Friday, February 6, 2009

「Bで行け!」という声

Rimg0010-1 かれこれ15年以上になるだろうか、歩いて3分という近場のスポーツクラブに通っている。といっても、カナヅチでおまけに自転車にも乗れないというスポーツ音痴だから、フィットネスジムといったほうがいい。最初は「ダマされたと思って」行ったのだけれど、今でも週2、3回のペースで続いている。映画『アニーホール』の中でウディ・アレンが言っていた「カリフォルニアの光は体に悪い」というセリフを信用していたくらい、いわゆる健康志向には懐疑的だったはずなのに、今となっては40分間マシーンを歩いてうっすら汗をかき、ベルトがブルブル震える機械に身を任せて体をほぐすのがパターン化してしまっている。時間帯は、以前は休日の午後だったが、最近は後の昼飯がおいしいから平日の午前中に行くことが多い。ハマッた理由は、ひとりになれるからだ。体を強制的に運動状態に置くと、日頃クヨクヨ考えている諸問題が、アッサリと自己解決してしまうような気がするのだ。例えば、AとBという選択肢で悩んでいるとする。Aのほうが無難なのだが、実はBのほうが自分の本意だとしよう。日常の中で考えていると、なんとなくAに押し切られるのだが、汗をかいている瞬間には「Bで行け!」という声が聞こえてしまうのである。『長距離ランナーの孤独』という映画を観たことはないけど、マラソンをしている時に似ているのかもしれない。他者とのコミュニケートはもちろんだが、自分とのダイアローグが案外一番難しい。自問自答とはモノローグのはずなのだけれど、汗をかいている肉体との関係はダイアローグ的なのである。つまり、5年前は負荷32kgでいけた腹筋マシーンが、今や23kgがいいとこだということを知るのは、体が実は他者だという感覚に近い。汗をかきつつある肉体と、ストレスを被った精神が会話を交わす時、勝者はどっちなのか。実は、日頃の酒やタバコに悲鳴を上げる肉体の反逆なのかもしれないが、老いても細胞分裂を起こしていることだけは確かだ。