Saturday, August 29, 2009

「音のある休日」#6

Masha マーシャ・クレラ / スピーク・ロウ
 ベルリン出身の女性マルチ・アーティスト待望のソロアルバム 3 作目。今回は、同じドイツ出身の作曲家クルト・ワイルなどの作品をカバーしたもの。
 ワイルといえば 1929 年「三文オペラ」で有名になり、その後ブロードウェイに進出した音楽家。ドラマティックで感傷的なメロディが、今の時代、どんな風に料理されるか興味津々だった。
 聞いてみると、シンプルなバンド・サウンドが意外にもマッチしている。限りなく少ない音で空間をデザインするスタイルは、やはりドイツならではのもの。マーシャの愁いを含んだ(といっても湿度ゼロの)ボーカルが、大衆音楽の古典に新らしい光を当てているかのようだ。
(西日本新聞8月23日朝刊)

キャンプ

Rimg0371-1 『M*A*S*H』DVD特別編を観る。何度観ても、ドナルド・サザーランドの迷彩帽はダンディだし、例のエリオット・グールドがマティーニにオリーブを放り込むシーンには思わず膝を打ってしまう。サザーランドはカナダ出身、イギリスで舞台俳優としてデビュー、グールドはニューヨーク出身のユダヤ人でやはり舞台俳優。二人ともこの映画がきっかけで人気俳優となった。原作は朝鮮戦争を舞台にしたカートゥーンで、それに大胆&強烈なおふざけ感を加味したもの。1970年に公開され大ヒット、カンヌ映画祭でグランプリも取っている。当時はヴェトナム戦争まっただ中。一応朝鮮戦争を描いているのだが、見るうちにどうしてもヴェトナム戦争を連想してしまうところが監督ロバート・アルトマンの狙いだったようだ。それにしても、前述の2人が、軍隊という「真面目であるべき場」で演じる不真面目さがサイコーだ。それは、スーザン・ソンタグがいっている「キャンプな感覚」に近い。ソンタグは著書『反解釈』の中で「われわれは、不真面目なものについて真面目になることもできれば、真面目なものについて不真面目になることもできるのである」、といっている。ソンタグは又、対照的にポップ・アートについてこういっている、「キャンプと関係があるとしても、やはり平板で乾いており、真面目であり、究極においてニヒリスティックである」。これは、もちろんアンディ・ウォーホルを思い浮かべてもイイし”King Of Pop"と呼ばれることになった人を思い浮かべてもイイ。対して、キャンプとはやさしいシニシズムであり、快楽を欲しているから消化にいいのだ、ということになる。

Wednesday, August 26, 2009

Sugar or Honey?

Rimg0338 ホーチミンでの4日間は、当たり前のように連日フォーだった。到着した夜は、矢も楯もたまらずホテル近くの店に駆け込み、禁断症状をなだめるように牛のフォーをズルズル。次の日はフエ・スタイルのフォーだったが、上品すぎて庶民派の味ではない。なので、3日目はもっと辛いフエ風にトライして納得。昼は古いチャイナタウン、チョロン地区で小母さんが中華鍋でガンガンやっつけたチャーハン。で、最後の夜は” Ba Ca"と呼ばれる大衆食堂へ。入り口に並んだいろんな大皿をいくつか指さしでオーダー、なんだか大名にある「青木食堂」みたいだ。どれも家庭料理っぽくて胃袋が大喜び。「インゲン豆の煮浸し」と「焼なす」に歓喜し、「軟骨付きゆで豚」の甘くジューシーな味にビールが進む。甘辛い煮魚、ピリ辛のチキン、ホウレンソウのスープなどなど、苦手だったインディカ米の香りも料理にピッタリで、気がつくとほぼ完食。とその時、そばを通りかかった店の小母さんが、小さなガラス容器に入ったものを2個そーっとテーブルに置いていった。食べてみると自家製ヨーグルト。けっこうサワーなのだが、蜂蜜の甘さがイイ。勘定を払うとき、「甘さは蜂蜜ですよね?」と聞くと、小母さんは「砂糖」、と答えた。どう考えても、ハニーの甘さだと思うのだけれど・・・。

Tuesday, August 25, 2009

Uncle Ho

Rimg0142-1 空港からホテルまでの車中、短い時間だったけど、現地のグンさんにヴェトナムについて少し質問をしてみた。彼が生まれたのはヴェトナム戦争が終わった2年後。当時、もうサイゴンは独立運動の象徴である「ホーおじさん」の名前をとってホーチミンに変わっていた。でも、今でも郊外から町へ向かうときには、つい「サイゴンへ行く」と言ってしまうらしい。突然、町の名前が英雄(といわれる人)の名前に変わるってのは、一体どんな気分なのだろう。現在、中国とは仲が悪いらしく、また、枯れ葉剤などの問題もあってアメリカ人を嫌っている人が多いとも言っていた。ちょっと意外だったのは、100年近く統治したフランスについては、「いろいろなことを学んだ」から、と好意的。たしかに、デュラスの映画やペリアンの自伝など、フランス人の目を経由してヴェトナムを見る時ですら、なんだか少しだけ救われる気がする。もちろん、ヴェトナム戦争以前は、独立を目指し、フランスとも激しい戦いを繰り広げたのだから、そんなにシンプルな構図ではないのだろうが。でも、バゲットが美味しかったり、町のそこかしこの壁に残るフランスっぽいフォントや色彩を目にすると、なんだか不思議な気分になってしまう。そういえば、フランス人とヴェトナム人は、どちらもプライドが高そうでもある。ところで、短期間だけど、フランスと共同統治した日本は、ヴェトナムに何を残したのだろう。グンさんに聞き逃した質問だ。

Monday, August 24, 2009

ホーチミン

Rimg0052-2 初めてヴェトナムへ行った。社会主義国だが、中国と同じように開放政策を実施しているので、アメリカや日本の資本も入っている。目抜き通りにあるルイ・ヴィトンがやけに目立つ。ベトナム戦争まではサイゴンと呼ばれていたホーチミン市は人口500万という大都市。公共交通機関がバスだけとあって、すさまじい数のバイクが庶民の足となっている。自家用車はピカピカの高級車で、他はとにかくバイクだらけ。そのうえに大きな交差点やロータリーには信号機が少なく、外国人にとっては決死の横断となる。ところが、彼らはあわてる風もなく、車やバイクの間を縫って器用に横切ってゆく。僕らは、戦争中、アメリカ軍の情報センターだったREX HOTELの前にある国営デパート3Fのカフェから、そんな光景をアイス・コーヒーを飲みながら飽きることなく眺めていた。コツはどうも「あわてず、騒がず、悠然と」、のようだ。国営デパート内にあるスーパーのクローク係のおばさんはまったく愛想なし。モチロン、僕らは、そんなことはお構いなしにフォーを食べ、汗だくになりながら、路上に座ってコーヒーを飲む人々をかきわけて一日中町を歩き回っていた。

Sunday, August 16, 2009

「パリ・キュリイ病院」

Rimg0449 野見山暁治の「パリ・キュリイ病院」を読み終える。後に「四百字のデッサン」で非凡な文才を発揮することになる画家の処女作であり、突然異国で病に倒れた妻に起こった現実を表した容赦なしの報告書である。医者や友人達の世間的なアドバイスに耳を貸さず、あくまで自分のやり方で妻の最期を看取る姿がラディカル。まるで、回りの理解を意図的に拒むかのようだ。妻が理不尽な病魔に冒され、そして死んで行く様子を完璧に示そうとする文章は明晰過ぎて、ちょっと恐いくらいだ。読み終えるのに時間がかかったわけである。もちろん、「泣き」の場面は少ないが、亡くなる前、かろうじて意識があった妻の言葉にドキリとした。「オニイ(彼女は野見山のことを”兄”になぞらえ、そう呼んでいた)が見えるよ。だけど、ぼーっと、しとうとよー」。唐突に現れた博多弁だ。1950年代のパリに、つたないフランス語と博多弁をしゃべる夫婦が確かに存在したことの証言だ。感情の中立性を探求するかのような文体に現れたハプニング。若き絵描きはシリアスに、やさしい。25年振りに復刊された表紙を飾るのは(おそらく短い時間二人が住んだアパルトマンを描いた)妻の無邪気なドローイングだ。

Tuesday, August 11, 2009

白紙投票

Rimg0383 衆議院選挙の公示日は18日。選挙カーの騒音が、また始まるかと思うと、すっかりブルーになってしまう。我が家は駅前なので、広場でのアピールも強烈。昔と違い、格段に性能の良くなったPAからひたすら連呼される候補者の名前が、すさまじい切れ味でビルのコンクリートを突き抜けて店内を駆けめぐる。この音圧はヘヴィメタ以上だ。今どき、こんな迷惑な選挙システムを続けている先進国も珍しい。こんなナイーブなことを平気でやってる候補者には、とうてい投票する気にはなれない。1950年に制定された公職選挙法という恐ろしく古い形式にメスを入れる公約をする人がいたら、すぐ応援するのだが・・・。オバマ氏はインターネットを使って支持者や選挙資金を増やした。日本もWEBを使って公約を明らかにするシステムが検討され始めたらしいが、さて実現するのやら。当然、今回は間に合わない。棄権をするのは癪だが、誰に投票するかの判断材料が少ない。ここは、白紙投票するしかないだろう。もちろん、民主主義の権利を放棄するのはもったいない。ボイコットという態度くらいは表しておきたいものだ。それにしても、わざわざ投票所に出かけたものの、「投票したい候補者がいない」というのは実に情けない。「政権交代」は確かに魅力的なタームだけれど、消費税を上げないというのは、もはやどう見ても現実的ではなく、ポピュリズムにおもねったマニフェストにしか思えないところに民主党の弱みが見えてしまう。

Sunday, August 9, 2009

「音のある休日」#5

Marco B2 マルコ・ベネベント / ミー・ノット・ミー
 
 ある時はキース・ジャレットのように静謐なソロ、そしてある時はロック・フェスティバルのような轟音。マルコの弾くピアノは振幅が大きい。一見、即興演奏のようだが、実は緻密な構成に基づく演奏は、ドラムとのアンサンブルから生みだされるという。なるほど、一体となったリズムがユニーかつ新鮮なフレーズを奏でている。
 本来ピアノが持っている打楽器的な機能の再発見。そして、それをジャズやゴスペル、ロックへと適応させることで最新の音楽へと昇華させる可能性。センチメンタルなピアノのメロディに寄り添うように、時折もれ聞こえる鼻歌のようなハミング。ふと、グレン・グールドを思い浮かべてしまった。
(西日本新聞8月9日朝刊)

Thursday, August 6, 2009

唐津へ行った

Rimg0392 yukarinを誘って、唐津へ行った。パリでフレンチ料理を教えている彼女にぜひ「川島豆腐」を味わって欲しかったからだ。実は、先週我が家で料理を作ってもらったのだが、どれも野菜中心のあっさり味だったので、きっと出来たての豆腐も気に入ってもらえると考えたのだ。お酒も好きなようで、売り切れてなければ菊姫の山廃生酒も飲めるかもしれない。彼女と知り合ったのは、去年だったか共通の友人から紹介され、今年の初めその友人の結婚式にパリから駆けつけた彼女と東京で再会、6月には福岡に帰郷した際に一緒にお酒を飲む機会があった。なんでも、二十歳の誕生日にそれまで貯金したお金でロマノ・コンティを買い、ワイン道に足を踏み入れたらしい。当日も、朝の5時まで友人と飲んでいたらしく、車の後部座席で仮死状態だった。ところが、「川島豆腐」に着くと俄然元気になり、「こんなに酵母菌が生きている日本酒は初めて・・・」などといいながら、実に美味しそうに飲んでしまった(さすがにお代わりは辞退してビールにしていたが・・・)。その後、近くの「ツルヤ」でカステラを買い求め、「隆太窯」へ。ギャラリーでじっくり鑑賞するが、「お金を貯めて、いつか気に入ったもの全部買う」からと、今回は我慢らしい。友人だという鰻屋「竹屋」の娘さんや、着流しが似合う呉服屋「池田屋」の若旦那とお茶を飲み、11月の「唐津くんち」での再会を期し、七山温泉へ。ぬるめのお湯ですっかりリフレッシュした後、夕闇迫る中を滝見物。先日来の雨のためか、ゴーゴーとすごい勢いの水にビックリ。最後は、福岡に戻り、閉店間際の「TURIP」に滑り込み、ビオワインと新鮮野菜のディナーに舌鼓を打ちながら最近のパリ話。10日に戻る際には、ミョウガや大葉を持ち帰るという。なんでも、暑いパリ、日本のソーメンにそれらを入れたものがとてもウケがいいらしい。パリジャンも夏はあっさりジャポニズムがお気に入りなのだ。

Monday, August 3, 2009

冠婚葬祭にも履ける靴

Rimg0340-2 今年の夏は、もっぱらレインボウ・サンダルで過ごしている。足裏に当たるヌバックの感触が気持ちいいし、ビーチサンダルにしてはソールも厚めなので履きやすく、とても重宝している。フットギアはやはり履き心地が一番だ。それでも、時々思い出したように革靴を引っ張り出してきて足を通すことがある。でも、すっかりスニーカーに慣れきって弛緩した足は、容易には革靴を寄せ付けてはくれない。やれWESTONだ、イギリスのベンチメイドだと背伸びして買った革靴は、たしかにカッコイイのだが、やはり甲高、幅広の僕らには不向きなのだろう。それに、当時(1980年代)はジャスト・サイズが主流で、店員さんも大きめを選ぶことを許してくれなかったから、買った後も血豆や外反母趾的苦痛にさいなまれたりしたものだ。そんな中で、ALDENの"Jacobson"と呼ばれるモデルだけは例外だった。元々矯正用だった木型を使ったこのモデル,パリのJacosenという靴屋が別注したものだとか。僕はBEAMS福岡店で、まずVチップ、その後ストレート・チップを買った。当時で6万円くらいだっただろうか、チャップリンの映画に出てきそうな独特のいびつなシェイプと、足を入れた途端にピタッとくる感じに驚いた覚えがある。長歩きしても一向疲れないとあって、以来、何かといえば着用したのだが、ある時、買い逃していたプレイントゥがどうしても欲しくなったのだが、時既に遅しの廃盤。ところが、最近ひょんなことから、中古で入手することが出来た。これで、短パンにはモチロン、冠婚葬祭にも履ける靴が確保できたというわけだ。

Saturday, August 1, 2009

「音のある休日」#4

Hot Dowg デビッド・グリスマン / ホット・ドーグ

 マンドリンといえばカントリーやブルーグラスなどでもおなじみの楽器。そんな固定観念を変えてしまった男がデビッド・グリスマン。数々のレコーディングに参加、次第にジャズやジャンゴ・ラインハルトなどに傾倒、即興演奏に適していたマンドリンに新たな魅力を加えた。
 1979年に発売されたこのアルバムは、遂にビルボード誌ジャズ・チャートで堂々1位に輝くという快挙を成し遂げた。名手ステファン・グラッペリのバイオリンを始め、ギターやウッドベースといったアコースティックな楽器が醸し出す軽快なアンサンブルはハッピーそのもの。ジャンルはもちろん、時代を超えても聴き継がれる名盤である。
(西日本新聞 7月26日朝刊)

「音のある休日」#3

51Gigwsfmwl リメンバー・リメンバー / リメンバー・リメンバー

 ポスト・ロック(ロック以降)と呼ばれる音楽がある。「反体制」という”大きなテーマ”を掲げたロックが、あまりに巨大化、商業化した後を受け、主に80〜90年代以降に反動として現れた動きだ。
 その中に、一見凡庸で”私的な物語”を紡ぎ出すような音楽が存在している。リメンバー・リメンバーと名乗るイギリスのユニット(実は一人らしい!)は、ギターと様々なサンプリング音を重ね
ながら、音響的でロマンティックなメロディーを生み出す。
 反復される牧歌的なフレーズに身を任せ、ボンヤリと聞き流すのもイイ。でも、注意深く聞くと、実は繊細な批評性を合わせ持つ音楽でることが分かる。
(西日本新聞 7月12日朝刊)

「音のある休日」#2

Tuma ジョルジオ・トマ /マイ・ヴォーカリーズ・ファン・フェア

 「イタリアといえばカンツォーネ」とはいにしえの話。ジョルジオ・トゥマは南イタリアに住みながら、英語で端正なソフト・ロックを生み出した。今、世界中のポップスは確実にボーダーレス化している。
 アントニオ・カルロス・ジョビンとブライアン・ウィルソンが好きだという彼らしく、アルバムはボサノバやうっとりするコーラスに彩られている。その上、60年代の艶笑イタリア映画のサントラのように甘酸っぱい哀愁が漂っているところがツボなのだ。やはり、出自は隠せないものと見た。しっかり練られたアレンジとさわやかな演奏に、耳の肥えたリスナーもハッピーな気分になってしまうこと請け合い。梅雨空も、まんざら悪くない気分だ。
(西日本新聞 6月28日朝刊)

「音のある休日」#1

6月から西日本新聞の日曜版文化面で始まった「音のある休日」という小さなCD紹介コラムを、隔週で書かせていただいている。「週末にくつろいでもらうために、現在入手可能なCDを紹介する」という主旨で、ジャンルにこだわらなくていいという前提でお引き受けした。おかげで、またポップスをちゃんと聞いてみるきっかけになったと思う。よかったら読んでみてください。中にはorganで販売しているものもあります。


Mocky
モッキー/サスカモォディ
 ファイストやゴンザレス、ジェーン・バーキンなどの作品でも活躍するカナダ人ミュージシン、モッキー。60年代のソウルやジャズを思い起こさせるような新作は、ゆったりとしたメロウな演奏が主体だが、適度に混じる夢見がちなヴォイスやハミングも気持ちいい。トンガったクラブ系とは違い、どこかで聞いたことがあるような親密なメロディは、一人でぼんやり聞くのにもうってつけだ。
 レコーディングはセルジュ・ゲンズブールも使っていたというパリのスタジオ。なるほど、時代を超えたかのようなヴィンテージ感が漂っているわけだ。長くつきあえそうな一枚である。
(6月14日、西日本新聞朝刊)