Wednesday, January 25, 2012

「蘇州と上海の旅5日間」

Img 0258 浦東国際空港を出発したマイクロバスは、冷たい雨の中、上海郊外にある経済開発区のハイウェイを猛スピードで走っていた。窓の外を、イルミネーションに飾られた奇抜な高層マンション群が次々に流れてゆく。これがモーレツに発展する中国沿海部なのだ。流ちょうな日本語を喋る男性ガイドKさんは、こんなに少人数のツアーは久しぶりだと、愚痴ともラクチン表明ともつかない言葉を放った。たしかに、乗客は僕らふたりの他3名。70歳代の老人(実はカクシャクとした長躯)は常連らしく、早速「何々さんをアンタ知っとるね?」とKさんに言いながら携帯で電話している。前回知り合ったという女性ガイドさんを、最終日に一緒に食事しようと誘っているようだ。老いて盛んなのである。あとのふたりは60歳代と30歳代のふたり組。いかにも社長さんと腹心の部下という感じで、満州の工業都市である瀋陽で3万坪の土地に最新の外壁材の工場を新設する商談を終え、その後に蘇州観光するため参加したらしい。思わず、映画「社長シリーズ」の森繁久弥と小林桂樹とダブる。そんなカンジで「水の都、蘇州と上海の旅5日間」ツアーが始まったのだった。
 一日目、170kmをひたすら走って着いたのは無錫という街。大昔は錫(スズ)の産出で栄えたらしいのだが、ある時パッタリ採れなくなった為にそう呼ばれているとのこと、寂れてしまったあとの名前というのがなんだか哀しい。 規模としては久留米よりちょっと大きいくらいかと思ったら、とんでもない。人口600万人と聞き唖然。夕食は江南料理。いかにも団体ツアー御用達といったガランとした酒店で円卓を囲む。内容は一応日本人好み的中華料理コースで味は濃いめ&甘め。ぼくは早速紹興酒を頼む。老人はちゃっかり手持ちの麦焼酎を飲むばかりで一向料理に手を付けない。どの料理も油がテカテカしてダメだといいながら、やはり手持ちの”振りかけ”を配給してくれる。社長さんたちは青島ビールを飲みながら、色も味も薄いですなー、といいつつ努めて陽気に冗談を飛ばしている。食後、街中にある高層ホテルへ。買付の旅では泊まることのない立派なバスタブも完備した部屋は申し分あるわけがなく、早めの就寝。明けて二日目は朝から淡水真珠の店を見学。その後なんとかという新造の公園へ。江南と呼ばれるこの地方独特の湿地を利用した大型の大濠公園といった風情。続いて三国志で有名だという太湖で15分間(!)の遊覧船。その脇にある「三国城」は映画『レッドクリフ』の撮影に使われ、その後観光施設になったものらしいが映画も観ていないのでピンと来ない。唯一、諸葛孔明という賢人の名前だけはピンポーン。昼食は「ところ変われどナントカ」で、さむーい感じのレストランにて5,6品を取り分ける中華コース。多分鯉なのだろう、スライスした魚の煮付けが妙に油っぽい。午後は木涜(モクトク)という古い水郷の村へ行く。細い水路沿いを歩きながら、これぞイメージしていた江南の景色とばかりに気分を鼓舞するがしかし寒い。冷気が大地からしみ出るようにジワジワと足に来るが、せっかくの自由時間なので動画を撮りながら『世界ふれあい街歩き』ごっこをする。
 とまあ、そんな具合に3日目以降も決められたスケジュールをこなしつつ、と言いたいところだが、さすがにワガママ心がむくむくと。蘇州最終日は、Kさんにどうしても行きたいところがあると単独行動を申し出ると、今回人数も少ないことだし、いいでしょう、ということになり友人から薦められた平江路という地区のカフェを探訪。そして最終日の上海では、夕食を僕ら2人で早めに済ませ(というかその時点で他の3人もどこかへエスケープ)、その昔に高杉晋作や大杉栄、金子光晴たちも闊歩したであろう南京東路をそぞろ歩いて和平飯店へ。目指すは、イギリスとアメリカが租借した共同租界と呼ばれる地域最古のホテル。1908年に完成した当時には、そのモダンさで人々の度肝を抜いたであろうそのホテル1階にあるバーで、老年ジャズバンドの演奏を聴きながら、「魔都」と呼ばれたこの街の事を思ってみた。