Friday, June 4, 2010

カマイナ

Img 1345 少し前 kama Ainaという日本の音楽ユニットが好きで、マウイ島で録音されたというそのゆったりとしたサウンドを聴きながら、いつか行ってみたいと思っていた。だから、オアフ島から小さな双発機を乗り継ぎ、島に着いてまず友人に尋ねたことはその名前の意味だった。「波乗りをするために、ちょっとマウイへ行ってきます」といって福岡を出発し、そのまま住み着いてしまった彼と再会するのは20年以上振りのこと。「カマイナ? そう、地元の人っていう感じですかね」と教えてくれたその友人は、僕の記憶通りの真っ黒に日焼けした顔と人なつっこい笑顔だった。その昔, 捕鯨(食用ではなく、あくまでランプ用の油をとるためと聞き唖然!)で栄え、ハワイ全体を統治したラハイナという町をブラブラしながら、ふたりで少しづつ思い出話をしたりした。その頃の僕は、カウンターカルチャーみたいなものにあこがれを持ってはいたものの、サーファーには冷ややかだったと思う。ウッドストック派と呼ばれる内省的なミュージシャンとは違い、波乗り野郎なんてきっと快楽的なことばっかり考えている連中に違いないと、なかば反感さえ持っていた。そんな僕も、福岡へ戻って少しづつ友人ができ始め、若いサーファー達と一緒に酒を飲む機会が増えるにつれて考えが変わった。「結局、ヒッピー・ムーヴメントの正当な継承者はサーファーかもしれない」と独り合点したわけだ。
 彼が、最初はアメリカ本国へ行くつもりでちょっとマウイへ寄り道したところ、あまりに居心地が良くて「ここでいいか!」とアルバイトをはじめ、気がつけば2度の結婚を経てふたりの娘を育てる父となったことは、なんとなく知ってはいた。それにしても、イタリア系アメリカ人である最初の奥さんとの間の娘は今や海兵隊員で、死別した日本人の奥さんとの娘はもうすぐ高校生だと聞き、ビックリした。その娘はおばあちゃんがいる東京の学校へ進学するためマウイを離れるらしく、ちょうどお別れパーティーをやるから良かったら来て欲しいとのことだった。夕刻にマンションへ伺うと、リビングルームでは彼女の友人達が集まりワイワイやっていた。冬にはクジラが見えるというベランダに腰掛け、彼がポロッと独りごちた。「この島では混血が普通なんです。混ざってない方が珍しいかも...」。たしかに、娘の友人達の顔には色々なオリジンが透けて見える。日本、中国、フィリピン、スペイン、ベトナム、エトセトラ。しかし、ここではみんなカマイナ、国家なんていう括弧にはくくれそうにない笑顔がゴージャスだった。