Tuesday, August 9, 2011

おとといポップス <リビドー編>

20051031224756 初めてドーナツ盤を買ったのは平尾昌明の「ランニング・ベア(悲しきインディアン)」だったか。ラジオから流れる悲恋のロッカバラードに、奥手だった小学生が我知らず動揺したことを覚えている。ちょっと”しゃくる”様な歌声にすっかり夢中になり、途中のサビの部分で突然英語になるところにもシビレた。オリジナルをジョニー・プレストンという人が唄っていることなど知るよしもなかったし、もちろんカヴァーなんて言葉も存在しなかった。1960年代初頭の日本はアメリカのヒット曲の焼き直し全盛の頃だった。そんなレコードをなんとなく「洋楽」と呼んでいたのかもしれない。「ポップス」という語感を知ったのは、その後中学生になった頃のやはりラジオ番組を通してだったと思う。それは高崎一郎、糸居五郎など、英語混じりでオリジナルを紹介したDJ達のおかげでもあるが、ひょっとすると前田武彦が女の子とのおしゃべりを交えて音楽を紹介する『東芝ヒットパレード』だったような気がする。
 前田武彦は放送作家であり、ポップスに強いわけでもない。だから、音楽情報みたいなことは通り一遍だったけど、そのかわりに当意即妙な話術があった。それは、時に時事風刺だったりもするのだが、決して強弁ではなく、押しつけがましさはなかった。それは、同じ放送作家でジャズのラジオ番組をやっていた大橋巨泉とは対照的でもある。後にふたりは『ゲバゲバ90分』でタッグを組むのだけれど、巨泉の押しの強さの前でマエタケは割を食っていたように思う。彼は、どちらかというと言葉少ない饒舌家で、テレビよりラジオが似合う人だったのだろう。