Wednesday, May 10, 2017

春を持たないエトランゼ…

サマルカンドでのB&Bの朝飯と夕飯は、宿舎者が中庭のパティオのテーブルを囲んでというアット・ホームなものだった。全部で12室くらいなので、人数も適度だったし、2泊の間に顔ぶれを、なんとなく覚えてしまった。てっきりアメリカ人かと思っていたが、「シティのやつらがどうしたこうした」という話が聞こえたのでイギリス人かもしれない男3人+女ひとりの賑やかなグループとは、幸い席が離れていた。インテリっぽいドイツ人夫婦は静か。女の子連れの中年夫婦は、旦那がノルウェー人で奥さんはスウェーデン人。僕らの隣で、「どこから来たの?」と声をかけてくれたふたりは、イギリス人とオランダ人のカップル。つまり、EU系ばかり。だけど、みんな英語。下手でも、文法おかしくても、なんとなく通じる現代のエスペラント語だ。で、結構、政治向きの話をする。まあ、EU離脱や右傾化は他人事ではないというご時世なのだろうが、日本人どうしだったら、旅先の政治話はまずありえないことだろう。
外を歩くと、観光地なのでツアー客が多く、ガイドさんの言葉でどこの国かわかる。フランス語やドイツ語、ロシア語が多い。時々英語に中国語。ウズベクの男の子たちが、あちこち遺跡のそばでサッカーをしている。将来、このなかから日本とワールドカップのアジア予選を競う選手が現れるやもしれぬ。女の子たちは、民家の軒下に座ってカード遊びをしている。ぼくらが通りかかると、ちらっと目を合わせる。ときどき、調子に乗ってこちらがiphoneを構えると、すっくと立ち上がって、しっかりこちらを見つめる。なんだか、他者慣れしている。
この国のあちこちに、アレキサンダー大王や、チンギス・ハーンや、その他さまざまな帝国や民族がやってきて、それまでの王朝を倒し、自分たちの文化を移植して去っていった。それも、気が遠くなるほど時間と労力をかけて。だから、いろいろな民族の顔をした人が歩いている。イラン系、トルコ系、アラビア系、蒙古系、そしてアーリア系、ユダヤ系などなど。だから、朝青竜と琴欧洲、原節子に樹木希林、セルジュ・ゲンズブールやレナード・コーエンそっくりの顔に出会っても驚くことはない。この地には、東西の民族が先行して交錯した残照が、確かにある。   
バザールでCDを買った。帰国後、パンダの絵がついた中国製のROMに焼きつけられた現地のポップスは、残念ながら僕のコンピューターではどれも認識しなかった。代わりに、音楽博物館でエキゾチックな美人から買ったウズベクの伝統音楽集だけは、なんとか再生できてホッとした。聴いてみると、フルートのような笛がゆっくりとしたテンポで切々としたメロディーを奏でる曲や、くねくねと変調する弦楽器の調べとパーカッシブなリズムに、しばし頭がクラクラ、船酔い状態。すると、スルリと男性の唄声が侵入してきた。もちろん、コブシたっぷりだ。ただし、朝鮮や日本とはちがい、湿り気はない。恨みっこなしのブルースだ。ディック・ミネが歌って「春を持たないエトランゼ…」を思い出した。