Thursday, October 3, 2013

ホテル・ホノカア・クラブでのこと。




正式名を「ホテル・ホノカア・クラブ」という。砂糖きびプランテーションで働く日本人労働者たちのために建てられたのは、1903年。「クラブ」と付いているところに往時を感じてしまう、今年で110年という文字通りのヴィンテージな建物だ。現在のオーナー、アネリーとジョリーはオアフ島出身で、ここを買い取って経営をし始めたのは14年前。あちこち手直しはした のだろうが、建物を含め、できるだけオリジナルを使い続けていて、そんなところに感激してしまえる人にはおすすめのホテルだ。中国系のアネリーは、 テキパキとレセプションをこなす女将さん。その間、白人の旦那さんジョリーは玄関でゲストを相手にいつまでもおしゃべりをしている。ここは、そんな、ふたりの役割分担がかいま見える、気のおけない洋風の旅籠(はたご)といった風情だ。

 ホノカアはとても小さな町だから、夜になると食堂は早く閉まってしまう。しょうがないので、一軒だけあるスーパーマーケットで惣菜みたいなものを買ってきて、部屋で食べようとしたら、玄関のところでアネリーに呼び止められた。「カトラリーやお皿、必要だったらうちのを使ってね、よかったらこっちで食べたらどう?」。しからばお言葉に甘えて、ということで、たまたまダイニングルームでひとりハンバーガーを食べようとしていたジョリーと一緒のディナー・タイムとなった。
 ぼくらが日本から来たことを知ると、ひとしきりバブル時代のオアフや、マウイ島開発で、いかに日本のグローバル資本が派手なことをやったかを解説してくれた。つまり、バブル後がいかに不景気かということらしいのだが、いつしか話は健
康保険の事になった。「日本は皆保険だけれど、アメリカは個人加入なので、リッチじゃないと自分の健康も守れない」との言葉に、「でも皆保険はオバマの選挙公約でしょ?」と訊くと、「巨大な保険会社のロビー活動のおかげで、多分ムリだね」。そういえば、ジョリーはオバマと同じホノルルの高校卒だとも言っていた。アメリカが変になったのはレーガンが大統領になった頃からだ、なんてことも。どうやら彼はリベラル左派と見た。それは、その夜の最後に聞いた、ある日本人移民の話を聞いて、確信へと変わった。