Saturday, February 9, 2013

お洒落な雑貨店にフツーに置いてあった。

1月だというのに気温は20度近い。子供の頃「バナナだったらフィリピンより台湾のほうが美味しい」と聞かされていたが、台北へやってきて、はじめてこの国が南国であることを実感した。林立するビルの谷間をたくさんの車やバイクが忙しげに走り回っている。その割には排気ガスがさほど気にならないのは、街路樹をはじめ、あちらこちらに肉厚の緑が点在しているせいだろうなどと、高速道路をひた走るタクシーの中で考えていたら、窓ガラスの向こうを、バイクをふたり乗りしたヘルメット姿の男女がしばらく並走して、通り過ぎていった。まるで、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の映画のいちシーンだった。
 ROVAの小柳帝さんの「台湾に素晴らしい映画を撮る監督がいますよ」という耳打ちがなければ、こうやって台湾へやって来ることはなかったかもしれない。1980年代後半の僕は、彼が監督した『戀戀風塵』や『童年往事』にノックアウトされていた。なにしろ下手なフランス映画より作家主義だし、なによりも「農村と畳、かき氷と蝉の声、台風そして草野球」など、自分の子供時代の風景に台湾映画の中で出会うとは思ってもいなかった。1947年中国の広東省で生まれたホウ監督は幼い頃に台湾へ家族と一緒に移住してきた外省人である。その頃はまだ日本統治の面影が至る所に残っていたことだろう。そのことを2歳年下の僕が映画を通して追体験し、郷愁に近い感覚を持つのも何かの因縁か。
 日本が台湾の統治を始めたのは日清戦争に勝利した翌年の1895年。それから1945年まで約半世紀という、けっして短いとはいえない期間には、いろいろな局面があったはずだ。当初、激しい抗日運動を武力鎮圧した後は、資源を開発し、日本へ還元するためのインフラの整備や教育改革を行い、そのことが今でも「”悪くない”対日感情」の根拠の一つに挙げられることが多い。しかし、植民地支配がそのことで帳消しになったのだろうか。そんなことを思ったのはこの本。中には目を背けたくなるような写真もある。置いてあるのは「漢聲」という名のコンシャスな雑誌の出版社が経営する店。うちの奥さんが中国風のパンツを買いたいといってやってきたお洒落な雑貨店にフツーに置いてあった。