Sunday, December 28, 2008

博多雑煮

Zoni 日本各地にそれぞれのお雑煮があるように、博多には「博多雑煮」と呼ばれるものがある。博多ッ子は「これを食うたら、他のは食えん!」と、自慢する(まあ、みなさん故郷の雑煮が一番美味しいと思っているわけですが)。ただ、作るのに手間暇がかかるのは確かである。生前、母が「アゴだし」というトビウオを主体にしたつゆを準備し、様々な具材をひとつひとつ別個に下ごしらえをしていた光景は、押し詰まった年末の年中行事として今でも記憶に残っている。魚は出世魚のブリ、青菜は「勝負に勝つ」という縁起を担いだカツオ菜と、いずれも商人の街だった博多のなごりなのだろうか。どちらもクセが強い具だが、アゴだしの強さとマッチしてたしかに旨い。特にカツオ菜の独特の香りとザクっとした食感は一種エキゾチックですらある。ほうれん草や三つ葉ではダメなのである。ところで、ここ2,3年来ウチでは正月前にお雑煮を食べる変な習慣がついてしまった。今年もおととい食ってしまった。駅前にある「翁堂」のつきたて餅がおいしくて、実は正月まで待てないのだ。正月は退屈で苦手なのだが、「博多雑煮」は早く食べたいのだから仕方がない。作る前に奥さんが「砂糖も入れる?」、と聞いたのであきれたしまった。たしかに甘味好きな九州人だが、それはないだろう。よく聞くと、「里芋入れる?」の聞き間違いだった。

Friday, December 26, 2008

オリジナル・サヴァンナ・バンドの「サンシャワー」

Rimg0317 少し前、友人の結婚披露宴の2次会でDJをやった時にウケた曲が一曲あった。オリジナル・サヴァンナ・バンドの「サンシャワー」である。いろんなコンピに収録されたりカヴァーやサンプリング・ネタだったりするこの曲は、甘酸っぱいムードと子供達のコーラスが雨音のSEとあいまって、実にラブリーなのである。アルバムが発売された1976年当時、僕はバンドをやっていて、確か今野雄二さんからの口コミで知ったはずだ。アメリカの土臭い音に少々疲れ始めた頃に聞こえてきた、なんとも垢抜けたサウンドだった。ラテンと言っても、当時はやっていたサルサとは違ったビッグ・バンド・スタイルで、レイジーなリズム、小粋なブラスやストリングスをバックに唄うコリーデイがすこぶる魅力的だった。その後も、リーダーのオーガスト・ダーネルがプロデュースしたZEレーベルのヘンテコなレコードを、トーキング・ヘッズやB52'sなどと一緒に聞いて、まだ見ぬニューヨークのイメージを勝手に増幅させていたものだ。当時は多分ニューウェーブの文脈で聞いていたはずだが、改めて再発された紙ジャケ仕様のCDを聞くと、ミュージカル映画からの影響がうかがえる。もうじき、嫌いな正月がやってくる。そうだ、今回は今まで苦手だったミュージカル映画をたっぷりレンタルして大レイジーな寝正月を決めこんでみようか。
*正式名ドクター・バザーズ・オリジナル・サヴァンナ・バンドのCDは、ただ今organにて販売中。店頭にて試聴できます。 ¥2520

Wednesday, December 24, 2008

Tさんの子育て

Tさんの子供-1 総勢10+3名で、一泊温泉忘年会へ行ってきた。+3はTさんの子供達。「うるさいですよ」と、Tさんに釘を刺されていたので覚悟をしていたのだが、取り越し苦労だった。もちろんそれなりに腕白なところもあるのだが、最後には父親の一言をちゃんと聞き分けることが出来るのだ。以前、一緒に飲んでいたとき、Tさんは今の学校教育に対する問題点みたいなことをぶっていたことがあったが、なるほど有言実行しているのだ、と少し納得させられた。育児への父親の参加という事を意識したのは、多分ジョン・レノンのいわゆる「主夫宣言」が最初だったような気がする。その時は「肝心の音楽をほったらかしで、大丈夫なんだろうか?」、などと思ったものだけれど、萎縮させず伸び伸びと、しかも社会性を認識させながら成長を見守るためには、父親の力が不可欠なのだろう。朝方洗面所で顔を洗っていると、いきなり小学1年生の長男から「カンチョー」をお見舞いされた。もちろん、僕もすかさず小さなお尻めがけてお返しを食らわしてやった。ニコニコとイタズラ坊主の顔だった。

Saturday, December 20, 2008

次がんばらしてもらいます。

Rimg0225 grafの服部さんから自選CDコンピ第2弾が届いた。春にENOUGHのイヴェントをやった際のBGM用にお互いにコンピを交換した。とても面白かったので、「四季折々にやりましょう」などと約束したのだが、そうは問屋が卸さない。僕は暇なので、夏に一枚送ったのだけれど彼からは来なかった。で、あきらめかけた頃に届けられてきたのだから、なおさら嬉しい。それも2枚組、プラケースにはラブリーな手描きのイラスト付きである。中身はジルベルト・ジルの渋い口笛サウダージから始まり、いつものように知らない曲がほとんどで、少しだけ知っているのが混じっている。たとえばPsappや、ジム・オルーク、ホセ・ゴンザレス、,ニーナ・シモン、ヴァシティ・バニヤンなど。前回は曲のクレジットがなく、どうしても知りたいのでその旨お願いしたところ、しばらくして丁寧にアルバムのジャケ写付きをプリントアウトして別送していただいた。今回はあらかじめリストが同封されていたのでアルバム名、アーティスト名、曲名は表記されているんだけれど、どう考えても順不同のようである。こうなったら各曲を秒数で識別するしかない。まあ、いただいた手料理に一手間かけるようなもので、まるでパズルを解くように楽しかった。前半のミニマル、エレクトロニカ系もサイコーだったけど、後半に入っているHIMやスペイン(?)の女性ボーカルものにはやられました。早速Googleしてみます。で、次がんばらしてもらいます。

Thursday, December 18, 2008

ハウシュカの新作CD

Rimg0212-1 ハウシュカの新作CD「ファーンドルフ」をようやく手に入れた。3枚目までは輸入盤でオーダーしていたのだが、インポーターからのリリース案内が何故だか4ヶ月ほど前からパッタリ来なくなってしまった。その後、国内盤が出ていることを知り、ディストリビューターへ何回かオーダーしたのだがいつも品切れ状態。万事休して、とうとうタワーレコードで買ったのである。以前も触れたのだけれど、気に入ったCDを店で販売することは案外むずかしい。特に、あまり売れそうにない、従って生産枚数も少ないこの手のCDは初回出荷で全国の大型店などに置かれたまま、追加オーダーされることもなく廃盤になってしまうことも多いのだ。でも、そんな愚痴を吹き飛ばすほど、この新作は良かった。前作のプリペアード・ピアノによる実験性から、チェロやヴァイオリンなどを加えた叙情的な作風へとゆるやかにシフトしている。ルネ・オーブリーっぽくもあるけど、どちらかというとペンギン・カフェ・オーケストラに近い。多分1980年代の末頃だったか、福岡の小さなホールで行われた彼らの初来日コンサートの記憶は、今でも鮮明に残っている。ペンギンの縫いぐるみを着た人や、パンク風英国紳士のMCおじさん、そして妖艶なダンサーなどとコラボレートしたその時の静かだけれど圧倒的なパフォーマンスを越えるものには、多分一生出会えないと思っている。楽屋でリーダーのサイモン・ジェフズにインタビューした時のおっとりした語り口も忘れられない。そのサイモンが亡くなったのは1997年、それからもう11年経ったことになる。彼がやろうとした事を引き継ぐ音楽家に出会うのはとても嬉しいことだ。

穴の開いた凧

Rimg0269-1 つい最近、太宰府の九州国立博物館で日中韓3ヵ国の首脳会談が行われた。新聞では、”世界不況を連携して乗り越えよう”、といった声明以外にさしたる成果もなかったように報じられていたが、お互いに「近くて遠い国」なだけに、「日帰り会談」とはいいアイデアだ。場所も意味深だ。日本が中国や朝鮮の文化を輸入、吸収してきた証のような博物館で行われたのだから。なんでこんな話をするかというと、たまに顔を出してくれる若き物知りさんから面白そうな展覧会の話を聞いたからだ。なんでも、鈴木召平さんという方が作った「朝鮮凧」と呼ばれる真ん中に丸い穴が開いた凧の展覧会だという。先日、早速工藝店「FOUCAULT」で始まった「新羅凧展」へ行ってみた。60x40cm位に竹籤を組み、和紙を貼ったものなのだが、絵柄が「民芸+グラフィック・デザイン」という感じで、とにかく素晴らしい。よく見ると、色絵柄は和紙を切り抜いて貼ったもののようで、下の方にハングルの印が押してある。購入も出来ると聞き、さんざん迷って一枚いただいた。以前買った長崎の凧(ハタ)と一緒に、お正月にでも飾ってみようかと思ったからだ。そうそう、お正月3日には平和台の鴻臚館跡で鈴木さんとの凧揚げ会もあるのだ。柳宗悦もそうだけど、たとえ国同士の仲が悪い時期にあっても、文化を通して交流してきた人たちがいる。工芸や芸術というものは「国家」なんてものに開いた穴みたいなものかもしれない。おかげで、少しは風通しが良くなり相手を認めるきっかけにもなっているようだ。

Tuesday, December 16, 2008

自立するトートバッグ

Rimg0229 L.L.Beanのトートバッグを手に入れた。海外に買い付けに行っても、ブックストアやスーパー・マーケットをはじめ、フリー・マーケットの使い古しでも気に入ったらついつい買ってしまうほどのトート好きなのに、今までなぜだか手に入れる機会がなかった。考えてみると、今風にアップ・トゥー・デートされたトートを見て「これ、欲しい」と思ったのは、おおむねL.L.Beanの亜流だったはずなのに、本家本元のことをすっかり忘れていたようだ。多分、もう廃盤になったものだと勝手に勘違いしていたのかもしれない。若者向けの古着屋で見つけたのだけれど、L.L.Beanのタグがなければ見過ごしたかもしれないほど、あっけらかんと「普通」だった。だから売れ残っていたのか?ありきたりの言い方だが、「何も足さない、何も引かない」デザインとはこのことだろう。ENOUGHの野見山さんと一緒にオリジナルのトートを作ろうか、などと話しているのだけれど、こいつを見てしまうとやる気がなくなってしまう。トートはこれさえあれば、他にいらないのじゃないか、と思わせるほどに完成されている。今どきUSAメイドなのに値段もリーズナブル、おまけにキャンバス生地のハードさが並ではない。何も入れなくても自立するから、買い物途中で床においてもフニャっとならずシャキッと立っている。こりゃ確かに水を入れても漏れないはずだ。それにしても、この堅牢なバッグがヨレヨレ、すり切れ、いい感じのパティーナが出るまでにはこれから一体何年かかるのだろうか。

Monday, December 15, 2008

YABUさんの絵は家具との相性がとてもいい

Rimg0211 おとといはYABUさんの個展だった。会場の九州日仏学館に着いたのは8時半過ぎで、ちょうどライブ・ペインテイングが終わろうとする頃だった。途中で焼鳥屋に立ち寄ったのがいけなかった。駅のホームで電車を待っているとき、どこからか香ばしい焼き鳥の匂いがして、俄然その気になっていたところに、今はなき「焼き鳥権兵衛」の姉妹店を見つけたのだから仕方がない。ついフラフラと暖簾をくぐったのだが、思った通り、鳥皮が旨かった。おかげで遅刻してしまったのだけれど、肝心の絵のほうは、ゆったりとした空間にズラーリと並んでなかなか見応えがあった。今までの集大成とも思える作品に加え、新しい作風も感じられた。特に、モネの「睡蓮」をYABU風にしたような雰囲気の絵はよかった。なんでも、自分の家の裏に見える池を描いたらしい。でも、僕が一番惹かれたのはエドワード・ホッパーの『線路脇の家』のカヴァーだとYABUさんが認めた一枚だった。青い画面に白いグラフィティっぽい線が引かれていて、オリジナルとはかなり違っている。僕は勝手に「ペリアンの家具に似合いそうだな」などと思った。そういえば前から思っていたのだが、YABUさんの絵は家具との相性がとてもいい。ポスターを飾るのもいいけど、やはりオリジナルのタブローにはかなわない。それも、あまりトンガリ過ぎず、かといって平凡でもない作品が壁に掛かっているのは悪くないものだ。19日からは眼鏡屋「4AD」で年末恒例の「YABU DRAWING CALENDER」のエキシビジョンも始まる。一点もので手描きのカレンダーがお手頃価格で手にはいるとあって、こちらも見逃せない。

Friday, December 12, 2008

種子島の紫芋

Rimg0212 今日、「デザインの現場」という雑誌の取材を受けた。来年1月号が九州のデザイナー特集ということで、ENOUGHの活動に興味を持っていただいたらしい。改装したマンション602で話をする中で、この後、鹿児島取材があるとうかがった。そういえば、最近、鹿児島の話題が多い。先日、街中でプレイマウンテンの中原さんにばったりお会いした。鹿児島から仕事で福岡に来て、一段落した後、丁度organに行こうと思っていたところだったらしく、嬉しい偶然とはこの事である。「gi」や「マルチェロ」などを案内させてもらいながら、今開催中の”ASH"というイヴェントの事など、いろいろと興味深い話を聞くことが出来た。この夏訪れた鹿児島の印象が強く残っているだけに、福岡も「リトル東京」などと呼ばれないよう、もっとローカルに根ざした活動を目指したいものだと思う。話変わって、ウチの近所にイートインも出来る美味しいデリがある。近在のナチュラルな食材を使った総菜は、さながら大橋の小さなWhole Foodsと言ったところか。いつもはランチ時に利用するのだが、今夜は奥さんと晩ご飯を食べた。食事を終わり出ようとすると、カウンターの端にある小さなケースに保温された薩摩芋があった。「種子島の紫芋」とある。以前どこかで食べて美味しかった記憶があるし、そうそう鹿児島のフリーペーパー「JUDD」の最新号で、中原さんも薩摩芋のことを書いていたっけ。小さめのものを買って、うちに帰りペロリと食べた。実は、今日は奥さんの誕生日なのだが、「ノミの市」の忙しさにかまけてケーキも準備していなかった。総菜のディナーと紫芋のデザートでも文句を言わない奥さんは、薩摩おごじょも顔負けなのだ。

Wednesday, December 10, 2008

T君と木馬

Rimg0208-1 T君が福岡に戻ってきて歓迎会はやったのだが、大勢だったこともあり、ろくに話も出来なかった。で、昨日T君一家3人と僕らだけでご飯を食べた。場所はまだ2才のSちゃんが騒いでもOKなようにと、ワガママを許してくれそうな「ikone」にした。3年前、一緒に南阿蘇の地獄温泉に行った時は、Sちゃんはお母さんであるM子さんのお腹の中だった。去年の春、彼らが大阪に転勤になってすぐの頃、倉敷、直島で落ち合った。そのころはまだハイハイの頃だったが倉敷民芸館の畳の上でゴロゴロ、ゴロゴロと元気いっぱい転がっていた。今では、笑顔をふりまき、片言のおしゃべりをしている。でも、大声を出したりはしなくなっている。T君と僕が酒を飲みながら話をしていると、なんだか興味深げに見つめたりする。M子さんは大阪での思わぬ病からもすっかり立ち直り、以前にも増して元気だ。来年あたりから小さな店を始めるらしい。とても楽しみである。T君が思い出したように言った。「そういえば、以前organで買ったCreative Playthingの木馬、ようやく最近揺らして遊ぶようになりましたよ」。イームズの時代にアメリカで作られた、今では子供用としては高価すぎるこのアイテム、実はSちゃんがお腹にいる時にT君が買ったものなのだ。生まれる子供の為とはいえ、なかなか気前がいい。実は、人一倍インテリアにこだわる彼がすっかり気に入ってしまい、ちゃっかり子供をだしに使った、と言えなくもないのだが。3人が福岡に帰ってきてくれて、なんだか回りがハッピーになったようだ。

Monday, December 8, 2008

ノミの市

Rimg0210 久しぶりにノミの市をやることになった。多分4、5年ぶりかな。ちょっと難ありや、店頭に出せなくて眠っている商品を引っ張り出して3階のリビングルームに並べるだけでもちょっとした仕事。結局3日間かけて「これ、出そうか、いや待てよ、あの時がんばって手に入れたものだし・・・」、などと自問自答しながらの楽しい作業だった。で、気がついたのはレコードの量の多さだ。考えてみると20年くらいはレコード屋にいたわけだし、辞めてからもorganで8年間ほどはレコードを売ってたわけである。結局売り場の問題もあって止めてしまったけれど、そこそこの数が残ってるのは当たり前なのか。それにしても、倉庫から段ボール入りのレコードを階段を昇って3階まで運ぶのはかなりの重労働だ。アナログは重い。今回は一部だけにしよう。そのかわり、全てLP900円、12インチ400円と格安にして、出来れば年明けにでも全部放出することにした。ざっと見ると、アメリカ系、ニューウェーブ、フレンチ、R&B, レゲエ, JAZZ、その他ってところか。中には、それなりのレア盤もあるから勘弁してもらおう。写真の中では、ROCHESというNYの女性3人ユニットのデビュー盤、よく聴いたナー。試しに、お気に入りだったA綿2曲目”Hammond Song"に針を落としてみる。フォーキーなコーラスとロバート・フリップの天国ギターとの出会いには、やっぱりグッと来てしまった。
「organ ノミの市」 12月10日(水)より14日(日)まで。

Saturday, December 6, 2008

インティメイトなタイ・ポップス

Rimg0009-4 先日、福岡に来てくれたOさん夫妻からタイ・ポップスの自選コンピレーションCDをいただいた。実は、ひと月ほど前に郵送してもらったCDの面白さに驚いて「よければ続編をぜひ」とお願いしていたのだ。僕が知っている90年代のタイ・ポップスとは違い、ヴァラエティに富んだサウンドが満載だ。おととい、友人のT君が2年あまりの関西暮らしを終えて念願の福岡転勤で戻ってきた。音楽好きが集まる歓迎会を我が家で催した際、そのCDをBGMにした。「カッコイイ!オリジナル・ラブみたい」とか「カヒミ・カリイよりイケテル!まるで渋谷系だね」などと、みな年相応に驚きの声をあげていたものだ。僕も初めて聴いたときにはそんな印象を持ったのだが、よく聴くとAOR, R&B, SS&W, JAZZなど往年のアメリカっぽいテイストが充満しているようだ。時々、ちょっと泥臭い曲も入っている。よく練られたアレンジには斜に構えたところがなくストレート。センチな歌声には人なつっこさが溢れて、まさに良質の大衆ポップスというところだ。次回、チェンマイに行く機会があったらぜひOさんオススメのCD屋を覗いてみよう。でも、数あるCDの中から、ひとりでこんなナイスな曲をチョイスできるだろうか?アートワークはイケテないらしく、ジャケ買いは無理だろう。やはり、Oさん同伴を願うしかない。

Thursday, December 4, 2008

Gパン=構造的

Rimg0005-1 そういえば、「構造主義」を唱えたフランスの思想家レヴィ=ストロースが100才の誕生日を迎えたらしい。といっても、彼について多くのことを知っているわけではない。ずいぶん前、柄谷行人の本の中でしばしば引用され興味を持ったくらい。当時僕はインドネシアやマレーシアの音楽に惹かれてよく赤道付近を訪れていた。そんなこともあって興味を持った「悲しき熱帯」という古本を買って読もうとしたけど、なんだか読みづらくて挫折してしまった。「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」なんて言葉は強烈だったけど、要は「西欧の目線で世界を見るな」という感じなのだろう。賛成だ。それにしても、「構造主義」というコンセプトを、よくわからないくせに知ったかぶりをして友人との会話でもずいぶん多用してヒンシュクをかってしまったっけ。ところで、今回知ったのだが、彼の名前レヴィ=ストロースはリーヴァイ・ストラウスとかなり紛らわしい。カリフォルニアのレストランで名前を告げると「pants or books?(ズボン、それとも本?)」と尋ねられたという逸話を本人が語っている(Wikipediaより)。で、実際彼はGパンの創始者とは遠縁に当たるという説もあるらしい。もし本当なら、前回の「Gパン=構造的」説もまんざらではないということになる?

Sunday, November 30, 2008

519

Rimg0213 朝起き抜けに穿くGパンが冷たくなったといっても、毎日ウールのパンツというわけにもゆかない。そうそう、リーヴァイス519のコーデュロイがあった。これなら肌ざわりも冷たくない。一時期、古着屋でサイズが合うやつを見つけると、迷わず買っていた。おかげで、グレイを中心にベージュ系などがかなりの数、さながらグラデーションのように溜まってしまった。実は、夏でもベトベトせずに穿けるので重宝する。たまに517というベル・ボトムを買うこともあったけれど、やはりすっきりしたシルエットの519が圧倒的に好きだった。505というのもあって、古着屋では519と一緒の棚に置いてあったりして、ちょっとまぎらわしい。505は先が少しテーパード気味なのだ。簡単な見分け方は、まず519にはポケットにリヴェットがなく、またコイン・ポケットと呼ばれる三角形の小さな付属物もないことである。シンプルなのだ。Gパンのことを業界では5ポケットと呼ぶらしい。そういえば、リーヴァイスの501など確かに4つの他に小さなコイン・ポケットがあるといえばある。そういう意味では、519は4ポケットということになる。Gパンのなかでは変わり種なのだろう。しかし、コイン・ポケットなるものは今だかつて使ったためしはないような気がする。在ってもなくてもいいのに在ると可愛いのは、いわば「えくぼ」みたいなものなのだろうか。どちらにしても、最近古着屋ではめっきり519を見かけなくなったような気がする。505は多いけれど・・・。考えてみると、Gパンもデニムや5ポケットなどと呼ばれたり、品番で区別したりとずいぶん構造的になったものである。

Saturday, November 29, 2008

ボヘミアン風フェルト帽

Rimg0650 こう寒いと、僕のような坊主頭の人間は帽子が欲しくなる。でもこの冬は大丈夫、中国に行った若い友人が一風変わったフェルト帽をおみやげにくれたからだ。彼が行ったのは酒で有名な紹興というところだ。その前は確かフランスはアルザス地方のワイン農家に行っていたはず。といっても酒が目的ではなく、古い建物の研究の為である。彼は大学院で建築を学んでいる学生なのだ。その帽子をいただいたのは夏の盛りだった。一見チロリアン・ハットみたいだが、かぶってみるともっとインパクトがあっておもしろい。以前、紹興の農民や船頭などの労働者は皆この帽子をかぶっていたらしい。また、魯迅の小説「阿Q正伝」にも登場したということだが、そのいわれがふるっている。昔々、猟師たちが手負いの大虎を穴まで追い込んだ。見ると、その虎はすでに死んでいて、下にひつじや猪の毛が絡まり合って出来たつやつやした毛氈(もうせん)のようなものが敷いてあった。しかも、虎が長いこと寝ていたために鍋底の形をしていた。猟師達は面白がり、持ち帰って帽子にしてかぶってみた、ということなのである。ま、話の真偽はともかく、気に入った僕は店で取り扱いたくなり、秋にもう一度紹興へ行くという彼に「10個ほど買ってきて」と、お願いしたのである。今の中国ではかぶる人もほとんど無くなった無骨な帽子だが、端の曲げ方ひとつで浅くも深くもお好み次第。なによりもこんなボヘミアン風なフェルト帽なら、どんな北風も平気だろう。
フェルト帽¥3675

Thursday, November 27, 2008

男っぽい

Fran-1 寒くなってくると、ワッフルやフリース、ダウンベストが出番を待っている。でも、上半身は万全に準備できても、下半身の選択肢は意外に少ない。Gパンは寒い朝一番に足を通す時ヒヤリと冷たいからと、久しぶりにウールのパンツを引っ張り出した。グレイのフランネルだ。昔、母はフラノと言っていた。そういえば、コーデュロイはコール天だった。米軍が払い下げた作業ズボン(今で言うチノパン)をはいて帰ると「そんな菜っ葉(?)ズボンはいて」、と注意された。そんな時代のフラノはハイカラなよそ行き用だった。VANやJUNのショップでも、ついフラノ素材のブレザーに目がいった。でも、いざ着るとなんだかモコモコしていて、僕には似合っているようには見えなかった。多分、ちょっと厚手だったのだろう、あまり着る機会はなかったような気がする。その後、初めてのパリ旅行の際、友人から「グレイ・フランネル」というオード・トワレをおみやげに頼まれた。彼がフランスで仕事をしていた時気に入って使っていたものの、日本に帰ってみるとまだ輸入されていなかったのだ。ギャラリー・ラファイエットでようやく手に入れたボトルはその名の通り小さな灰色の袋に入っていて、とてもお洒落に見えた。少しだけ手首に試すと、それまで知っていた柑橘系とは違った男臭い香りだった。先日、その友人と久しぶりに会ってメシを食べた。酒も回って世相の話になり、例の防衛省幹部の「中国侵略否定説」の話になった。すると、その友人は「侵略は否定しないけど、あの当時の日本は欧米の帝国主義に追いつこうとしたわけで、別に悪いとは思わない」と言った。僕は、「もはや終わりかけていた帝国主義を追っかけた日本の先見性のなさ」みたいな論をぶちあげた。もちろん彼は、もうグレイ・フランネルを付けてはいなかったが、やはり男っぽいことには変わりがないようだった。持つべきは、他者的友人だ。

Thursday, November 20, 2008

ツァイ・ミンリャンの「楽日」

Rimg0417 店休日という事でDVDをまとめ借り、旧作4本で1000円なり。ツァイ・ミンリャンの「楽日」は二人ともぜひもので、リー・カンションの「迷子」はもともと「楽日」と一緒に併映される予定だった映画だったらしく、こちらも迷わず選択。トーマス・キャンベルの「スプラウト」は最近アメリカ好きになった奥さんの、そしてドキュメント「ポール・ボウルズの告白」はバロウズ関連で観たくなった僕のチョイス、とあくまで民主的。それにしても、久々の台湾映画、それもDVDとはいえ映画環境が貧しい福岡でツァイ・ミンリャンが観れるとは嬉しい。考えてみると、映画館に最後に足を運んだのはいつだったか思い出せない始末。DVDは便利でありがたいが、映画自体のダイナミズムは失われてゆくばかりなのだろう。実は、当の「楽日」が、そんな古い映画館の閉館日を描いたものだった。しのつく雨の中、だだっ広い客席には子供と、老人、それにゲイの男たち。足の悪いモギリ嬢が、ゆっくりゆっくり薄暗い階段を上がり、映写室へと蒸しパンの半分を届ける様子を執拗なロング・ショットでとらえる。せりふはなし、とまあ、観てない人には何のことだかわからないだろうが、観ていても「一体全体どうすりゃいいのか」と、とまどう。でも、これはツァイ・ミンリャンいつものやり口だ。最後の誰もいなくなった客席を、ただひたすら5分間も撮り続けたシーンがヴェネツィア映画祭で物議をかもしたのもうなずける。そんな強引な映画なのだが、見終るとようやく全体が俯瞰でき、その見事な映画術にあきれてしまうほかないのだ。一方、ツァイ・ミンリャンの秘蔵っ子俳優リー・カンション初の監督作品「迷子」のほうは、当初予定していた短編だったらもっと良かっただろうに、という感じ。そうそう、監督とその分身みたいな子役といえば、エドワード・ヤンの「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」でデビューしたチャン・チェンがいる。そして当然のように、フランソワ・トリュフォー作品でのジャン・ピエール・レオを思い出す。そういえば、ツァイ・ミンリャンの「ふたつの時、ふたりの時間 」にはそのジャン・ピエール・レオが出ているし、なんだか台湾映画とフランス映画が、僕の中では入れ子状態になっているようだ。

Sunday, November 16, 2008

アメリカ気分

Rimg0387 スフィアン・スティーヴンスを初めて聞いたのは、1年ほど前だったと思う。アメリカから届いた期待のSS&Wのアルバムという触れこみだったけど、聴いてみると僕らの世代が知っているSS&Wとはかなり様子が違っていて、すっかり感心してしまった。バンジョーがポロンポロンと響き、それとは対称的にブラスやオーケストラといった音響がオーバーラップするスタイルに、鈴木惣一郎とヴァン・ダイク・パークスが出会ったような音だと思った。そこには、R&Bやソウル・ミュージックといった黒人音楽からの影響が見あたらない。にもかかわらず、スピリチュアルと言っていいような雰囲気が漂ってもいる。そんな思いを強くしたのは、最近手にした”The Welcome Wagon"という白人夫婦ユニットのアルバムを聴いてからだ。スフィアン・スティーヴンスがプロデュースしているのだが、古き良き時代のいかにもワスプな白人夫婦のポートレイトを模したジャケット・デザインにスフィアン自身のアルバムとの共通性を感じた。というか、旦那さんがかぶっている麦わらのテンガロン・ハットに目が釘付けになってしまった。僕がゴーストランチの売店で買った10ドルのテンガロン・ハットにそっくりなのだ。どうも、まだアメリカ気分が抜けきっていないようだ。で、肝心のCDなのだが、まるでシェーカー家具に囲まれたような気分で、もちろん悪いわけがない。1曲目の”Up On A Mountain"と、7曲目”American Legion”が白眉だ。
The Welcome Wagon / Welcome to the Welcome Wagon (Asthmatic Kitty Records AKR 045)

Saturday, November 15, 2008

この星はもっとずっと住みやすくなる by バロウズ

Rimg0375 奥さんがウィリアム・S・バロウズの「Last Academy」というDVDをレンタルしてきてビックリした。あれほどヨーロッパびいきだった彼女も、最近はアメリカ寄りだと自他共に認めている。それにしても、よりによってあんなにヘヴィーな変人に興味を持たなくても・・・と思ったが、ひょっとするとサンフランシスコでビートニク発祥の本屋「シティライツ・ブックセラーズ」に立ち寄ったせいかもしれない。なにしろ、アレン・ギンズバーグも実はバロウズに憧れていたという話で、僕としても興味が無いわけではない。といっても、80年代ニューウェイブの最中に、イギリスのスロッビング・グリッスルというカルトなバンドが、ある時に名前をサイキックTVと変え、その名前の由来がバロウズであるということくらいの認識でしかなかったのだけれど。その後、彼がピストルを手に不気味に笑っている写真を見たり、小説「裸のランチ」を買ってはみたものの、どうにも不可解なだけだった。で、初のDVDだったのだが、前半はダダやシュールリアリズムのコラージュ作品みたいで、かなりヨーロッパっぽい印象。ところが、後半のパフォーマンスは圧巻だった。いわゆるポエトリー・リーディングのイヴェントなのだろう、若い聴衆を前によどみなく自作を朗読するクールな姿はちょっとしたものだった。いわば世間の、というかアメリカのタブーみたいなものに敢然と挑む姿勢は、もちろん挑戦的だけど、ある種痛快でユーモラスでさえある。それは、知性というものがある不思議な発展を遂げた結果を思わせるものだった。ふと、北野タケシを思い浮かべてしまった。しかし、バロウズが果たして生前にテレビというお気軽なメディアで毎週お茶の間に顔を出しただろうか、と想像した途端にこの仮説は霧散してしまった。お国柄というものは、厳然としてあるのである。それにしても、アメリカという国の果敢な実験性は、この種の重層的なサブカルに支えられているようだ。

Tuesday, November 11, 2008

末永いおつきあい

Rimg0194 先日、友人の結婚披露宴に招かれた。新郎は開店当初のお客さんで、その後家族同様の付き合いを続けさせてもらっているN君。彼にはホームページを作ってもらったり、海外に買い付けに行く折りに店の留守をお願いしたりと、とてもお世話になっている。そんなわけで、挨拶を頼まれたときも断る理由が見つからなかった。でも、実は随分以前、勤めていた会社の若いスタッフの披露宴に「歯が痛いから」などという子供だましな理由を付けて出席しなかった位、こういう席が苦手である。前日の夜は、さてどんな話が出来るだろうかと、あれこれ思案した。でも、妙案が見つからない。少しは知っているつもりでいたデザイナーとしてのN君の資質にしても、いざとなるとどうすれば伝えることが出来るのかと困ってしまい、観念して寝てしまった。当日、式直前になって司会者の人から「今日はよろしくお願いします」と釘を刺され、予感が的中した。仲人なしの場合、新郎側のご挨拶ということは、トップバッターなのである。実は、乾杯を終え、せめて一杯でもアルコールを流し込んだ後で臨みたかったのだが、万事休すである。指名されると、意を決して席を立つしかなかった。話している途中で自分の声がこまかく震えているのがわかった。普段は断定的な強弁を振るうくせに、これではまるで小学校の弁論大会だ。だが、このふるえ声を感極まった風に解釈してもらえればラッキーかもしれない。席へ戻り、新郎新婦の顔を覗いた時には、まるで、敵失でホームに生還したような気持ちだった。これに懲りず、二人には末永いおつきあいを願うしかない。

Saturday, November 8, 2008

オキーフのお眼鏡

Rimg0180 今回のアメリカでのハイライトは、サンタフェ郊外にあるジョージア・オキーフが住んでいた家を見学すること。だからこそ、1ヶ月前に日本からファックスで申し込みをし、アビキューにあるオキーフ邸のすぐ近くのホテルに泊まり、朝9時半のツアーに臨んだのだ。それは、期待を裏切らない素晴らしい体験だった。アメリカにおいて初めてヨーロッパのコンプレックスを脱し、独自の絵画世界を切り開いた女性画家は、絵画以外の点においても妥協を知らなかった人だったのだ。その審美眼は着る服や、食べるものにも現れている。白か黒のコットンのシャツやワンピースはちょっとアーツ&サイエンスみたいだし、庭で育てた野菜類はもちろんオーガニック。1930年代の暮らしとは思えないほどの先進ぶりには驚く他はない。そして住まい。ニューメキシコ独特のアドビ様式の廃墟を気に入り、10年をかけて改築したアトリエ兼住まいには、今でも彼女の精神が静かに息づいているかのよう。僕は、瞬間的に禅の世界を思い浮かべてしまった。悟りというより、美しいものだけを執拗に追い求めたという意味合いだけれど。そんな中で、キッチンは様々な食器や鍋類が棚に並び、とても興味深かった。その時、熱心に見ていたウチの奥さんが「見て見て、ルスカがある!」と小声ながら興奮した様子で僕の耳元でささやいた。確かに、アラビア社の"RUSKA"と呼ばれているテーブルウェア・シリーズのディナー・プレートが数枚スタックされているではないか。我が家でも頻繁に活躍するこの皿が、オキーフのお眼鏡にもかなっていたとは、なんという嬉しい偶然だろう。

Friday, November 7, 2008

ホールフーズ で夕食を

Rimg0277 サンタフェでどこに泊まろうかと迷っていると、友人のOさんが「Sage Innはどうですか、隣がWhole Foodsですよ」と、知らせてくれた。以前LAに行ったときにSOURCEの杉山さんに連れていってもらい、その時は時間がなくてゆっくり見ることが出来なかったナチュラル系のスーパーマーケットが、サンタフェにもあるらしい。僕も興味があるが、ウチの奥さんが大のお気に入りということもあって、まよわずそのホテルに予約を入れた。レンタカーのGPSに誘導されて目指すホテルに近づくと、ありました、ほんとにすぐお隣。もちろん、チェックインもソコソコにいそいそと向かった。圧倒的な物量はモロにアメリカ的なのだが、なにしろディスプレイが素晴らしい。野菜のコーナーなんて、まるでイームズのピクニック・ポスターみたいにグライフィカルだ。値段は普通のスーパーに比べると高めだけれど、ワインのコーナーにはスタッフのレコメン・コメントがあったりするし、店内のあちらこちらで仕事をしている人たちがとてもフレンドリーで、”May I help you?"なんて声が自然に掛かるからイイ。もちろん、食品がメインだが、ナチュラルなコスメ類も充実していて、ついつい買いすぎてしまう始末だ。美味しいテイクアウトもあり、僕らはスープや総菜、サラダにパン、それにワインをを買い込み、レジ横にあるイート・インのテーブルで平らげてしまった。ふと見ると、小さな子供をふたり連れた若いお母さんがちょうど精算を終えたところだった。かなりの量の食品が、それぞれ違うネームが入った5つのトートバッグに収まっていた。店の紙袋を使わず、5つも手持ちを準備するとは、さすがエコに敏感な人が選ぶ店だなー、と恐れ入ってしまった。

Thursday, November 6, 2008

アメリカは、まだまだ捨てたものじゃない

Rimg0815 日本に戻ってきて1週間、ようやく時差ぼけが直った。オバマ新大統領誕生のおかげだ。きのうは、世界中が久しぶりにポジティブな気分になれた日だった。「アメリカは、まだまだ捨てたものじゃない」と、誰しもが思ったはずだ。でも、本番はこれから。彼が稀代の雄弁家なのか、それとも本当に実行力がある政治家なのかは未知数なのだから。ところで、僕はオバマ氏の経歴に興味を持っている。ケニア人の父と、白人の母との間にハワイで生まれたアフリカ系アメリカ人であり、青年時代をインドネシアでも過ごしている。ということは、少なからずアジア的空気にも触れたことがあるわけで、つまり、彼は初めての黒人大統領というアメリカ内での評価と別に、僕らアジア人にとっても少しだけシンパシーを持てるということなのかもしれない。宗教的には、父親はイスラム教で母親はキリスト教だったと思う。本名はバラク・フセイン・オバマであり、”フセイン”という元イラク大統領と同じミドル・ネームのために一時期中傷されたこともあったようだ。共和党側の選挙戦略とはいえ、これはいただけない。彼は人種的にも宗教的にもマルチカラードなわけで、それこそが今までにない新しい指導者の魅力なのだから。それに比べて、先ほど更迭された旧国交省大臣の「日本は単一民族発言」や、めでたく定年退職した旧防衛省幹部の「中国侵略否定説」はどうだろう。一部の日本の政治家の見事な時差ぼけぶりは、実際始末に負えないものがある。他者の存在を認めないことは、とても危険なことだと思う。

Wednesday, November 5, 2008

Kate Spadeのディスプレイ

Rimg0666 今現在、日本時間11月5日午前8時過ぎである。あと2,3時間もすればアメリカの新しい大統領が選出されているはず。事前の予想ではバラク・オバマ氏が優勢だといわれ続けているし、実際、今回のアメリカ滞在中、ニューメキシコの片田舎でさえも、あちこちでオバマ支持のステッカーを見かけたものだ。しかし、ふたを開けるまではわからないのが選挙だ。それにしても、変革を求める声は、企業の宣伝にまで及んでいることに驚いた。サンフランシスコのユニオンスクェアにあるKate Spadeの店の前を歩いていて、巨大な選挙用のバッジを模したウインドウ・ディスプレイに出会った。”take a chance","BREATHE FRESH AIR"など比較的穏健な言葉から、”FREEDOM TO USA"、”ASK questions"とあり、果ては"break the rules"ときた。ついさっき見たGAPのショウウインドウにも同じようなバッジのディスプレイがあったが、そちらは単に”VOTE!"と、投票への参加を呼びかけた穏健なものだったが、こちらは違う。明らかにオバマ候補への支持を訴えているのだ。以前、ニューヨークのJack Spadeを初めて訪れた際、そのパーソナルな店内ディスプレイ振りに唸ってしまったことがある僕は、この時も思わず拍手を送りたくなり、調子に乗って店内にはいってしまい、思わず旅行用の小型ボストンバッグを買ってしまった。日本の場合、そんな宣伝方法を採る 企業は見あたらない。広い意味での個人的な政治意識を、商品を買う際の選択肢に反映させることは、リアル感があっておもしろいことだと思う。成熟した資本主義を目指す日本にも、そろそろそんな企業が現れてもいい。もちろん、その前に僕ら個人が、もっと政治に関心を持つことが前提にはなるだろうけれど。

Tuesday, November 4, 2008

時空を越えたおいしさ

Rimg0759 早朝、果てしもなく広がるニューメキシコの荒野から、坂だらけの街サンフランシスコに着いた僕らを迎えたのは濃い霧だった。ボンヤリした頭の中でトニー・ベネットの「霧のサンフランシスコ」が響いていた。特に好きな曲でもないのに。きっと、アメリカに来ていっこうに収まらない時差ぼけのせいだ。それでも、中華街のゲート近くのホテルでチェックインを済ますと、疲れたといってベッドで仮眠を取る奥さんを残し、一人で街へ出てしまった。じっとしていられない性分は、どこにいても変わらない。友人から教わった中華料理店へでも行ってみようと思う。果たして腹が減っているのかどうか判然とはしないのだが、朝がゆなら大丈夫かもしれない。まだ閑散とした中華街を北へ抜け、ブロードウェイを左に曲がると、その食堂があった。入り口向かって右はオープンキッチンになっていて、さかんに湯気が立ち登っている。9時前だというのに、店内はけっこうな数の人である。メニューにざっと目を通し、10種類くらいはあるかゆの中からダック入りを注文する。回りを見渡すと、半分以上の人が、やはりかゆを食べている。それと一緒に、ヌルッとした白い衣を巻き付けたバゲットのようなものを食べている人もいるようだ。「何なんだろう?」、と興味はあるが、いかんせん一人。見たところかゆはボウルすり切れ一杯もありそうだ。ちゃんと食べおおせるかさえおぼつかない。待つことものの5分くらい、かゆがテーブルに届いた。一口目を口にした瞬間、やはり、無理しても奥さんを連れてくるべきだったと思った。これは、まるで”時空を越えたおいしさ”だ!なんだか疲れが一挙に吹っ飛ぶようである。八角の香りただようダックの肉片もタップリで、時々混ざるピーナッツの香ばしさもうれしい。気がつくと、大半を食べ終えている。額がうっすらと汗ばみ、体がホカホカとしている。結局、滞在4日間の間に、都合3回も通ってしまった。もちろん、謎の物体にも挑戦。揚げパンを薄い米片で包んだものを、酢醤油で食するというもので、テイクアウトでも人気らしかった。店を出ると、霧は消えて、ストリートの遠く向こうにベイ・ブリッジが蜃気楼のように見えていた。

Friday, October 17, 2008

シャンソンにはハミングがよく似合う

Rimg0077 クレール・エルジエールという女性歌手のCDを聴いている。2003年にピエール・バルーのサラヴァ・レーベルからデビューした彼女の最新作である。「パリ、愛の歌〜永遠のシャンソン名曲集」というフツーのタイトルだが、内容がとてもいい。アコーディオン、ピアノ、ギター、コントラバスだけをバックに歌われるおなじみの曲がとても新鮮に響く。エディット・ピアフなどの感情過多な歌唱に比べると、随分あっさりとしているところがミソなのだろう。とは言ってもシャンソンは詩が命。そのほとんどが一筋縄では行かない男と女の世界。ところが、当方まったくフランス語がわからない。勝手にアンニュイだのデカダンだのと想像するばかり。だからなのか、彼女みたいに語りかけるような歌い方のほうが心に響く。このアルバムに収録されている”Parlez-moid’amour(聞かせてよ愛の言葉を)”も、冒頭の”パーレモアー・ダムール〜”だけはいつでも口を突いて出るのだけれど、あとはやっぱり”ラララ〜”、となってしまう。今の季節、シャンゼリゼのマロニエも黄色に色づき、さぞやロマンティックなことだろう。パリがいかに変わろうとも、セーヌの岸辺を歩けば、やっぱり「パリの空の下セーヌは流れる」をハミングしてしまう人がいるに違いない。そう、やっぱりシャンソンにはハミングがよく似合う。ちなみに、プロデュースはこのアルバムでギターを弾いているドミニック・クラヴィクという人で、長年アンリ・サルヴァドールのバックを努めてきた人である。

Sunday, October 12, 2008

長十郎なら文句ナシ

Rimg0063 最近、といってもかれこれ2ヶ月くらいになるだろうか、ウチのすぐとなりのビルの軒先に露天の野菜屋が出現している。穫れたての地野菜や果物が駅前広場の向かいにあるひと坪ほどの場所に並べられ、道行くおばちゃん達が足を止めている。相次ぐ食品偽装もあってか、食の安全が気になるのはなにもおばちゃんに限ったことではないだろう。僕も、犬の散歩の帰りに立ち寄ってなにがしか買い求めることがある。不揃いな形のトマトや、もぎたてのナスを見ると、つい買いたくなるのだが、我が家の冷蔵庫に買い置きがあるのかどうか定かではないから、あきらめることが多い。ところが、果物となると、つい買ってしまう。もし買い置きがあっても、毎朝なにがしかの果物を食べるので構わないのである。酒を飲み過ぎた翌朝、ぼんやりした寝起きの頭に果物の水分と糖分がジワーっとしみ込んでゆくのは悪くないものだ。特に、今の季節は梨がいい。シャクシャクとした歯触りと、甘くたっぷりの果汁には抗しがたいものがある。梨なら何でもいいのだが、長十郎なら文句ナシだ。昔は、二十世紀に比べられると肩身が狭かったこのでっかくて無骨な梨だが、旨いのに当たると「これぞ、日本の梨」という感じでつい食べ過ぎてしまうほどだ。そして、何よりも安い。赤ん坊の頭くらいのが2個で300円である。旨くて、安くて、安全な食い物があるのは、気分がいいものだ。そういえば、昨晩久しぶりにビクトル・エリセの「エル・スール」をDVDで観た。本当は「マルメロの陽光」が観たかったのだが、レンタル店にはなかった。でも、あまりの素晴らしさに、おかげでしばらく寝付けなかった。それにしても、マルメロという果物は、一体どんな味がするのだろうか?見たところ、洋なしのような形をしているのだけれど・・・。

Wednesday, October 8, 2008

帝さんとMIKADO

Rimg0034  今年もROVAの新入生を迎える季節がやってきた。福岡校も早いもので10周年である。10年前といえばちょうどorganを始めた頃、つまりROVAと organはほぼ同い年ということになる。でも、考えてみると、主宰する小柳帝さんとはそれよりもずっと以前に知り合っている。僕がレコード店に勤めていたときに、高校生だった彼がしばしば立ち寄ってくれていたのだ。当時は80年代ニューウェイブまっただ中で、イギリスやヨーロッパから刺激的なインディペンデントのレコードが、それも毎月のように送られてきていた時代だった。仕入れを担当していた僕は、面白そうなレーベルやプロデューサーの名前を手がかりにして、手当たり次第にオーダーをしていたものだ。そんな中に、フランスのMIKADOと言う名前のユニットの7インチ盤があった。ジャポニズムでもあるまいが、とにかく変なフランス人だろう位の気持ちで試しに1枚だけオーダーした。聴いてみると、はかなげな女性ボーカルとエレ・ポップ・サウンドがとても新鮮で、すぐに自分のキープ棚に仕舞い込んでしまっていた。そんなある日、彼がやって来てカウンターにいた僕に言ったのである、「ミカドっていうグループのレコードありますか?」と。内心、とても驚いてしまった。なにせ音楽誌にもまだ載っていない無名の新人の、それも7インチ盤なのである。しかも、それは僕のキープ状態にある。「ごめんなさい、品切れなんです。どこかでお聴きになったんですか?」と尋ねると、彼は続けてこう言った、「イヤー、僕と名前が同じなんで、興味があって・・・」と。今思っても、とても面白い出会いだったと思う。そして、それ以来ずっと音楽や映画、そしてデザインを通じたつきあいを続けさせてもらっている。それは、「帝さんの目下の興味の対象は一体何なんだろう?」という僕の興味がいっこうに尽きないからだ。そして彼は10年ほど前から月に一度、レコードやCD,そして雑誌や資料で一杯になったトートバッグを手に、ROVAの為に東京からやって来るようになった。ROVAの生徒さん達はそんな帝さんを心待ちにしている。それはきっと、フランス語の授業はもちろんだが、彼が肉声で紹介する音楽や映画に対しても興味をそそられるからに違いない。まずは、18日に行われるイヴェント形式の説明会で、ぜひミカド・ワールドの一端に触れて欲しいと思う。

Monday, October 6, 2008

こんなラジオ局があってもいい

41K2749Tp1L-1 SOURCEの杉山さんのブログを見ていたら、面白そうなネット・ラジオが紹介されていた。なんでも、LAはサンタモニカから発信しているパブリックFMらしく、KCRWという。早速ログインしてみると、いかにもアーバンな感じのDJ諸氏の写真とプログラムがズラリ。そのなかでも、一番オルタナ顔をした男のプログラムを開くと、イナラ・ジョージ&ヴァン・ダイク・パークスの名前が。しかも、ライブとある。押っ取り刀でクリックすると、スタジオ・ライブではないか。多分出たばかりの新作からの曲なのだろう。イナラ嬢の素直な唄いっぷりがとても気持ちいい。ピアノを弾くオーヴァーオール姿のヴァン・ダイクは今やまん丸体型。「ソング・サイクル」の頃の彼とは隔世の感があるのは仕方がない。途中のインタヴューでは、早口でジョークを飛ばしていたけど、残念ながら僕の英語力ではほとんど理解できなかった。なんだかすっかり得をした気分で違うDJをクリックすると、聞き覚えがある曲が流れてきた。好きだった80年代のグループなのだけれど・・・。トーキング・ヘッズをイギリス流にポップにした音と、センチメンタルなメロディ・・・、あっ、ブルー・ナイルだ!良かった、思い出せて。ヴォーカルはポ−ル・ブキャナンっていったっけ。たしかグラスゴー出身で、ニューウェイブの末期にデビューして”HATS”というアルバムが評価高かったなー。多分この曲もそのアルバムからだ。しばし、懐かしさと、いま聞く意外な新鮮さに耳を奪われていると、次の曲がかかる。うわ、コクトー・ツインズだ!!やっぱり、エリザベスの声って唯一無二だなー、あとでレコード引っ張り出そう、などと思っていたら、続いて当のデヴィッド・バーンの歌声が。ただし、新曲らしく憶えがない。それにしても、ラジオで興奮したのは久しぶりだ。多分、初めて行ったパリでRadio Novaに出会って以来だろう。プログラムをよく見ると"Sounds Eclectic"とある。Eclecticとは、(学問や芸術上)「取捨選択された、編集された、折衷主義の、多方面にわたる」などの意味を持つ言葉らしい。ちょっとスノッブだけれど、こんなラジオ局があってもいい。

Wednesday, October 1, 2008

ホッピーさえ飲まなかったら

Rimg0166-1 先日の東京出張でビオワインの洗礼を受けてしまった。場所は友人のOさん夫妻と夕飯を食べる約束の「ル・キャバレ」。代々木八幡から歩いて10分ほどの所にある。JR新宿駅で小田急線に乗り換えようとしたとき、このまま電車に乗ると約束より早く着いてしまうことに気付き、どこかで少し時間をつぶそうと西口へ出た。学生時代、青梅街道沿いの中古レコード屋によく通ったなあ、と思いながらも足が自然にガード沿いの方向へ向かい、あっという間に「ションベン横町」の飲み屋街にいた。そういえば、昔たまに来たことがある。バンドの練習を終え、一杯やりつつ音楽談義をするには格好の場所だった。特に金欠の身の上にはありがたかった。今では「思い出横町」などと名を変えた界隈だが、昔通りサラリーマンやおじさん達の天国であることに変わりはない。座って、とりあえずホッピーを頼む。アテは赤貝のひも。なにせ時間があまりない。それにしても、ホッピーというのは何の味もしないのに結構酔ってしまう不思議な飲み物だ。ふと表を見ると、ドアの向こうの雑踏を画家のYABUさんらしき人が通り過ぎたような気がする。まさか、こんな所を歩いているはずはない。ホッピーがもたらす幻覚なのだろうか。早々に店を出て、約束の店へ向かう。この分では少し遅刻だ。ところが、ありがたいことにOさん夫妻は僕らを待っていてくれた。早速ワインにする。まずは、冷えたロゼということになる。ビオらしいシンプルなラベルである。微発砲ですこぶる旨い。鳥レバーのリエットも唸るほど旨い。会話が弾み、ワインも進み、結局4本ほど空けたようだ。こんなに愉快な時を過ごしたのは、本当に久しぶりのこと。あまりの愉快さに、料理のほうは何を食べたかいまひとつ判然としないが、クスクスや、野菜系が多く、どれもビオワインに良く合うあっさり目の味付けがなされていた。それにしても、あの味気ないホッピーさえ飲まなかったら、もう一本は確実に空けていたのに、と思わずにはいられなかった。

Wednesday, September 24, 2008

「ダージリン急行」

ダージリン急行-1 「ダージリン急行」をDVDにて鑑賞する。インドが舞台なのにのっけからキンクスがかかるし、列車のコンパートメントのシーンは、なんだか「ハード・デイズ・ナイト」みたい。で、いかれた3人がインドにヒーリングを求める旅と来たから、こりゃやっぱりビートルズだ!と勝手に一人合点する。スラップスティックでナンセンスなギャグ満載なところも近し。いわば、「マジカル・ミステリー・ツアー」の成功ヴァージョンか。列車のセットや、マーク・ジェイコブスがデザインしたヴィトンの旅行カバンなど、細部へのこだわりが並ではない。監督のウェス・アンダーソン、てっきりイギリス人かと思いきや、テキサス大学哲学科出身。やはり、アメリカにはヘンテコな人がいる。ついでに、もう少し妄想をたくましくしてみると、ビートルズにしては、一人足りないことに気がつく。誰が不在なのかと考えてみる。おせっかいな長兄はポールだろう。ナイーブな次男はジョージで、やんちゃな三男はリンゴか。ということは、ジョンがいない。ここからは、ほとんど悪のりなのだが、突然死んでしまったオヤジさんがジョンで、残されてヒマラヤの修道院にいる母がヨーコというのはどうだろう。秋の夜長には、こんなターン・オンしたムーヴィーがピッタリだ。おかげでその夜はサイケな夢をタップリ見させてもらった。

Sunday, September 21, 2008

椎名其二の評伝「パリに死す」

Rimg0233 椎名其二の評伝「パリに死す」(蜷川謙著)を読んでみた。時代がかったタイトルが示すように、明治、大正、昭和をリベラリストとして生きた足跡はまるでいにしえのロード・ムービーのようだ。1908年、初めてアメリカに渡った彼は、ソローの「森の生活」に心を動かされ、実際に荒れ地で農業をやったりしている。そういえば、ショーン・ペンの新しい映画「Into The Wild」もソロー的な世界を描いているらしい。ソローといえば、大学の教材として読まされ、勝手に「世捨て人」みたいなイメージを持っていた。乱暴に言えば、元祖ヒッピーみたいな人なのだろう。一時もてはやされた「ロハス」なんてのも、ソローの影響なのかもしれない。「虚飾を捨てた小さな暮らし」を求める思想は今こそ有効なのか。しかし、実際の椎名は農業に挫折し、ロマン・ロランへの憧れもありフランスへ渡っている。第一次世界大戦や、ロシア革命が起こった頃で、大正デモクラシーの日本では白樺派の活動が起こっている。白樺派といえば、武者小路実篤の暖簾が実家の台所にかかっていたくらいの認識しかないが、実は柳宗悦もメンバーだったということに最近気がついたばかり。それはさておき、椎名はその後パリでの生活を経て、一時帰国するが再来仏、第二次大戦中は敵性国人として収容所暮らしを経験するもレジスタンス活動で対ナチス運動に関わる。その後、貧しい中でもアナキストとしての自説を曲げず、1962年、75才パリで客死している。とまあ、そこかしこに興味が尽きない内容がいっぱい。それにしても、このところ刺激的な先人達の足跡がやけに気になっている。そこには、与えられた持ち時間いっぱいを使って、今につながっている問題を捨て身で提起した人々が確実に存在しているからだ。

Friday, September 19, 2008

「セルフィッシュ」

Rimg0174 新聞に連載されていた野見山暁治の聞き書きシリーズがとうとう終わった。おかげで、朝の楽しみがなくなった、と思った矢先「セルフィッシュ」という本を手に入れた。野見山暁治の絵に田中小実昌が文章を添えたものである。先月、ROVAで來福した小柳帝さんといつものようにアレコレ話をしていて、ふと野見山の話をした際に勧められたものだ。1990年に限定2500冊出版されたが、初出は読売新聞夕刊の連載だったらしい。ヨミウリも捨てたものではない、ということか。内容は、野見山のドローイングに、所々コミさんの短い文章が入るというもの。描きなぐったような絵と刹那的な言葉のスピード感が凄い。なかでも「お前が死んでいなくなっても、毎日毎日、きょうは昨日になっていく、と。」というフレーズにしびれる。来月は、コミさんも好きだったサンフランシスコへ行くのだ。彼が、当てもなく終日バスに乗っていたという街は一体どんな街なのだろう。

Thursday, September 11, 2008

居酒屋「シンスケ」

今回の東京で楽しみにしていたのは、友人の編集者Oさんとのランデブー。時々福岡に遊びに来てくれるOさんご夫妻だが、考えてみると、東京でご飯を一緒するのは初めて。おいしいものに目がないOさんのこと、期待するなというほうが無理な話である。まずは湯島にある居酒屋「シンスケ」に向かった。大正時代から続いた江戸下町の情緒を残す名店らしく、開店直後に満席になることも多いという。縄のれんをくぐって店にはいると、一番奥の席でOさんはお銚子を傾けていた。予約は出来ないということで、開店前から並んでいてくれたのである。お礼を述べる間もなく「お酒にしますか?ここは両関だけですが、本醸造は辛口、純米はちょっと甘口です」と来た。見ると、テーブルの上には小ナスの淺漬けに芥子が添えられた小鉢が鎮座している。矢も楯もたまらず、ぬる燗を頼み、箸を付ける。
Rimg0116-2 「旨い」としかいいようがない。ナスの甘みと芥子の辛みが混然となって、口が自然に酒を要求する。その後は、Oさんオススメの品々に舌鼓を打ちながら、先日彼が訪れたサンタフェの話に耳を傾ける。以前から一度は行ってみたかった場所が、彼の言葉を通して俄然現実味を帯びてくる。10月、冬の季節が訪れる前ならジョージア・オキーフの家が見学できるかもしれない。イカズバナルマイ。最後にあきらめかけていたチーズの揚巻を運良くいただくと、Oさんは会社に戻るという。これからひと仕事らしい。「飲んで戻ってもだいじょうぶなんですか?」と野暮な事を聞いてしまうと、「赤い顔して戻るので、ばれてます」という返事。こざっぱりしたカウンターで、夕暮れ時ひとりちびちびやるOさんが目に浮かぶようだ。ああ、うらやましい。

Wednesday, September 10, 2008

オーダーの醍醐味

Rimg0132-2 展示会の合間をぬって、千駄木、谷中へ行った。漱石、鴎外など、文人の旧居跡なども訪れたいが、時間がない。なにせ、現場をエスケープしてきた身である。最近人気の界隈らしく、さぞ人が多いだろうと思って出かけたのだが、平日のせいか「へび道」と呼ばれる細い路地は人通りもまばら。急ぎ、お目当ての"Classico"へと向かう。店主である高橋さんとは昨日会場で会ったばかり。なんだか初対面とは思えないようなうち解け感に、ぜひ店に伺ってみたくなった。品揃えはオーガニックな素材のウェアを中心に、日々を楽しく暮らせそうな雑貨、そして陶器類がバランス良くディスプレーされている。BGMはライ・クーダー。やば、居心地が良い上に好きなものがあちらこちらに在る。特にデルフト、李朝、沖縄と揃った焼き物に触手が動きそうになる。ウチの奥さんは、瀬戸の「馬の目」皿に初めて出会い、その文様にクラクラしているようである。しかし、先を急ぐタビニンとしてここはとりあえず肌さわり抜群のTシャツにレジメンタルのリング・ベルト、奥さんはレインボーのサンダルと白磁のコップということで一件落着。再訪を期して、次なる目的地「nakamura」へ向かう。歩いて3分くらいで看板を発見、階段を駆け上がりドアを開け、早速サイズを測ってもらう。なにしろ、自分の靴をオーダー・メイドするのは初めて。もう、2人とも買う気満々なのだ。スリッポンが欲しかったのだが、かかとが浅くて脱げそうなのであきらめ、普通の紐靴に決める。素材は黒ヌバックのオイル仕上げ。ソールもヒールも低いが、ゲンズブールが履いていたレペットよりも実用的で歩きやすそうだ。つま先がアッパーに当たる旨を伝えると、その部分の革を伸ばすように指示しますとのこと。オーダーの醍醐味だ。届くのは来年の1月。それも醍醐味か。

東京中のロールアップ派

Rimg0152 "For Stockists"という名前の展示会に参加するようになったきっかけは、大阪のdieciご夫婦からのお誘いだった。存在は知っていたが、業者間の商談の場ということで、卸しをやっていない僕の店には無縁だと思っていた。ところが、改装したマンションを見た2人は「土足対応プランそのもので出店してみれば?」と言ってくれた。その後、改装に際して作ったいつくかのプロダクトをを見たPlay Mountainの郷古さんから「organは、もっとオリジナルを作るべきです」とのエールをもらった。そんなこともあり、ENOUGHの仲間と一緒に参加を決め、あたふたと準備をしたわけである。プロダクトを追加したり、リーフレットを作ったりと、忙しくも楽しい準備期間はあっという間に過ぎ、先日なんとか無事にイヴェントを終えることが出来た。会場となった池袋の「自由学園 明日館」はフランク・ロイド・ライト設計。その講堂で行われた3日間は、様々な業種の参加者と買付に訪れた人達との熱心な商談の場であることはもちろんだが、なにかもっと特別な雰囲気だったように思う。もちろん、よく知っている店の新商品を見たり、久しぶりの再会で近況を報告し合うという親密さがあることは確かだ。でも、初めて会ったり、紹介されたりといったことも多い。しかし、どちらの場合にしても、なんだかみんなひとなつっこい。服装も気張らないお洒落さんばかりだ。あとで野見山さんとも確認し合ったのだけれど、パンツをはいている人は男女を問わず、ロールアップしていたような気がする。ジーンズをひと曲げの人もいるし、軍パンをくるぶしまで上げている人もいる。ひょっとすると、東京中のロールアップ派が集まったのかもしれない。

Monday, September 1, 2008

Patina

使い込まれたものに生まれるつや、時が恵んだ変色や風格なんかのことを英語で[Patina]と呼びます。
ふと気づけば自分がこれまでめぐりあってきたものの多くがこの[Patina]を持っていて、これからもいっとき、私(『嫁』です)のその嗜好は変わらない気がします。そしてどうやら「住居」に対してもそれは同じで、すこしづつ手に入れた中古家具や道具類がうまく溶け込むだろうとイメージできる、時を経た住居空間と風景を見つけた時の喜びといったら、この上ありません。

Rimg0460 この春出会ってリ・モデルを手がけた"ENOUGH"プロジェクトのマンション#602も、当初からもちろん[Patina]たっぷりでした。そして、友人達と改装していく中で、残したい[Patina]はそのままに、また、これからもほどよい[Patina]を持っていくように、と考えられてでき上がりました。例えば、古い躯体の壁と天井はそのまま剥き出し、「隠す」「覆う」という類いの改装方法はとっていません、そこにあった過去の痕跡がとてもユニークで、これからの自分たちのライフスタイルと調和する予感がしたのです。今後は、これからの痕跡がさらに上書きされることでよりマイルドな空間になっていくことを想像しています。
 建物自体の新旧を問わずありのままの姿を持った住居は潔いもので、そこでの生活は思いのほかリラックスできたりもします。
 「リセット」や「アンチエイジング」という言葉があたりまえのように使われる現在ですが、過去と未来の[Patina]を秘めた住居といっしょに、自分自身も経年変化していくことを恐れずに楽しみたいものです。いつか、自分自身にも[Patina]が出てくることを夢見て。

 9月3日から東京で開催される FOR STOCKISTS EXHIBITION では、そんな空間の為に考えた"ENOUGH"なプロダクトも紹介する予定で、後日、その新しいプロダクトをホームページでも案内していきますのでお楽しみに。t.t.

Sunday, August 24, 2008

老人時代へ向けた学習

Rimg0009-3 最近、たまに早起きして新聞を読むようになった。さほど得もないが、それ相応の年になったというわけで、仕方がないことだろう。我が家は親の代からずっと西日本新聞である。全国紙に変えようかと思ったこともあるが、朝日にしろ、毎日にしろ、日本の新聞というものは論調にさほど変わりがないし、読売の右路線は苦手なので、結局そのままである。それに、やはり地方のことは地方紙がくわしい。朝刊に「聞き書きシリーズ」という連載があって、これなどはやはり地方紙らしいページだ。といっても、地元の財界人などの苦労話などが多いのだが、今連載されているのは違っている。筑豊出身の画家、野見山暁治の「あとの祭り」というものである。田中小美昌の本で彼を知った僕は、絵のファンとは言えないだろう。でも、彼が書く文章は好きだ。といっても「四百字のデッサン」しか読んでいないのだけれど、その中に出てくる椎名其二という人がとても興味深いのだ。大正時代にアメリカを経てフランスに渡り、清貧のままパリで生涯を終えたアナーキストである。製本業をナリワイとしていたが、たまに好きな本の装丁を頼まれると、パリ中を歩きまわって気に入った色の革を探し回って、約束の日までにはなかなか出来上がるということがなかったらしい。小さな写真に映った椎名さんは、長身痩躯でダンディ、かなり異形の人である。8月5日付けの記事を、一部引用してみる。「椎名其二さんをひと言で説明するのは難しい。二度の世界大戦をパリで過ごし、ぼくが訪ねた当時は製本を生業としていた。筋金入りの無政府主義者かと思うと、お金はないのに美食家。見事な洞察力と身勝手さが共存する、不思議な老人だった。アパルトマンの半地下にある職場兼自宅は、国籍も職業も異なる人たちのサロンで、ぼくはそこで、森有正さんとか、いろんな人に出会った」とある。「パリに死す—評伝・椎名其二」という本もあるらしく、近いうちに手に入れなければいけない。来るべき老人時代へ向けた学習の始まりだ。

Thursday, August 14, 2008

MIA DOI TODD

Rimg0083  近くの本屋でかいま見たカルチャー誌は「チルアウト」特集。その中のCDが気になり購入。L.A.に住む日系ハーフの女性SS&Wのアルバムである。立ち読みついでのうろ覚えで、名前とアルバム・タイトルが逆だったらしい。レコード店で調べてもらい、タイトルだと勝手に思いこんでいた”MIA DOI TODD”がアーティスト名だとわかった。スリーブの絵に描かれている長い髪の女性が本人なのだろうか、まっすぐにこちらを見る目は強く、同時にとても悲しい。聴く前から、中身が保証されているようなジャケットだ。日本名は土井美亜。日系の母とアイルランド系の父を持ち、今までにインディーを含め7枚のアルバムを出している。ドローン効果タップリのアコースティック・ギターと、シンプルなパーカッションをバックにした唄はカレン・ダルトンやジョニ・ミッチエル、さらにレナード・コーエンなどを思い出すことも出来る。YouTubeで検索すると、けっこう出てくる。ジャケットの絵より、本人は何倍も素敵だ。インタヴューによると、その絵は彼女自身が描いたらしい。納得がゆく。ある曲のプロモ・ビデオは、雪山にスキーに行く様子をとてもプライベートに撮っている。親しい友人ががデジタル・カメラで記録したような粗い粒子の画面が8ミリみたいでとてもいい雰囲気だった。ふいに、去年の秋、L.A.からジョシュア・ツリーへ車で移動したときのことを思い出した。同行したtortoiseさんが遠くの山を見て、唐突に「あそこは冬はスキーが出来る」と言い出したのだ。あの暑い砂漠地帯の、それもそんなに高くもない山で、スキーなんてまさか・・・、と口には出さずに心で思ったら、すぐに「ここからだと離れているからそんなに高く見えないでしょう。でも、あの山多分4000メートルくらいだよ」と言われてビックリした。距離感がまるで違うのだ。アメリカはHUGE、いや、VASTだなー。ひょっとすると、MIA DOI TODDがスキーをしたのはあの山ではないだろうか。

Saturday, August 9, 2008

本屋は無音が基本

Rimg0002-1 ブライアン・イーノの「ミュージック・フォー・フィルムズ」をCDで買った。アナログは持っているのだが、CDで聴きたくなったのだ。思った通り、レコード特有のノイズもなく、ひんやりとした音にドップリひたることが出来る。ライナーノーツを見ると、オリジナルの発売は1978年となっている。30年前か。けっこうな時間が経ったわけだ。当時、ロック・マガジンかなんかのインタヴィューで読んだイーノの言葉を思い出してみる。うろ覚えなのだが、「サイバネティックス」に関してのことだったと思う。「コンピューターの発達はまだまだ中途半端である。将来的にはスイッチなど面倒な操作をいっさい通さずに、人間が思った瞬間にそのことを感知してタスクを遂行する幸福なシステムが登場する。僕らはそれまでの長いプロセスの途中にいるしかない・・・。」みたいなことだった。それから30年。コンピューターの発達はめまぐるしく、確かに最近買い直した僕のiMacも以前に比べるとずいぶんストレスが少ない。が、やはり「あ・うん」の呼吸とまではいかないのだ。30年という時間は、やはり、世界が好転するにはちと短かすぎるのか。でも、イーノが提唱した「無視することも出来る音楽」、いわゆるアンビエント・ミュージックなるものは、この30年でなんとなく定着したようである。というか、どこにいっても音楽がかかっていて、なかには決して無視できないものもある。そういえば、BOOK OFFでかかるJポップはなんとかならないものだろうか。本を探している間中、あのナイーブな日本語がコチトラの脳と喧嘩してオチオチ背表紙も読めない始末だ。こうなると、音楽も暴力だ。本屋は無音が基本だと思う(BOOK OFFが本屋だとしたらの話だが)。本当はカフェなんかもそろそろBGMなしってのがイイ。organも無音にすべきかな。

Friday, August 8, 2008

こんな男性に

なってみたい、と最近思うのがスティーブ・マックィーン。
お間違いなく、主人ではなく、私、「嫁」のほうです。
 ショートヘアで、どちらかといえばファッションもボーイッシュなスタイルを好んでいた時期が長かったため、がぜんメンズファッションに目がいく。もちろんレディスも気になりますし、映画『アニー・ホール』でのダイアン・キートンなんてたまらん好きですけど。
で、以前から本屋に重ねられてるスティーブ・マックィーンの写真集を見るたびに、彼のファッションセンスに、いや、彼に夢中。
Rimg0001-1さらりとバラクータのスウィングトップを愛用し、またある時はくるみボタンのニットカーディガンとスウェードのデザートブーツをなんなくコーディネート、その他にもシャンブレーシャツ、ボタンダウン、ホワイトのデッキシューズ…、いいだせばきりがないほどアイビーファッションのお手本がいっぱい。
 思えばこれまで彼に関しては、小学生の頃にテレビ映画で観た『大脱走』にでていた俳優、とくらいしか認識がなく、しかも自分の興味対象がヨーロッパに多くあったため、まったくノーマークのアメリカ人俳優だったのだけれど、「アメリカ」というそのいろんな可能性をひめた国が気になり出した今日この頃は彼の存在を無視できなくなってきたのです。
 先日、DVDで映画『ブリット』を観ました。これまたマックィーンはネイビーのタートルネックがよく似合う刑事役で、サンフランシスコの急な坂道をスタントマンなしにカーチェイスします。とまぁ、あらすじのことではなく、映画自体が素晴らしい。のっけからラロ・シフリンの音楽に、パブロ・フェロのタイトルバックで始まるのですから当然カッコいい、しかも劇中に無駄な音楽や解説めいたセリフもいっさいなし、ただただ、マックイーンのせつなげな表情と目が印象に残るのです。
やはり当時から「目ジカラ」ってものはあったのですね。作品集は、もちろん主人に買ってもらいました。t.t.

Thursday, August 7, 2008

美術の先生

Rimg0190 福岡から高速を使えば、ものの40分で秋月に着くことができる。13世紀の山城の跡が残る小さな城下町は、また清流に恵まれたおいしい葛(くず)の産地としても知られている。版画家である友人のアトリエを訪ねたのは平日でもあり、観光客も少ない。夏の暑い日差しの中で、古い街並みはまるでお昼寝をしているようにシーンとしている。若くしてサンフランシスコやLAに遊び、パリでエッチングを学んだ後、東京で長く活動を続けた彼は、確か2年ほど前に故郷である甘木に戻ったはずだ。祖父母が住んでいた秋月城の長屋門を改装して、この秋にはギャラリーを併設したワイン・セラーをはじめるという。ひとあし先に覗かせてもらうことにしたのだ。古い文化財である建物を改築するのは大変らしく、建築家との駆け引きも一筋縄では行かないらしい。ひとしきり話をした後、すぐ近くにある城跡と掘り割りを見物することにした。こんもりとした木々の向こうに古い黒門が現れる。あたりは蝉しぐれ。坂を登ると開けた城内で、今は小中学校になっている。生徒数も少ない過疎の学校らしく、なつかしさで一杯の風情がある。実は、彼は今年の春からここで臨時に美術の先生をしているのだ。「あそこあたりが美術室です。このまえ、イサム・ノグチのDVDを見せて、生徒に段ボールを赤く塗った箱を作らせたんです。出来上がった箱をあっちの森の中に点々と置いて、これが現代アートだ、って教えたんです」。なんだかうらやましい話だ。彼のように素養があって、おまけにユーモアがある先生だったら、美術の授業もけっして退屈ではないだろう。やっぱり彼は、東京から戻ってきて正解だったのだと思う。

Thursday, July 31, 2008

小倉遊亀の小さな画集

Rimg0144-2 こうまで暑いと、やっぱりダレてしまうのが人情だ。手っ取り早く、海水浴という手もあるが、今年は温暖化の影響か例年に比べてクラゲの出没が早いらしい。僕はカナヅチなので刺される恐れは少ないが、浅瀬でシュノーケルのまねごとをやることはあるのでやはり油断は出来ない。といって、恒例の天ブラもこう暑くてはかなわない。いきおい、家でクーラーをかけてDVDを観ることが多くなってしまう。昨夜はフランソワ・オゾンの新作を観たが、コスチュームもので、僕が知ってるオゾンとはちょっと違った気がして、途中で観るのを止めてベッドに入った。で、古本屋で見つけた小倉遊亀の小さな画集をながめながら寝苦しさを忘れることにした。
 結論として、日本画は夏に合う、と思った。初期(1925年)の「童女入浴の図」などを眺めていると、涼やかでイイ。「胡瓜」なんて、この季節まさにど真ん中だ。淡い色調と繊細な筆致、西洋画にはない余白みたいな空間にしみじみホッとしてしまう。「浴女 その二」(1939年)の、浮世絵をモダンに消化したようななまめかしさも天下一品だ。そして、戦後になると作風に西洋の影響が顕著になる。マチスのデフォルメの真似だと言われた「娘」(1951年)などは、もう日本画とは呼びにくい域に入っている。続く「O夫人座像」(1953年)なんて、小津安二郎の映画に出てくる司葉子みたいにオキャンで現代的だ。そういえば、彼女が長い晩年を過ごした北鎌倉の画室の隣に、なんと小津が引っ越してきたという。近くに明月院という寺があり、そこの紫陽花がとてもきれいだという話もある。満開の紫陽花を観ながら、2人の間に時候の挨拶が交わされたこともあったはず、などと想像してみた。そろそろ、小津をDVDで見直してみようかな。

Thursday, July 24, 2008

YABUさんの新しいアトリエ

Rimg0042 YABUさんの新しいアトリエが仮オープンしたらしく、行ってみることにした。場所は、福岡にはめずらしい山ノ手にあり、急な坂を登った眺めのいいところである。まわりはリッチなマンションや、洒落たレストランがあって、そのあたりに住むのはちょとしたステータスなのだ。ところが、YABUさんが借りたマンションは、そんな場所には似つかわしくないようなオンボロ6階建て。築40年はゆうに過ぎていて、外装もボロボロ、階段は雨も降ってないのにいつもじめじめしている。実は、以前、僕の友人が住んでいたこともあり、その家賃の安さに驚いたことがある。「パレスチナ・ホテル」などという、彼らしいジョークがピッタリの物件である。部屋は3階で、遠くに福岡ドームやタワーが見渡せて、夕方から一杯やるには打って付けのロケーションだ。ただし、備え付けのエアコンが壊れているらしい。目下、連日30度以上の猛暑が続いている。もちろん、覚悟の上の訪問だった。2DKの白い部屋は、濃いブルーのエア・ベッドと、新作の真っ赤な椅子(YABUさんは家具作家でもある)を除くと、ガランとしている。「砂利を敷きたい」と言っていた床は、とりあえずの板張りだ。早晩、絵の具が飛び散って、ジャクソン・ポロックみたいな床になるのだそうだ。6畳間の真ん中の小さな段ボールの上に、なにやらプロジェクターらしきものが鎮座している。コロナ・ビールを飲みつつ、近くのスーパーから仕入れてきた串揚げをつつきながら、僕らは真っ白い壁に映し出されたDVDを鑑賞した。マイク・ニコルズの「卒業」である。外は夕闇が訪れ、この角部屋には回りの森から案外涼しげな風が吹き抜けてくれる。「キャンプみたい」と、ウチの奥さんが言う。気がつけば、映画は最後のクライマックス場面、ベンジャミンが汗ダラダラで走りに走っている。はっぴいえんどの「夏なんです」が聴きたくなった。

Thursday, July 17, 2008

ケチな買いっぷり

Rimg0528-1 東京をうらやましいと思うことはそんなにないけど、古本を探したくなった時などはそうだ。福岡には、古本屋が少ないように思う。九大があった六本松付近にはいくつかあるけど、昔っぽい品揃えがやはり物足りない。僕は、神田の古書店街みたいなものを望んでいる訳ではなく、散歩の途中に立ち寄って2,3冊気になる本が見つかるような小さな店がいい。その店らしいセレクトが感じられると、もっといい。と思っていたら、先日、顔見しりの店で酒を飲み、フラフラしていた時に見つけてしまった。確か、夜の9時を回った頃だった。歩きなれた界隈のオフィスビルの一階にある小さな区画のショップに、所狭しと本が並んでいた。ただし、看板も出ていないし、中では若い男女二人でなにやら作業中の様子だ。オープン前の準備なのだろうか。出直してこようかな、とも思ったが、酒の勢いもあり、ドアを開けた。迷惑かなと思いきや、「ドーゾ」との言葉に甘え、足元の本に気を付けながらお邪魔する。まず目に入ってきたのは、棚の上に面出しされている武田花の写真集。タイトルは忘れたけど、木村伊兵衛賞を取ったもので、もちろん、すでに廃刊。その隣には、武井武雄のいかめしそうな装丁の本がある。見せていただくと、初版は戦前で、こちらは昭和60年(位だったか)に再発された限定本で、中身はこけしの絵がズラーリ。氏が、コレクションしていたこけしを描き、詳細なデータまで書き添えてある。その顔顔の面白さはかなりのもので、こけしマニアではない僕でも惹かれてしまう。とはいっても、おいそれと買える値段でもない。ふと、東京に住む友人の顔が浮かんだ。確か彼は、こけしが好きだったはずだ。今度、教えてあげることにする(忘れなければ)。棚の方に目をやると、タッド若松が鰐淵晴子を激写した「イッピー・ガール」の背表紙が飛び込んできた。値段をみると、悪くない。でも、すでに持ってる本だし、これも誰かに耳打ちだ。というわけで、二人の仕事の邪魔にならないよう、大急ぎの探索の結果、手に入れたのは武井武雄の「本とその周辺」という文庫本一冊。およそ酔っぱらいらしくない、ケチな買いっぷりといえる。まずは、この本で武井武雄の予習をしておいて、次回限定本を狙ってやろうとの魂胆もあった。で、後日、今度はしらふの昼間に訪れた。しかし、やはりその本はあきらめて格安コーナーから「沖縄の焼き物」という本を買い求めた。出がけにふと、真新しい看板を見上げると「徘徊堂」と書いてある。作戦変更。やはり、この店は、もっと、したたかに酔っぱらってフラフラと立ち寄るべきなのだ。うれしいことに、閉店は10時なのだから。

Friday, July 11, 2008

桜島を目の前にしたロケーションで土足スタイル

鹿児島では、見るもの、聞くもの、食べるもの、なんだかすべて新鮮だった。同じ九州といっても、やっぱり違う。微妙なユルさがある。たとえば、DWELLが位置している港付近の風景がなんだか違っていた。DWELL自体も、古い石造りの倉庫を利用したものなのだが、周辺の建物も古いというか、朽ち果てかけた建物や廃ビルが多い。「モスバーガー」の看板が掛かってるけど、よく見ると窓ガラスが割れている空きビルだったりする。かと思えば、どう見ても機能してない長屋のようなバス・ステイションなのに、裏で運転手さんが美味しそうにタバコを吹かしていたりする。スラムっぽいと言ったら言い過ぎかもしれないが、アメリカのオレゴン州かなんかの風景のようでもある(行ったことはないけれど、昨夜DVDで見たガス・ヴァン・サントの映画の影響か)。不景気のせいで、新しいビルに建て替えることが出来ないのだろう。ふらふら歩いていると、目の前に4階建てのビルが現れた。3棟続きの団地である。直線だけで構成されたシンプルな構造は、マンションなどと呼ばれる以前の
モダニズムそのものだ。時間の問題で、壊されてしまうのだろう。Aging Process真っ最中という感じで、いい味がでているのに、もったいない。ENOUGHでリノヴェーションしたい!福岡から高速で3時間。雄大な桜島を目の前にしたロケーションで土足スタイル。いいと思うんだけど。Rimg0132

Thursday, July 10, 2008

今年は、うなぎ食べなくていい?

Rimg0252-2 もうじき、土用の丑の日がやってくる。日本国中の人が、強制的にウナギを思い出させられる日だ。だが、今年はひとあし先に旨いウナギを食ったから、なんとなく余裕である。先週鹿児島へ行った帰り、人吉の民芸店に寄った。なんでも、三大民芸店のひとつだと、同行の友人が教えてくれた。ただ、あとの二店がどこなのかはわからないらしい。つまり、それだけこの店は素晴らしいということなのだろう。実際、とても内容の濃い店で、日本中の良いものはもちろん、アフリカやアジアのものも置いてある。春に買った島根の舟木窯のスリップウェアの陶板の柄違いがあったりして、品の良い奥さんから色々な話も聞かせて頂くことが出来た。かれこれ2時間くらい長居をしてしまった。購買欲と、知識欲が満たされると、次は食欲である。といっても、昼飯はあらかじめ決めてある。すぐ近くにあるといううなぎ屋である。そろそろ行こうかという頃に、偶然そのうなぎ屋の女性が店にやってきた。去年亡くなったこの店のご主人が好物だったらしく、ご仏前へと小皿にうなぎを盛って届けてくれたのである。後で伺う旨を伝えると、「お昼は混み合うので、予約しておきましょう、何時がいいですか?」と聞かれる。まだ、もうちょっと見たい気もするし、30分後にお願いし、その時間に訪ねた。盆地、人吉はやはり暑い。5分ほど歩くと蒲焼きのいい匂いと共にうなぎ屋があった。ただし、そこではなくその隣が目指すうなぎ屋である。二軒並んだうなぎ屋というのも、めずらしい。でも、店の造りから言っても、どっちが旨そうかというのは一目瞭然なのだが。名店のすぐ隣に店を構えるってのは、自信があるのか、商売上手なのか・・・。早速中に入り、メニューに目を通すと、やはり並と、上がある。仲居さんによると、並でも充分とのことで、5人のうち4人は並で、ひとりだけ大柄のGさんは上にする。熱燗でう巻きをつつきながら、ひとしきりウナギ談義に花が咲く。なにしろ1人は東京、2人は大阪、僕ら2人は九州、というわけで同じうなぎの蒲焼きといっても調理法、味付けが違っている。関東はあっさりで、九州は甘口、大阪はその中間といったところか。各々、慣れ親しんだ味が一番なのは言うに及ばない。とはいっても、ウチの近くにある一応有名なうなぎ屋の甘さときたら相当なもので、もう10年ほどはご無沙汰。でも、銀座にある名店の味は、あっさり過ぎて物足りなかったっけ。で、肝心のこの店の味だが、甘からず、辛からず、とても美味しかった。そして、うなぎの量も並で充分。上を頼んだGさんは、びっしりと並んだ下にさらにもう一段びっしりといわけで、満足を通り越して「今年はもう、うなぎ食べなくていい」という状態。それにしても、うなぎ屋の雰囲気って、いい。落語的というか、庶民の贅沢というか、なんだか「民芸」にしっくり来る。つくづく、「偽装事件」は許せないと思う。

Saturday, June 28, 2008

”聞き手、鈴木惣一郎”

Rimg0006-3 やっぱり、近所の本屋にはなかったので、天神の丸善で「分福茶釜」を買った。先週ROVAで来福した小柳帝氏から、「こんな本出てますよ」、という感じで耳打ちされていたのだ。細野晴臣氏が「大事なことを”小声”で語った人生問答」、という帯のコピーも気になったが、”聞き手、鈴木惣一郎”というのにも惹かれた。10年ほど前、地元のFMで番組をやっていた時、小柳、鈴木両氏には大変お世話になりました。「モンド・ミュージック」の二人が、音楽にまつわる四方山話を(おもしろ可笑しく)東京から発信してくれるというコーナーで、なによりも僕自身が一番楽しみにしていた。ある時、細野氏へのインタビューがオンエアー用MDに録音されて送られてきて驚いたことがある。確か、”スウィング・スロー”というアルバムを発表した直後だったはずだ。勝手に、ホソノ氏=無口で気むずかしい、というイメージをいだいていたのがウソのように、面白い話っぷりにびっくりした。これはソウイチロー氏だから聞き出せた一種の「特ダネ」のようなものだと思った。堅い話も、軟らかい話も含め、ウマが合うというか、ホソノ氏がまるで愛弟子との会話を楽しんでいる風なのである。今回、活字になった二人のやり取りを読んで、漱石と百閒の師弟問答もこんな風だったのかも、などと勝手な想像をした。でも、帯にもちゃんと書いてあるように、二人はまず、「仲間」なのである。そこが、又いい。でなければ、ナンパとか、自慰、飲尿療法なんて話は出来ないはずである。文末にもあるように、次回作も期待しよう。

Sunday, June 22, 2008

平積みされていた「ショーケン」

Rimg0116 近所の本屋で、平積みされていた「ショーケン」を買ってしまった。このての本はしばらく経ってからブック・オフで買うのがセオリーなのだが、立ち読みをしている内にどうしても誘惑に勝てなくなった。GS時代、女性遍歴、大麻、黒澤明などなど、本人のナイーブなモノローグで語られている。でも、やはりこの人は、「傷だらけの天使」だな。あの破天荒に格好良かったタイトルバック。新聞紙を前掛けにして、やおら冷蔵庫からパン、トマト、コンビーフ、そして牛乳を引っ張り出して、ひたすら食うシーンだ。牛乳瓶のフタを手じゃなく、口でバゴっと中に押し込んで、おまけにピシャっとカメラに向かってぶちまける。真っ白になった画面に真っ赤な文字で「傷だらけの天使」とタイトル・ロゴが出るって寸法。ゴダールの「勝手にしやがれ」なんか霞んじゃうくらいアナーキーだった。本によると、このシーンは何をやるかまだ決めて無かったらしい。で、突然朝飯を食うことに決め、マルチェロ・マストロヤンニ主演のイタリア映画「最後の晩餐」をイメージしたという。ひたすら食い、かつセックスするという映画だ。そうか、フランスというよりイタリア好きだったのかな。でも、「アキラ」と「アニキィー」のモデルになったのは、実は「真夜中のカーボーイ」のダスティン・ホフマンとジョン・ヴォイトということらしい。そういえば、市川崑の「股旅」もよかった。尾藤イサオ、小倉一郎とのズッコケ渡世人ぶりが妙にリアルで。このあたりまでがショーケンで、次の大ヒットした「前略おふくろ様」あたりから萩原健一ということか。罪を悔い、四国のお遍路に出るのはきっと、萩原さんだろう。それにしても、これくらい振幅の激しい俳優って、近頃めっきり少ない気がする。

Monday, June 16, 2008

YABU ONE MAN SHOW

 YABUさんの個展のオープニング・パーティーへおじゃまする。場所は「エル・タジェール」というカフェ・ギャラリー。ギターの即興演奏をバックにライブ・ペインティングをやるという。ENOUGHの仲間と一緒に駆けつけると、会場は満員。
Rimg0041 さすが、YABUさんの人気は絶大だ。このスペースを運営しているのはサンチャゴさん。久しぶりの再会。彼は、今では全国的にも有名になった「イスラ・デ・サルサ」というラテン・ミュージックのイヴェントを毎夏能古の島で開いているアルゼンチン人だ。「今年は、場所を変えてもっと多様な音楽を紹介するイヴェントにしたい」と、相変わらずの笑顔で話してくれる。ビール片手に談笑していると、突然YABUさんからライブ開始のMCを頼まれる。事前に依頼されていたら遠慮したはずだが、突発的なオファーだとなぜか嬉しい。何も考えないまま「今夜のハプニングをみんなで楽しみましょう」みたいなことを喋る。パフォーマンスは「蝉」というユニットの岡崎氏のギターで始まった。すると、絵の具缶を混ぜ混ぜしていたYABUさんが、おもむろに真っ黒なキャンバスに白い文字を書きつけ始める。みんなの目は、もう釘付けだ。フェンダー・ジャズ・マスターの轟音が、筆からしたたり落ちる絵の具にディストーションをかけている。
Rimg0066 ここは、ひょっとして60年代のNY、それとも新宿のアングラ空間? 「予定調和」という退屈で苦痛なものへの異議申し立てとしての「ハプニング」はここ福岡ではドッコイ健在なのだ。それにしても、個展をやるたびにYABUさんの絵は変化する。期間中、ぜひ自分の目で確かめて欲しい。桜坂にある、まるで「傷だらけの天使」みたいなぼろマンションのアトリエでの新たな活動も期待しよう。

YABU ONE MAN SHOW
藪 直樹 個展
14-30 June 2008
12:00-22:30(Mon.-Sat.), 12:00-18:00(Sun.)
El Taller
福岡市中央区赤坂1-5-2 Albe 赤坂2F Tel.092-722-1650