Saturday, July 4, 2009

ホンマ・タカシの「たのしい写真」

Rimg0137-1 ホンマ・タカシの「たのしい写真」を読んだ。表紙タイトルの下に「よい子のための写真教室」というコピーがあって、平凡社とある。虫眼鏡を持つ手をレイアウトしたデザインと相まって、まるで古本屋でたまに見かける昔の教則本のようだ。内容の方も、写真の歴史から始まり、実践編へと、一見ありがちなハウツー本の体裁を取っているところが匂う。読んでみると案の定、すこぶる刺激的だった。まず冒頭で、「写真=真を写す」という日本語訳に異議を唱え、「photo=光、graph=描く」、つまり「光画」くらいの訳が妥当で、かなずしも「リアルさ」がマストではないと釘を刺す。その上で、絵画の代替として登場した写真が、ドキュメントやリアリズムを前提とした「決定的な瞬間」という時代に強い力を発揮し、その反動として「繰り返される凡庸な日常の光景」への転向を経てモダニズムを確立した、という説を述べている。その後はポストモダンの時代となり、「私的な物語」がテーマのひとつとなったというわけで、この流れはデザインの世界にも通じる仮説だと思う。結局、モダニズムの時代は「題材やテーマが大きかった」ということ。それが解体されて「小さな個人の物語」になったというわけ。つまり、写真にまつわる過度な思いこみを一旦括弧に入れてしまい、構造的に見てゆくという感じなのだろうか。おかげで、アラーキーや森山大道のことが少しわかったような気がした。ところで、後半、前述したビクトル・エリセの映画「マルメロの陽光」が「ドキュメンタリー=現実?」という項で紹介されていた。「時間が経過していること自体決定的で、もう二度と戻れない」という記述があり、「そうだよナー」と、ひとりごちる。