Wednesday, November 13, 2019

変にチャーミングな綱渡り

よほどじゃない限り、東京に足が向かないのだけれど、<OK>が代官山に出店するというので、お祝いのために馳せ参じた。L.A.にある店のラインアップと、なによりオーナーであるラリー・シェーファーが好きだったからだ。
はじめてL.A.の店を訪れたのはもう15年ほど前になる。まるでネイティブ・アメリカンのように三つ編みしたロングヘアを2本後ろに垂らし、薄茶色でボストン型のセルロイド眼鏡をかけた彼の様子が変でチャーミングだった。早口の英語はボクのプアなヒアリングでは聞き取りにくかったけれど、陽気でフランク、そして案外気を遣い屋なことは確かに思えた。モダニズムとクラフトが混在する店のコレクションが新鮮で、それに関連した本の豊富さに彼のデザインへの熱量を感じた。若いスタッフがフレンドリーで、つまり敷居が高くなくカリフォルニアンなのも気持ちよかった。
その何年か後、シルバーレイクにあるラリーの自宅へおじゃますることになった。オーストリア出身でユダヤ系アメリカ人の建築家ルドルフ・シンドラーが1930年代に設計した住宅のひとつらしいのだが、ぼくは「シンドラーってあの映画の主人公?」ってな感じだった。
シンドラーは米国に渡りフランク・ロイド・ライトのもとで才能を発揮、独自の建築スタイルでL.A.周辺に革新的で実験的な住まいの提案をしたひとなのだ。それは、イームズがケーススタディ・ハウスでデビューする20年以上前、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時代。それも、ローコストな住宅が得意だったというからとても先駆的なひとだった。
傾斜地を利用した4世帯ほどの建物はビルではないのに全体が繋がっていて、階段を登りながら、どこが誰の玄関なのか迷ってしまう。ラリーの家は、そんなシンドラーの集合住宅の一番上段だった。入ってみると、その一印象は質素で、かつモダンだった。そう、コンクリートと木が合体した、ある種の和洋折衷だったけど、土足だった。
実は、ここに来る前にラリーにインタヴューをしていた。その当時友人たちと作っていたYodelという冊子の為だった。その中で彼が言った言葉はこんなふうだった。
「アメリカは他者同士が移り住んで出来た国だ。だから均質だとされている日本とは違う。銃を持つことに賛成なひともいるし、反対する人もいて、いつもコンフリクトがある。でも、L.A.には自由がある」。
たしかに、ヨーロッパからアメリカに渡ってきても、東部は結構保守的だったろう。それに比べ西海岸は開放的で、自由な発想が可能だったはず。そういえば、映画産業が発展したのは、天候のおかげもあるけど、自由な発想が実験できたおかげかも。それも、亡命ユダヤ人達が映画作りに邁進したことが大きかったはずだ。
自由ってなんだろう。現実を前にしても、突飛と言われようが、理想や理念を失わないことかもしれない。それは、変にチャーミングな綱渡りにちがいなく、ユダヤの人々の振る舞いに似ている。もちろん、人種のことではなく「スタイル」のことだけど。
そうそう、春に福岡へやって来たラリーに、東京の店の名前は決まったの?と尋ねたら即答した。
「I'M OKさ」と。
もちろん、ジョークなんかじゃなかった。