Monday, July 23, 2012

人生はジェラートみたいなもの。

Img 1059 「あっ、カナちゃんだ!」と思ったが、いくら神出鬼没の彼女でも、まさか今ミラノにいるとは考えにくい。地図を片手に目当ての店を探していたぼくは、通りの反対側を自転車に乗って走り去ったアジア系女性を目で追った。それにしても独特のファッションとボヘミアンっぽい雰囲気が彼女にソックリ。まあ、広い世界には似た人はいるもんだし、とサクッと片付け、番地探しに集中した。その店は、立つ前日 diece の田丸さんに電話して「久々のミラノなので何処かおすすめを」と乞い教えてもらったもの。フラフラとなんとかその番地に到達したが、住宅街にあるのでとても分かりにくい。店の看板やサインもなく、アパルトマンの名札のなかにようやくそれらしき名前を見つけ、何度か呼び鈴を鳴らして中に入った。
 中庭には様々な植物や椅子、家具などが無造作に置かれていて、それがとてもいい雰囲気。応対してくれた女性マネージャーによると、サローネの時期にはここでイヴェントやパーティーも行われるとのこと。と、その時現れたのが、くだんのカナちゃんそっくりな女性。「ど〜も」と声をかけたら「さっき、歩いてましたよね」と、お互い認知のご挨拶。聞くと、ここの庭の手入れをしているとのこと。ガーデナーなのである。話しだしたらキリがないところや、ちょっと舌っ足らずの早口かげんはまさに「ミラノのカナちゃん」だった。なにより(モチロン)親切心からの「お節介さ」もそっくり。美味しくて気の置けないランチの店を教えてもらったりもした。昔に比べて、海外でウゴメク若人が少なくなったと思っていたのだけれど、そんなこともないようだ。人生はジェラートみたいなもの。溶けてしまう前に舐め尽くす時間は思っているより短い。

Friday, July 13, 2012

コルビュジエ眼鏡が入荷しました。

Img 1334 中学でかけるハメになったのだから、メガネ歴はそれなりに長い。度が進むたびに新天町のメガネ屋に行き、アレでもないコレでもないと言って母を困らせたものだ。丸メガネを好きになったのは『ホワイト・アルバム』の頃のジョン・レノンのせいなのか、それ以前ジョン・ゼバスチャンだったか?大学時代には肩まで伸ばしたロングヘアーにまん丸のメタル・フレームでベルボトムというピースなイデタチだった。ボストンやウエリントン型のセル・フレームも悪くないなー、と思ったのはウディ・アレンの『アニー・ホール』を観たころだったが、残念ながら町のメガネ屋には見当たらなかった。唯一、上野の「白山眼鏡」には各種そろっていてうれしかった。で、ある日まん丸のセルフレームをかけてみると藤田嗣治になった。それ以来、丸メガネをかけているのだが、最近はちょっと大きめの丸メガネでデヴィッド・ホックニー気分だったりしている。そのフレームはパリのマレ地区にあるメガネ屋で見つけたもので、太いセルロイドとあまり今っぽくないデザインがいいと思う。そこからは、写真のようなモデルも出ていて、テンプル裏に "MOD. LE CORBUSIER" とある。写真で見比べると、たしかにコルブ氏がかけていた眼鏡である。そういえば "MERCI" のカフェの女性スタッフもこれをかけていたっけ。ちょっと文学少女っぽくもある。気になる人は organ に来て試してみてください。

Wednesday, July 11, 2012

「ロカ岬」

Img 0952 「ロカ岬」はポルトガルでも人気の観光スポット。なにしろユーラシア大陸最西端に位置するわけで、反対の東端(の沖合の島)からやってきた身としても気にならないわけがなく、先述したシントラという町から乗合バスに飛び乗った。ダラダラと海に向かって下る田舎道を 50 分くらいだったか、ずーっと乗りっぱなしの観光客と、乗っては降りる地元の人々が半々という感じだった。中学生とおぼしきおマセな女の子達が学校前の停留所から乗り込んで、ひとしきり車内で騒いだかと思ったら、一人、又一人と下車していった頃、開けた草地の向こうに大西洋が見えてきた。
 バスを降り、カフェテリアでよく冷えたビールの小瓶を買って岬の突端へと歩いた。荒涼とした岩場は一面のお花畑で海からの強風が吹きまくっている。花々は見たこともないような種類で、低くへばりつくように様々な色が咲き誇っている。風で帽子が飛ばされないように気をつけながら、写真で見たことがある「ここに地果て、海始まる」と刻まれた例の大きな十字架の向こう側へ行ってみると、突然視界が 200 度くらいに広がった。
 わずかにアールを描いた水平線と空との境界がうっすらと煙り、なんだかあの世の景色みたいに幻惑的。ここからそのまま西へ向かえば、確かニューヨークに到達するはずだ。この未知の海原を越えて新大陸を目指した男どもは、本当に向こう見ずで野心タップリだったに違いない。なにしろ彼らは喜望峰を周りインド洋からマラッカ海峡を抜けはるか種子島まで到達した。そう「黄金の国ジパング」にコンタクトした初の南蛮人となったわけだ。
 なんとかこの景色をカメラにおさめようとアレコレしていると、突然オジサンが僕ら二人を撮ってあげようかと声をかけてきた。お言葉に甘えて i Phone のシャッター位置を教えてあげていたら「わかった、ここだね」と言った瞬間が残っている。レイバンのサングラスが似合う「良きバテレンさん」である。