Sunday, August 3, 2014

北欧の短い夏を快適に過ごすためのユーティリティ。

コエタロの実験住宅で、まず目に飛び込んできたのは、中庭に面した壁に躍動するレンガ。大小様々な赤レンガが縦や横に、平面的に、または凸凹に、表情豊かにコラージュされている。プライベートな別荘らしい自由で奔放な表現に唖然とする瞬間である。
 建築家としてのアルヴァー・アールトは1933年、コンペティションを勝ち抜き、パイミオのサナトリウムで華々しくデビューしている。当時不治の病と言われた結核の療養所を、いかにもモダンな鉄筋コンクリートで、まるで遠洋航海に出発する大型客船のようなデザインで革新した。ところが、20年後に手がけたサイナッツァロの村役場や、このコエタロなどでは、赤レンガを多用した作風に変容している。いったい、彼にどんな変化があったのだろう。
 その間アールトは、波型にうねるような曲線による独自のデザインを考案し、建築やガラス製品に反映させることに執着する。後に彼のトレードマークとなるこのオーガニックなフォルムは、湖水地方に多く存在する湖や波形からインスパイアされたといわれている。その後、フィンランドにソヴィエト軍が侵攻し、第二次世界大戦が勃発すると、彼は戦後の復興計画などを練って過ごすことになる。戦後、アメリカからの招きでMITの客員教授を務めるなどして3年ほど滞在するが、高層ビルに代表される画一的で楽観的なアメリカ型資本主義に失望したのかあっさり帰国する。そして、戦争で破壊されたフィンランドの都市復興計画に携わることになるのだが、そこで使われたのが赤レンガと木材なのである。
 「鉄やコンクリート」と「赤レンガや木材」との違いは一目瞭然だ。「硬質で冷たい」対「柔らかく暖かい」であり、「均質性」対「多様性」といってもいい。さらに、「プロダクト」と「クラフト」や、「普遍主義」と「ローカル主義」にさえ対置できるかもしれない。そんなぼくの妄想にも似た考えは、どうやらフィンランドという国がうっすらと持っている”社会主義の記憶”が、関係しているのかもしれない。
 かといって、アールト自身が、いわゆる社会主義者だったとは思えない。多分筋金入りの個人主義者だったにちがいない。さまざまな疑問を持ち、個人的な実験を重ねることで問題を内面化するということ。それは、絶え間ない社会との葛藤を、あきらめずに持続する強い気持ちがあってこそなせる技なのだから。思うに、個人主義が強い人ほど、社会主義を意識するのではないだろうか?逆に言えば、「世間主義」の人は、国家主義に馴染みやすいだろう。ソヴィエトがやった社会主義は国家主導で失敗した。そして、今世界は新自由主義という美名のもとに、国家とグローバル企業が超資本主義経済を正当化している。そこでは個人主義の視点はことごとく否定されかねない状況なのだ。ユートピアでも構わない。いまこそ、自分なりの社会主義を夢想することは、無益なことではないだろう。
 ちなみに、コエタロの実験住宅の内部は、いささかのラグジュアリー感もなく実に質素。北欧の短い夏を快適に過ごすためのユーティリティだけが、とても美しく準備されていた。