Wednesday, November 28, 2012

オフ・ビートな街、ヘルシンキ(2)。

探していた店は、ネオンのおかげですぐに見つけることができた。その名もSea Horse 。店に入ってみると、奥の壁一面に描かれた大きなタツノオトシゴが、フィンランドらしいレトロ&キッチュなデザインで迎えてくれた。だが待てよ、その「フィンランドらしい」というのが、わかっているようでよくわからない。10年ほど前だったか初めてヘルシンキを訪れた時、広い道路や、重厚な建物、歩く人々のちょい暗めな表情が、他の北欧の都市とは決定的に違っていた。僕は多分、共産主義の残り香みたいなものに勝手に敏感になっていたのかもしれない。今のフィンランドは資本主義の国だが、古くからスウェーデン、ロシアとの関係に身を砕いてきた国でもある。独立したのは1917年ロシア革命のさなかで、第二次大戦後はソビエト連邦の強い影響下にありながら、自由主義圏に留まるために微妙な舵取りをやってきたようだ。だから一見「オフ・ビート」なこの街は、実はいくつもの政治的な季節を知っている。それはカウリスマキの映画を観ていても感じる、ある種のヤルセなさに通じる。ところで僕は、共産主義は支持しないが、社会主義だったらかなりの度合いで肩入れしてもいいと思っているフシがあり、フィンランドという国にとても興味がある。そういえば、アルヴァー・アールトの椅子って、今思えばかなりソレっぽいと思う。特に代表作である三本足のスツールは、使う人を選ばない、とても社会的&アノニマスなツールなんだと、今更ながら恐れ入ってしまう。パイミオというサナトリウムの為のデザインでデビューしたのは1932年。”パブリックこそ美しく”を自身のモティベーションに取り込んだアールトのセンスはやはりスゴイ。センスといえば、Sea Horseの料理のセンス、つまり味はとても良かった。基本ベーシックな魚料理は、ナショナルではなく、地味にコスモポリタン。不気味な風が吹くこの季節には、ここのサーモンのクリームスープはかなりオススメです。

Wednesday, November 21, 2012

オフ・ビートな街、ヘルシンキ。

ほぼ5年ぶりに訪れたヘルシンキ。空港からタクシーで市内に入ったのは午後4時過ぎ。11月初旬なのに早くも日が暮れなずみ、街は冷たい雨に煙っている。長い飛行の旅から開放されたと思ったら地上は生憎の天気である。ところが、気分は案外悪くない。タクシーの窓越しに滲んで見えるけばけばしいビルのネオンサインが懐かしい。「大きな期待は無用。ここはオフ・ビートな街なんだから...」と内なる声が聞こえてくる。中心部を抜けて、タクシーは予約していたホテルへ向かう。アンティック・ショップやオークション・ハウスもすぐ近くという、ぼくの商売にピッタリの場所である。チェックインを済ませ、スーツケースや梱包資材を入れた大きな段ボール箱を部屋に放り出し、さっそく街へ繰り出した。そういえば、日本のプロダクトを販売しているcommonという店が近くにあるはず。LAにtortoiseという店があるけど、ここも日本の今の作家たちの作品を積極的に紹介する店と聞いている。6時の閉店まであとわずか、と思ったらワンブロック先に発見しアッという間に入店。聞くと、店主の中村さんは長崎の出身ということで勝手に親近感をいだいてしまい、滞在中に御飯を食べる約束をしつつ、今夜オススメのレストランを教えてもらうことになる。実は前もってチェックしてきた店は最近味が落ちたらしく、オススメできないとのこと。それじゃあと、魚くんを食べたい旨を伝えると、「外見はピンクのネオンが怪しいんですが、MONOCLE の編集長タイラー・ブリュレお墨付きのオニオンステーキもある典型的なフィンランド料理の店はどうですか。アキ・カウリスマキの映画に出てきそうな店ですが...」。ウーン、福岡を『世界で最も住みやすい25の都市』で12位にランク・インさせた人のレコメンもいいけど、なによりカウリスマキっぽい店というのが気になる。それに、名物であるニシンのソテーも美味しいと聞いて、モチロン急ぎ伺うことにした。

Thursday, November 1, 2012

里帰りしたヒッピー。

先日のトークショーで、プチグラの伊藤高さんが見せてくれた映像は、ムーミン生みの親トーベ・ヤンソンの暮らしを記録した8ミリだった。当時ヒットしていたS.マッケンジーの『花のサンフランシスコ』に合わせて、ひとりダンスをするトーベは、スウェーデン人らしいシルバーブロンドのボブカットがお似合いで、明らかに年齢不詳。まるで彼女自身が”トロール(妖精)”のような存在。彼女のパンクめかした独特の動きが、僕にはまるで「里帰りしたヒッピー」みたいに見える。
 日本を始め世界中が受け入れた「ムーミン」の物語は、ヘルシンキ湾に浮かぶ、周囲歩いて8分というこの極小の島に建てたサマーハウスで、ひとり静かに書かれたものだとされていた。しかし、このフィルムにはもう一人別の女性が顔を出している。アーティストである同性の恋人とふたりで創作に打ち込みながら平和な夏を過ごすというのが、トーベの現実のスタイルだったようだ。思えば20世紀半ばに「北欧」がアメリカで話題になったのは家具、インテリアだけではなかった。たとえば「フリーセックス」。今となっては、それが男女差別反対の意思表示であったことに思い当たるが、当時の「常識」からは好奇の目で見られても仕方がなかった。トーベ本人は特に隠す様子はなかったらしいのだが、著作が「子供向け」であるということもあっての「メディア自主規制」だったのだろう。そんな難しいことを考えていたら、脇からノミさんの「やっぱり彼女の古い絵はサイケデリックですよね」という言葉が聞こえてきて、確かにソーダと思った。