Friday, April 26, 2013

ジェフリー・バワを旅する。

しばらく前にANAの機内誌『翼の王国』でジェフリー・バワという建築家のことを知り、がぜん興味がわいた。熱帯のリゾートホテルを多く手がけたらしく、今では日本でも見られるようになった、水面がその向こうの海や川と連続したような錯覚を起こさせる「インフィニティ・プール」を最初に考えついた人らしい。しかし、カナヅチのボクはそれよりも、彼の「アジアでも西洋でもあり、同時にどちらでもない」ようなスタイルが気に入ってしまった。それは、ヨーロッパやアメリカ人ではなく、スリランカの人だったことに関係があるのかもしれない。これは、行ってみるしかない、と思った。
 セイロンと呼ばれてきたこの島は、インド亜大陸から東南に、まるで千切られたように浮かんでいる。北海道よりちょっと小さめの面積に、紀元前に北インドから渡来したシンハラ人、南インドからやってきたタミル人、先住民ヴェッダ人、イスラム系ムーア人、マレー系など多様な人種が住んできた。その上に、16世紀にやってきたポルトガル人やその後のオランダ人、イギリス人など白人との混血であるバーガーと呼ばれる人達、アンド・モアがいる。「単一民族説」がまかり通る日本人には、まことに頭がクラクラしそうなたくさんのエスニック・コミュニティが共存する島なのだ。
 「バワはムスリムでした」とワジラさん。バブル期に名古屋にあるTOYOTA系の会社で13年働いた経験を持つ、日本語がペラペラのガイドさんだ。今回の旅が楽しかったのは、彼のおかげといってもいい。「バワはゲイだって聞いたけど?」とけしかけると、「とんでもない!ふたり奥さんがいてウンヌンカンヌン…」と、ここではとても書けないようなトピックも。帰国後、調べてみると、バワの祖父、父ともに白人の妻を娶っている。しかも母はプランテーション経営者の娘だったらしく、バワは裕福なバーガーだったことになる。建築家としてのキャリアは1957年、38歳でスタート。オックスフォードへ留学後、いったん法律家となるが、その後ヨーロッパを放浪、北イタリアのヴィラと庭園をスリランカに再現する夢を実現するために建築の勉強をしたという。ムスリムであることは、おそらく父方の系譜として選択の余地がなく、本人はどれほどイスラム教に熱心だっただろうか?それより、彼の人物像には様々にレイヤーしたカルチャーが深く関係しているようだ。それは自邸&オフィスである「ナンバー11」にあるオブジェにあらわれている。バワは、サーリネンやイームズを愛したイスラムの人として在った。