Monday, April 21, 2014

これだから、買い付けという名の旅はやめられない。


 ビクトリアの郊外の高級住宅地にあるアンティック屋を訪ねてみた。思ったとおり、イギリスの古いものが多く、残念ながら収穫なし。ただし、そこで入手したリーフレットにはバンクーバー島に存在するアンティック屋が、その数20軒くらいだったか、ザックリした手描きの地図付きで網羅してあるではないか。ただし、この島は前述したように九州とほぼ同じ面積だから、3日間の滞在では行けるところも限られる。各店の得意分野の説明を頼りに、行くべき店の住所をガーミンに登録。というわけで”雄大なカナダの自然を満喫”するはずが、その日から結局仕事モードにすり替わってしまった。もちろん異存なし。いつもそんな風なんだから。
 結局、島の南半分を走って計10軒くらいを探索できた。行ってはみたものの、3、4軒は移転していたり廃業だったりで無駄足。何年前につくったリーフレットか知らないが、観光客目当てのこの種の商売が楽でない証拠ともいえる。そして、やはり圧倒的にノスタルジックなイギリス物が多い。もちろん、お目当てのネイティブ系やイヌイットの人々の工芸品もあるにはあるが、手が伸びない。たとえばトーテムポールだが、どこでも幾つかはあるのだが、立派すぎたりチープすぎたり。もともとスーベニアなのはわかっているけど、なかなか触手が動かない。それでも、気がついたら少しづつレンタカーの後ろに荷物が溜まっていた。
 後半の4日間はフェリーでバンクーバーにもどり、市内を中心に探索するが、アンティック屋は以外に少ない。とりあえず、事前に調べていた週末のフリーマーケットへ行ってみた。アルメニア人のコミュニテイセンターが会場で、規模は小さかったけど、やはり楽しい。色んな個性を持った出店者から、モノにまつわる様々な話を聞きながら、買い付けてゆく。嬉しかったのはこの地方独特の古いバスケット。トライブによって模様に特徴がある日用品は、大切に使われた痕跡を含めて、素晴らしいパティーナを生み出している。絵のパターンには、アイヌの人々の模様と近い感覚を強く感じた。たとえば、写真のテントの左側に写っている絵がそうだけど、バリー・マギーにも通じるような気がするのは僕だけではないだろう。考えて見れば、太古からベーリング海峡をわたってアメリカ大陸へ移動したのは、モンゴロイドだったはず。今でこそ彼らは北の方からイヌイット、インディアン、インディオなどと呼ばれるが、最終的には南米大陸の果てへたどり着くという、呆れるほどの時間と距離を旅したわけだ。
 バンクーバーのダウンタウンにある「マックロード」という古本屋で、ところ狭しと積まれた本の山をかき分けて、ネイティブ・カナディアンの本を物色して表へ出て歩いていると、奇妙なアンティック屋を見つけた。ショーウィンドウ越しに、無国籍で雑多なモノたちがひしめき合っている。こういう店はハズレも多いのだが、もちろん要チェックだ。迎えてくれたのは、仙人のような白ひげをたくわえ、髪は頭にチョンマゲのように結わえたフラワーな小父さん。「気になるものがあったら、声をかけてね」と笑顔が嬉しい。すると、ところ狭しと並んだ陶器類の棚の一番下の奥にひっそりとスティグ・リンドベリと思われるハンド・ペインティングのベースを発見。早速見せてもらいたいとお願いしたら、「知ってるかい?あれは、スウェーデンの有名な陶芸家のスタジオものなんだ」と、ちょっと自慢気。値段を見ると、ご当地スウェーデンよりもリーズナブル。もちろん、ありがたくいただきました。これだから、買い付けという名の旅はやめられない。

Wednesday, April 16, 2014

缶バッジのおかげ。

空港で予約していたレンタカーを借り、まずはGPSをフェリー乗り場にセット、そこから船でバンクーバー島へ向かうことにした。地図では小さな島に見えるが、実は面積は九州とほぼ同じ。中心となるのは古いイギリスの風情を残したビクトリアという街。夕方ホテルにチェックイン。明日からの「大自然探訪」に備えて早寝するつもりが、つい、やっぱりフラフラと街へ出る。事前に調べていたアンティック街は、残念ながら5時ぐらいでぜんぶ閉まっている。気が付くと、歩いている人にアジア系の人がとても多い。あとで調べてみるとバンクーバーの人口構成は中国人、韓国人、日本人、東南アジア系を合わせると35%とのこと。したがってフォー屋もある。晩飯が決まった。長時間の旅で疲れた体に、つるつる&ズズーと染みわたるヌードルは、本当にありがたい。
 後日、バンクーバー都心から車で30分ほど走り、ブリティッシュ・コロンビア大学へ行ったみた。大学のロゴが入ったスウェットやパーカーに目がない僕が目指すのは生協。英語ではシンプルにブックストアである。ところが、あまりに広大な敷地なので迷ってしまい、歩いている東洋系の学生さんに英語で声をかけてみた。すると、自分もちょうどそっちへ向かうので、案内しましょうとのこと。お言葉に甘えて、彼と一緒に歩き出すと「どこから来たんですか」と尋ねられ、「日本です」と答えたら「では日本人ですか、ぼくもそうです」と返答され、お互いニッコリ。それから、日本語で少し話をしてみると、半年間の語学留学らしく、近くにホームステイしているとのこと。一緒にいた同じくアジア系女性もてっきり日本人と思ったら韓国人とのこと。日本にいると、ギクシャクした印象を待たされてしまう日韓関係は、ここにはなかった。
 いつ頃からか缶バッジを集め始めた。だから、僕のジャケットの胸にはたいていお気に入りのバッジが付いている。今回は、たまたま、その中でもシンプルなデザインで、多分1970年代アメリカのものを付けてカナダへ行った。”VOTE” とあるから、なにかの選挙のアピールのためだろう。”L.I.U.”は、個人の名前の略と思えないでもないが、労働組合系のパーティー(政党)のことかもしれない。今回の旅では、このバッジのおかげで、歩いていると結構声をかけられてしまった。おおむね「誰を応援してるんだ?」と話しかけてきて、僕は「さー、誰だろうね」と応え、笑顔で別れる。たったそれだけのことで、この街が気に入ってしまうっていうのは、ナイーブすぎるのだろうか。

Friday, April 11, 2014

社会や政治にコミットするタレント。

1ヶ月ほど前、友人のボサノバ奉行さんから、LOVE FMの新番組の話をいただいた。前身だった天神FMで担当していた”サウンド・アーカイブ”から早16年経っている。当時は仕事を含め、いろんなことが悪い方向に向かい、かなりクサっていた時期だった。サラリーマンらしく、自分の給料分は自分で稼がなければと、月〜金1時間の枠を、オペレーションを含めてひとりでやったけど、結果ははかばかしくなかった。スポンサーだったBEAMS、ラリアートさん、ごめんなさい。そんなこともあって、ラジオはもうないだろうと思っていただけに、嬉しくてすぐ引き受けてしまった。
 9歳で我が家にテレビがやってきたが、音楽はもっぱらラジオを通して楽しんでいた。三橋美智也からニール・セダカ、そしてビートルズが登場するくらいまで、ドーナツ盤を買うきっかけは、ほぼラジオだった。全国ネットのアメリカン・ヒットチャートはもちろん、地元のAM局も日課のようにチェックしていた。そんななかで、なぜか記憶に残っているのが前田武彦がやっていた東芝の洋楽番組。たしか夜の10時くらいだったか。マエタケさんの音楽ネタはイマイチだったけど、トークが面白かった。ソフトだけど社会の矛盾を突くようなジョークと、相手の女性アナを困らせるやり口に、青年はいたく刺激されたのだ。その彼は、テレビに進出して『ゲバゲバ90分』で人気を獲得するのだが、フジテレビの番組で「共産党バンザイ」をさけんで降板させられ、芸能界からフェードアウトしていった。ちなみに、彼はもともとタレントではなく、番組の構成や台本を手がける「放送作家」。そして、戦争中は海軍で「特攻」の訓練を受けた経験の持ち主だ。
 その『ゲバゲバ90分』といえば、大橋巨泉だろう。彼もスタートは放送作家で、ボクが初めて遭遇したのは、やはりラジオのパーソナリティとしてだった。タイトルは忘れたけど、深夜帯だったか、ジャズを紹介する番組だった。カーメン・マクレエの唱法がサラ・ヴォーンと如何に違うかってことや、落語や賭け事の話を熱心に語っていた。自分の趣味やスタイルを持っている”いい加減な大人”という感じがリアルだった。その後の彼は、ある時期芸能界に君臨し、数々の名物番組をモノするようになるのだが、やはり『イレブンPM』が忘れがたい。ぼくも、葡萄畑というバンドで、一度だけ出演したことがある。東京をはじめ、各地にライブハウスが登場し始めた頃だ。ぼくらがそんなシーンで「最も注目されているバンド」というコメントに、当日夜の放送を観てびっくり。僕らの演奏は事前に収録されてその日の夜に放映されたのだった。スタジオに朝から入り、楽器をセッテイングしたものの、その後はひたすら待機。ようやくビデオ撮りが終わったのは夕方近く。入れ替わるように、氏は例の笑いを響かせてスタジオに入ってきた。まるでオーソン・ウェルズの登場みたいに、周りのスタッフに緊張感が走った。話しかけたかったけど、できなかった。
 バンクーバーへ行くことを決めた時、巨泉氏が59歳で「セミリタイア」をして日本脱出した先がそこだったことを思い出した。彼は今、病と戦っている。社会や政治にコミットするタレントが、また日本からいなくなってしまうのだろうか。

Thursday, April 3, 2014

アップグレード

先月は、前から一度は行ってみたかったカナダ、バンクーバーへ。
それも、初のビジネスクラスである。これまでの旅行数からいえば、相当のマイルが溜まっていてもおかしくないのに、格安チケットを狙ってその都度いろいろな航空会社を選んでばかりいたので、どこも寸足らず。ある時期からコリアン・エアに絞った結果のアップグレードなのだ。当然すさまじくコンフォタブルで、9時間のフライトなのに「えっ、もう終わり?」というくらいあっという間に着いてしまった。もっと乗っていたかったくらいだ。次回からの旅行はまたエコノミーだと思うと、早くも暗澹たる気持ちになる。帰りの便でも、ゆっくりくつろぎ、映画を楽しんだはずなのに結構長く感じたのは、行きと違って12時間という、ほぼヨーロッパ便とおなじフライト時間だったからなのか。ところが、我が家にたどり着き、買い付けた1個25kgの荷物数個をヨイコラショとビルの4階まで運ぶのに、右足と腰が引きつったように違和感があって思うに任せない。もちろん、マッサージにも行ったが、1週間たってもはかばかしくない。つらつら考えるに、これはビジネスシートのせいではないか?という思いに至ってしまった。
 思い返すと、思い当たることがある。アノ、多すぎるシート調節機能である。物珍しいので「ああでもない、こうでもない」とやたらにいじくり回したのだ。いつものエコノミーの単純なリクライニングしか知らない初心者であるから、ひたすら試行錯誤を繰り返したのだ。しかし、どれが自分にとって一番コンファタブルなのかよくわからない。なにしろ、電動で背、座面、脚おのおのが、こまかく無段階コントロールできるのでその組み合わせはほぼ無限といっていい。そのうえ、さまざまな酒やワイン、カクテルも無限だ。いつも以上に酒量が増えるのは、理の当然というもの。多分、したたか酔っ払って不思議な姿勢をとったまま、コーエン兄弟の新作映画を2回リピートしつつ眠りこけたとしか思えない。やはり、窮屈さに耐えかね、ときどき離席してストレッチに励むほうが性に合っているのだろうか。