Thursday, February 2, 2012

「魯迅は日本で言えば夏目漱石です」

Img 0266 タクシーを利用して15分で福岡国際空港、そこから上海までのフライトは1時間40分。たった2時間足らずで行ける外国なのに、中国へ行くことを先延ばししてきたのは、行きたい国としてのプライオリティが低かったからだ。なにしろ「脱亜入欧」丸出しで、ヨーロッパやアメリカへ行くことばかりを考えていた。しかし、そろそろかな、という感じで行ったわけです。
 買ったものは少ない。紹興酒と茶、それに蘇州で見つけた小さな陶器を二個だけ。欲望の対象となるモノがほとんど見あたらなかった。ゴダール映画の影響なのか、密かに「毛沢東語録」を狙っていたのだが、中国人ガイドのKさんから「そんなもの今ダレも読まないヨ。骨董屋にでも行けばあるかも」と言われた。時間があれば、案外面白いモノがあったかもしれない。そういえば2,3年前だったか、U君が杭州へ古い中国建築を調査研究のため訪れたことがあった。そこで、かの魯迅も被っていたという、その地方独特の帽子をおみやげにプレゼントしてくれたことがあった。もともと農民が”雨にも負けず、風にも負けない”為に使った、恐ろしく分厚いフェルトで出来た三角錐をした帽子は、見ようによっては高等ルンペンみたいで面白い(なので、U君が杭州を再訪する際に10個ほど買ってきてもらい、店で販売したことがあった)。そんなこともあって、魯迅博物館へ行った。
 博物館の人から「魯迅は日本で言えば夏目漱石です」と教えられた。そーか、二人は文語体ではなく初めて口語体で小説を書き、二つの国の精神的近代化に寄与した作家なのだ! そのうえ、ほぼ同時期に魯迅は日本へ、漱石はイギリスへと留学している。ただし、ひとあし先に近代化の歩みを始めた日本で知己を得た魯迅と逆に、漱石は西洋文化へ失望し、神経衰弱となり帰国、のちにアジア回帰ともとれる境地に至ることになる(というか、西洋と東洋、もしくは日本との価値観のハザマで自問自答を続けたのだと思う)。もともと中国思想に傾倒していた漱石の中国観は、老荘思想や禅、漢詩などから掴みとった彼独自の悩めるイデアだったんじゃないか。いわゆる「和魂洋才」とは違うような気がする。まあ『阿Q正伝』すらちゃんと読んでない僕にはよくわからないのだが。
 ところで 蘇州へ向かうバスの中で、前述した同行の老人が突然Kさんに言った。「中国にはカラスが見あたらないけど、全部食ってしまったんだろ」。これにはさすがのKさんも閉口して、一瞬車内に気まずい空気が流れると思いきや、案外ケロッとしていた。彼は生粋の上海人、都会ッ子である。様々な地方から来た人々で今や人口2400万人にふくれあがった経済都市に生きている。まるで戦前の日本人のような発言にいまさら驚くだろうか。中国は多様性と他者性にあふれた一大集合体なのだ。誰かさんのようにウェットではない。