Sunday, March 24, 2013

”良心的兵役忌避者”

あれは、大韓航空で初めてパリへ行く途中、トランジットのために降りた金浦空港だから、もう20年以上前のことになる。滑走路にはジェット戦闘機が待機中だし、パスポートをチェックする軍服の係官は福岡空港の免税店で買った僕のマルボーロ、ワンカートンを、ニッコリ笑って机の下に滑りこませた。まるで戦時下の国にやって来たみたいで、すっかりメゲテしまった。2度目は7年ほど前、李氏朝鮮の陶磁器や民具見たさに、矢も楯もたまらずピカピカの仁川空港へ降りたった。そして今回、高層ビル街のモーレツ・サラリーマン+オシャレな若者たち+パワフルなオモニが割拠する今のソウルを、それなりに楽しんだ。しかし、迷彩服を着込んだ若者とすれ違うたびに、あー徴兵制があるんだ、と思い知らされる。
 兵役免除の年齢になるまで、なんとか徴兵制が復活しないことを密かに祈ったのは中学生だったころ。ジョン・レノンはまだ反戦的ではなかったから、増村保造の『兵隊やくざ』という映画のせいか、ツルゲーネフの小説か。とにかく、日本はまだ「安保」という問題を引きずっていた。アメリカの対共産圏軍事同盟に与することは、いずれ自分たちも戦争に巻き込まれる可能性があるということだ。そうなったら、軍隊の組織というものが、まちがいなく僕のようなものを無化してしまうことを予感し、恐怖した。そして、徴兵を免れる年齢を60歳と仮定した。太平洋戦争で日本の戦局が悪くなるにつれ、年寄りでも徴集されたことをどこかで聞いたからだ。
 その後、大学時代に『アリスのレストラン』というアメリカ映画を観て、”良心的兵役忌避者”という言葉に出会った。宗教や民族、政治や哲学などの背景に基づいて、「良心的」に戦争を拒否する権利は、欧米においては、どうやら基本的人権として認知されるようになっている。一方、いつの間にか僕は60歳を過ぎていて、平和憲法なるものも成立して60年を過ぎていることにハタと気がついた。どうやら、この憲法のおかげで、僕は、あくまで「潜在的」兵役忌避者のまま、なんとか今まで呑気に生きてくることが出来たのかもしれない。なんだか得をしたような、妙な気持ちなのだ。