの陽光」

マルメロの陽光 随分前に映画館で観た映画を、DVDでもういちど観たいと思うことがある。そういう場合、つい「あの感激をもう一度」と願ってしまうのだが、そうは問屋が卸してくれない。以前感じたにちがいない驚きが再現されることがないのは、久しぶりに会った昔の恋人に全然ドキドキしないことと似ている。もちろん、相手のせいではない。変わってしまったのは自分の方なのだろう。ところが、スペインの映画監督ビクトル・エリセが撮った「マルメロの陽光」は違っていた。17年ぶりに観たのだけれど、一層輝きが増したように思えた。実在の画家が、初秋から冬までの3ヶ月間、庭に育てたマルメロの実が朽ち果ててゆくまでを、定点観測のように丁寧に描く課程を追って行く。それだけの映画なのである。しかし、小津安二郎がそうであるように、一見淡々と見えながらも、隅々にまでみなぎる映画的感性には驚くほかはない。アトリエに舞い飛ぶ埃、刻々と変化する光。風の音や、犬の鳴き声、部屋の改装をする工事の槌音などの具体音。そして、これも実在の家族や、古くからの友人との語らいやユーモアを捉える的確なカメラ。すべてが、まるでテクストのように豊かだ。画家は始めに油彩を目指すものの、一瞬の陽光を捉えることの困難さに、「あきらめも肝心」とデッサンへと移行する。なんとイサギヨイことか。そして不思議なエンディング。あー、また最初から観ることにしよう。今度はパソコンの小さな画面で。

Saturday, June 27, 2009

共有した場所

レニ・ルーフェンシュタール ジャン・ヴィゴ賞を受賞した「明るい瞳」というフランス映画をDVDで観る。見終わって、特典映像を覗くと、監督ジェローム・ボネルのインタヴューだった。映画後半の舞台となった場所について「何故ドイツを選んだのか」と質問されたとき、彼はこんな主旨のことを言っていた。「言葉が通じないところなら何処でも良かった。ただ、ここはドイツとフランスお互いが共有した場所だから・・・」と。舞台となった場所は映画の中では特定できないが、僕は勝手にアルザス地方を想像した。長い間ドイツとフランスで領土の獲得競争が繰り広げられ、普仏戦争や第二次世界大戦のフランス降伏に伴ってドイツに返還されたが、戦後はフランスが再占領し現在に至っている地域だ。いわば因縁の場所を、そんな風にいってしまうのがとても印象に残った。今でも世界中に「紛争地」と呼ばれる場所がたくさんある。言葉や文化が異なる他者同士が混在するところだ。お互いが排他的になりがちな場といってもいい。2年ほど前、買付でベルリンに3泊した際、ビックリしたことがある。夜中ホテルのベッドでテレビを付けるとヒットラーの映像が目に飛び込んできた。翌日はヒットラーの愛人エヴァ・ブラウンで、さらに3日目にはベルリン・オリンピックの記録映画を監督したレニ・リーフェンシュタールだった。特にドイツ終戦記念日ではなかったはずで、この国は普通にこんな番組を放送しているのだろうか、と不思議だった。それはまるで、過去の歴史を忘れまいとするドイツ・ジャーナリズムの決意のようだ。そんな思いが今のEUにつながっているのだと思う。

Monday, June 22, 2009

オルケストル・バオバブ

Rimg0158 今日みたいに蒸し暑い日には、いっそアフリカン・ポップスが聴きたい。それも、あまり垢抜けない70年代のものがいい。となると、セネガルで活躍したオルケストル・バオバブだ。ラテンの匂いにセネガルの伝統音楽が奇妙にミックスした気だるいリズム。哀愁を帯びた声で唄われるメロディー。これに限る。初めて聞いたのは1980年代後半、ワールド・ミュージックが持てはやされた時代だった。バンド名を表すかのようなバオバブの木をあしらったアルバム・ジャケットも良かった。セネガルは元フランスの植民地、今もフランス語が公用語である。そういえば、サン=テグジュペリはトゥールーズとダカール間を飛ぶ飛行士だったはず。パリ=ダカール・ラリーも有名で、セネガル料理は洗練された味で魚介系が旨いらしい。多分、一度だけパリで食べた蒸し魚のオクラ・ソース添えがそうだったはずだ。メトロのベルヴィル駅の近くにある地元アフリカン御用達風の素っ気ない店だったが、そのあっさりとした味が今でも忘れられない。もう一度行きたいのだが、連れて行ってくれた友人と連絡が取れない。友人といっても、レアールの交差点を渡るときにどちらからともなく話しかけ、知り合いになった日本人女性で、確かジャン・ポール・ゴルチェのオフィスに勤めていた。アパルトマンにおじゃまし、フランス人の優しい旦那と一緒にオーベルカンフのカフェに一緒にいったりした。何年前だろう。まだ、メール・アドレスなどなかった時代だったし、その後電話したけど不通になっていた。オクラ・ソースをご飯にかけて食べると美味しい、と言っていたっけ。話が逸れたが、肝心のオルケストル・バオバブは1987年に解散してしまった。ところが2001年に再結成、来日公演もやったらしい。写真はその再結成時に発表されたCDである。多分、床屋にかかっている髪型サンプルなのだろうが、なんだかマーガレット・キルガレンを連想してしまった。

Saturday, June 20, 2009

ブリンズレー・シュワルツ

Rimg0150 S君からニック・ロウの焼き付けCDをいただいた。なんでも6年振りの新譜らしい。ニック・ロウといえば、スティッフ・レーベルを立ち上げ、エルビス・コステロをデビューさせたことでも知られているけど、僕にとってはやはりブリンズレー・シュワルツのベーシスト&フロントマンということが大きい。70年代イギリスのパブ・ロック・バンドなんて紹介されることが多いのだが、当時のアメリカの新しい音楽に敏感反応したところがなんだか他人事とは思えなかった。1st、2ndまではちょっとCSN&Yを思わせるフォーキー・サウンドで、3枚目の「シルヴァー・ピストル」になると様子が変わり、ザ・バンドっぽいカントリー・ロックになった。まあ当時、ザ・バンド出現の衝撃はとても大きくて、色んなひとが影響を受けたのだが、ブリンズレーの演奏は本家より軽快で、なんだか親近感が感じられた。おなじザ・バンドにあこがれる身として、大いに励みになったことを覚えている。アルバムを6枚くらい出し、結局大きな成功は得られなかったが、今でも忘れがたい愛すべきバンドのひとつである。あわててレコードを引っ張り出し、ついでにYou Tubeにアクセス。おかげで初めて動くブリンズレー・シュワルツを見ることができた。思ったよりもブリット・ポップっぽくて格好良かった。肝心のニック・ロウの新譜だが、ジョニー・キャッシュの男っぽさと、ウイリー・ネルソンの人なつっこさが同居したようなアルバムで、これ又本家には出せない良い味が出ている。

Friday, June 19, 2009

Vessel社のプランター

Rimg0040 Nさんの新しいオフィスは神宮前、プレイマウンテンのすぐ近くだった。坂倉準三が設計した「ヴィラ・フレスカ」は、やっぱりモダンだ。各々の部屋は小さいが、ちゃんと独立性が保たれていて、なんと共有通路に配管が剥きだしになってるところがコルビュジェっぽい。ベランダが開放的で、都心とは思えないような風が吹いている。となりのヴィラの住人がベランダのテーブルでパソコンを打っているのがよく見える。形状はまるで違うが、ふとウィーンのフンデルト・ヴァッサーのアパートの自由さを思いだした。そのベランダには、最近Nさんが取り扱いを始めたアメリカ、Vessel社のプランターがあって、様々な植物が植え込まれている。ケース・スタディ・ハウスの写真でおなじみの、美しいプランター達である。Nさんに聞くと、1948年にLAの大学で生徒達にデザインからマーケティングまでを含めたプロダクト提案を求めたところ、いろいろに組み合わせることが出来る、幾何学的でシンプルな形ができあがったらしい。ソロバン状のものなど、ふたつ重ねるとまるでブランクーシみたいだ。それにしても、「産学連携」などということが、アメリカではとうの昔から行われていたことにビックリした。アイランド・タワーのモデル・ルームにも、このプランターをぜひいくつか置きたいものである。
エルモルイス 東京都渋谷区神宮前2-30-22 ヴィラ・フレスカ501

Thursday, June 18, 2009

建築家ジェフリー・バワ

Rimg0019-1 ANAの機内誌「翼の王国」の6月号にスリランカの建築家ジェフリー・バワが特集されていた。スリランカといえば、昔セイロンと呼ばれ、紅茶が有名で、アジアの西端にある美しい島というくらいの認識しかない。しかし、実際は今でも民族問題を抱える多宗教、多文化な国家でもある。バワ自身も、父方がアラブ系とフランス系イギリス人、母方はオランダ系とスコットランド系がアジア系と混血した家系という、訳がわからないくらいコンプレックスした出自の持ち主なのである。裕福な家に生まれた彼は1930年代、世界中をボヘミアンのように旅した後、建築に目覚めている。西洋と東洋を融合するアイデアは、後にバリ・スタイルと呼ばれるモダンなアジアン・リゾート建築のモデルとなる。その際、モダニズムという国際性を真似るのではなく、アジアの風土や民族性を取り入れたため1950年代には異端あつかいされたという。異端大好きな身として、これは看過できない。スペインやめて、急遽スリランカ行きを夢想した。彼が手がけたホテルや自邸を、この目で見てみたいものだ。風呂場に張ってある奥さん自筆の「顔マッサージ」マニュアルが、アーユルヴェーダのように見えるのは気のせいか。

Tuesday, June 16, 2009

多国籍ストリート

Rimg0139 東京滞在の最終日、銀座に移転オープンした「craft_one」を訪ねた。原宿にあった同潤会アパートと同じ設計者によるこのビルは昭和2年に建てられたもの。ということは、太平洋戦争の空襲を生き延びたわけだ。福岡と違い東京には、こんな古い建物が残っているのがうらやましい。一階の古色蒼然とした小さなエレベーターを通り過ぎた左隅に目指す店があった。店主のUさんと会うのは久しぶり。最初は8年前か、ストックホルムで買付中に陶器屋の店内で遭遇。北欧ブームの発端ともなった店のオーナーという認識があったので、無遠慮にこちらから声を掛けた覚えがある。その後、目黒通りから移転された原宿の店にも伺った。2階建てのアパート1階奥にある一室は、簡素なしつらえが素晴らしくてUさんのセンスが光っていた。今度の店は、もっと小さい。ルーシー・リーからテッド・ミューリングまで、新旧、価格を問わず、Uさんの世界がギュっと凝縮されている。飛行機の時間もあって、アタフタといとまを告げてNさんの車で最終目的「札幌ラーメン」東京風を食べに下北沢へ向かう。途中東京タワーの側を抜け、飯倉片町交差点の「キャンティ」を横目に六本木方面へ向かう。この先には昔のバンドが移籍し損なった「田辺エージェンシー」があったはずだ。あの時、もし本当に移籍が実現していたとしても、果たして第2のスパイダースみたいになっていたのだろうか(多分、否)。少し登って行った右の角に「ハンバーガー・イン」があって、そのすぐ横の地下に「IN AND OUT」があったはずだ。バスク・シャツやワークウェアに初めて遭遇したセレクト・ショップに、ドキドキするカルチャーの匂いを感じたっけ。そういえば、当時プロデューサーのガールフレンドが勤めていたんだ。大きな目に海焼けした髪、いい具合に色落ちしたベルボトムがよく似合っていた。そんなことを思い出しながら、あっという間に六本木交差点を左折した。寸前に振り返ると、そこは多国籍ストリートだった。
craft_one:東京都中央区銀座1-9-8奥野ビル102 www.craftcraft.net

Monday, June 15, 2009

乱れたグリッド

Rimg0147 2泊3日で東京に行ってきた。友人の長男の結婚式出席がメインなのだが、他に様々な用件を作ってしまい、おかげで少しグッタリした。。貧乏性の悪い癖で、スケジュールを詰め込みすぎたのだから自業自得。もちろん、色んなショップを覗いて刺激を受け、夜はお薦めのご飯に舌鼓を打ったのだから、楽しかったことこの上ない。問題は、街が大きすぎで、ヒトも多過ぎ。行きたい店も点在していて、JRや地下鉄を利用していたら、移動するだけでくたびれてしまうことだ。今回はNさんの車のおかげで、楽をさせてもらったけれど。そんな中で、古道具「坂田」はホッとする空間だった。たまたま店主は買付で留守だったが、応対してくれた年配の女性が、購入した焼き網(?)を丁寧に包んでくれた。良い具合に古びた55x40cmくらいの長方形で、どう見ても家庭用の魚焼き網よりデカイ。元々の用途を訪ねたが、わからないとのこと。勝手に、草加せんべいかなんかを焼いたものではないか、と想像した。数点あったらしいが、壁に掛かった2個が最後である。長い間に自然に周辺近くののグリッドが乱れてしまっているところがとても面白い。同行した友人の奥さんと僕が買ってしまったので、とうとう壁ががらんとしてしまったけれど、それも悪くはない。そうでなくても、東京とはいつもなんらかの緊張を強いる街なのだから。それに比べると、福岡はほどほどで良い街だ。間違っても、酔っぱらってお金を落っことす心配はないはずである。

Wednesday, June 10, 2009

Common Shape

Rimg0019 高層マンションの一室をモデルルームにする仕事を依頼され、ENOUGHとして取り組むことになり、早速田中さんのオフィスにてミーティングをやる。フローリングのダイニングと、隣接する和室をそなえた二部屋が中心になった4LDKで、素晴らしい眺望を持った物件である。本当は「靴のまま」スタイルにしたいのだけれど、今回はそれはない。他のモデルルームを見せてもらったら、北欧ヴィンテージ風や、ラブリー風、スタイリッシュ男部屋風など、かなり決めこんだ造りが多い。ここは、ENOUGHらしく、一見普通で居心地の良さそうな部屋にしようと思う。その為には、使い勝手の良い家具と、若干の改装が必要だろう。家具はユーズドや既製のものだけではなく、新たにデザインする必要もありそうだ。あまり奇をてらわず、収まりの良い”Common Shape”に満ちた部屋を目指したいと思う。エントランスから内部にかけて、すべてフラットな床なので「靴のまま」一歩手前、という感じになるはずだ。

Sunday, June 7, 2009

1989

Rimg0057-4 天安門事件から20年経つことをニュースが伝えていた。そういえば、ベルリンの壁崩壊も同じ年だったはず。気になって1989年をグーグルしてみた。すると、出てくる出てくる色んな出来事。昭和天皇崩御、消費税スタート、美空ひばり死去、宮崎勤連続幼女殺人事件、オウム坂本弁護士事件、日経平均史上最高値(それ以降ひたすら下降)などのいわゆる重大事件が多い。総理大臣は竹下から宇野、そして海部へとめまぐるしく交代した。中森明菜が近藤真彦の部屋で自殺未遂、筑紫哲也NEWS23スタート、タイマーズ「デイ・ドリーム・ビリーバー」、宮崎勤「魔女の宅急便」、ジョージ・ルーカス東京ディズニーランドに来たる、などの芸能ネタもある。時はひたすら進む。「変わるべきものを変える勇気と、変わらないものを受け入れる理性」みたいなことを言ったのはカート・ヴォネガットだったか。小津安二郎は映画の中で笠智衆に「(子どもは)後から後からセングリセングリ生まれてくるわ」と言わせていた。うろ覚えだが。

Thursday, June 4, 2009

レイ・バービー

Rimg0134 今夜はレイ・バービーのライブだった。ハコは一昨日と同じROOMSだが、立ち見で満員、熱気ムンムン、ダン・ヒックスに来ていたヒトはやはりそれ相応の年齢が多かったが、こっちは当然若い。でも、中にはそうでもないヒトもいる。ムカシ知ってたサーファー系の洋服屋さんや、DJの人たちもいて、「エッ、こんなとこで会うとは!」などとお互い意外な顔をする。そう言えば、この辺の音楽をいつごろから聴き始めたのだろう。初めてLAに行った頃からだとすれば4,5年だろうか、一枚だけCDを持っているくらいだ。にもかかわらず、一曲目、ギターのフレーズが始まった途端、グッと来た。フェンダーのジャズ・マスターを抱えたレイ・バービーは、まるでマーヴィン・ゲイみたいなヒゲとスーツ姿で、ゆっくりと身体を揺すってパイプラインをくぐり抜ける。ヴェンチャーズとシカゴ系がミックスしたような音なのだが、どうかするとドゥルッティ・コラムを思わせたり、やっぱりワイルドワンズだったりする。ジャズというかジャムっぽく、要は素晴らしいパーティーバンドなのだろう。会場でもらったフライヤーによると、トミー・ゲレロが9月にやってくるらしい。「250名限定、売り切れ必至」と書いてあった。もちろん、観たい気はあるのだが、ちょっと先のことだし・・・。

Wednesday, June 3, 2009

欠伸

Rimg0108 昨夜はダン・ヒックスのライブを楽しんだ。5年ほど前に大阪で初めて観た時より気だるい感じがよかった。一見お茶目に見えるが、神経は細かそう。曲が終わる度にステージで連発した"Excellent"という言葉が、自嘲っぽくて可笑しかった。終わって友人達と焼き鳥を食べ、バリニーズ・バーへ行ったが店休日だった。仕方なく誘われてブルース・バーへ行き、R&Bを聴いた。ダニー・ハサウェイの「ゲットー」をリクエストしてみたがダン・ヒックスの後なのでピンと来なかった。一夜明けて、Tちゃん家族と一緒にランチを食べに箱崎まで行くことになった。「天天」という店で、店先のテーブルで優しい味の中華をたらふく食べ、新しくできた「キューブリック」の2号店で本を立ち読みし、買い逃していたムック本「うつわ大国、ニッポン」を買った。行こうと思った「ソワレ」というステーショナリー屋さんは土、日だけの営業と聞き、行けなかった。そのまま帰るのも何だからと、海の中道まで車を飛ばした。海岸で遊ぶTちゃんの娘がちっちゃくて風に飛ばされそうだった。気がつくと、Tチャンも僕もさかんに欠伸をしていた。もうじき梅雨が始まりそうな気だるい欠伸だった。そうそう、長野土産といって「塩羊羹」をいただいた。塩が効いて、甘さが引き立つ味だった。Tちゃんの奥さんの店のオープンももうすぐらしい。

Monday, June 1, 2009

変身

Rimg0070 Kさんから誘われて、IMSの8階にあるアルティアムで始まるグループ展のオープニング・レセプションへ行った。なんでも発足して20年が経つこのスペースで過去に行われた8名のアーティストの作品を展示するらしい。その中のひとり奈良美智さんと少しだけ話が出来た。以前から仕事を通じて奈良さんと親しいKさんが僕がバンドをやっていたことを話すと、どんなバンドだったのかと聞かれた。最初はザ・バンドにあこがれ、突然ロキシー・ミュージックに変身しました、と簡略化して話すと音楽好きな人らしく途端にうち解けた。調子に乗って、「恐怖のこまわり君」って知ってますか?、と聞くと、山上たつひこですよね、と即答される。さすがは画家である。そういえば、彼の描く少女達の変テコな存在感は、どこかこまわり君の変身に似ているような気がする。会場では福田里香さんや、江上計太さんも来ていて、旧交を温めることが出来た。

三菱地所アルティアム開館20周年記念展
アルティアムプロスペクティヴ
‐20年の時を超えて愛されるもの‐
日時: 5月30日(土)〜6月21日(日)
10:00〜20:00
※6月16日(火)は休館日
会場: 8F 三菱地所アルティアム
料金: 入場無料