Friday, May 29, 2009

特典映像

Mean Streets 昔からボーナストラック付きや、特典映像付きのソフトを敬遠していたのは、レコード屋勤めが長かったせいだろうか。売るための戦略に乗りたくなかったのだ。ところが最近気がつくと、自分にもそんなDVDが少しづつ増えつつある。「マッシュ」にしても「タクシー・ドライバー」にしても、中古20%オフだったとはいえ、メイキングや監督による解説、誕生秘話を見たかったからに他ならない。ま、期待したほどではない場合もあるが、今回レンタルで見た「ミーン・ストリート」はなかなか見応えがあった。まずは本編がすばらしい。ちゃんと観たのは初めてだったが、ハーヴェイ・カイテルとロバート・デニーロが(当たり前だが)若い!にもかかわらず、持ち味は今も同じ。賞味期限が長い役者だ。2時間近くで見終わり、いよいよ監督のマーチン・スコセッシ自身が語る制作秘話となった。ヨーロッパ映画へ傾倒するシネ・フィルだったらしく、ドキュメント・タッチなどジョン・カサベテスから受けた影響の大きさを、映画をバックに熱心に語る。もちろんハワード・ホークス、ジョン・フォード、エリア・カザンなどアメリカ映画への溢れるような愛情も忘れず、饒舌とも言える早口で語り続ける。気がつくと、バックの映画は中盤を迎えている。多分、このままエンディングまで喋り続けるのだろう。合計4時間のソファは腰が痛くなるのでその夜は中断し、明くる朝見終わった。映画は作るのはもちろん、観るのもタフな作業だ。

Thursday, May 28, 2009

塩バターパン

Rimg0003 駅をはさんで反対側にある行きつけのパン屋は、コーヒー無料でイートインも出来るとあって不況知らずの盛況ぶりだ。味の方も及第点で、バゲットとイギリスパンは我が家のほぼ常食となっている。新製品にも力を入れていて、入り口を入ってすぐの目立つ場所にはいつもなにかしらがデビューしてプロモーションされているけど、いつもチラッと見るだけで通り過ぎ、気がつくとあんパンの前に立っていることが多い。しかし、1ヶ月ほど前に売り出された塩バターパンだけは例外だ。特に焼きたての旨さは格別だ。バターの香りに包まれたちょっと固めの皮にかぶりつくと、中からしっかりとした生地が適度な塩味で迎えてくれる。フィレンツェで食べたパンが全然塩味がなくてビックリしたが、お嬢さんがオリーブオイルに塩を振りかけたものに浸して食べているのを見て、納得した。一時、塩豆大福に夢中だったことがあるが、塩ラーメンは食べたいとは思わない。人生、塩加減が大切だ。

「エソラのかたち」

20090526-1 野見山暁治の展覧会「エソラのかたち」を見るために県立美術館に行った。手前にある公園で友人とフリスビーをやったのが多分30年くらい前で、ディック・ブルーナの展覧会が8年くらい前だった。久しぶりに見ると、モダンだったはずの建物もかなり風化している。でも、そんな風情もなんだかこの画家らしい。展覧会は美術館所蔵の作品を企画展示したもので、点数もそれほど多くなかったのだが、初めて見るには丁度良いボリュームだった。一気に描いたような作風は、油彩よりも版画や素描にその持ち味が出ているように感じた。本の装丁などに見られる筆致だ。そういえば、そこここに準備された彼の言葉も面白かった。「脱ぎ捨てた女の服や下着のさりげない形が、より女を感じさせることがしばしばある。そういうとき、どうも男にとって(女)というのはウソではないか、という気がしてならない。女は異性だという、そういう思いをあえて自分の中で作り上げているのではないか」。一時期同居していた田中小実昌が言ったとしてもおかしくないようなドキッとする言葉だ。何事についても、常識みたいなことに疑問を抱いていた二人には、義理の兄弟を越えた、同士みたいな友情があったのではないか。

Tuesday, May 26, 2009

小代焼リミックス

Rimg0007 先週に続いてのドライブは、ちょっと足を伸ばして熊本県の小代焼を訪ねた。「ふもと窯」の井上尚之さんが作るスリップウェアを買い付けるためだ。小代焼きといえば、小さい頃に我が家の食器棚にもいくつか見受けられた海鼠(なまこ)釉が特徴の古い歴史を持つ雑器である。井上さんのお父さんは伝統的な民陶の匠として有名な方でもある。しかし井上さんが作るものは伝統だけにとらわれない焼き物を生み出している。同じ民陶として知られる小石原焼きで修業していた際、それがスリップウェアと呼ばれることすら意識せずスポイトを使う作陶に面白さを覚えた、と話してくれた。だからなのだろう、彼の描く文様はとても伸び伸びとしてモダン、一目で惹き付けられてしまった。夢中になって見ているうちに、しっかりとした高台のお椀が目に入った。沖縄で古くから「マカイ」と呼ばれているものに似ている。聞くと、沖縄の焼き物も好きだという。他にもポップなドット文様の小皿などもある。しかも、どれもがすぐに使ってみたくなるような親しみを感じさせてくれる。まるで、音楽をリミックスするように自由な空気感がいい。陶器の世界に吹く新しい風を感じた。

Sunday, May 24, 2009

「テンペスト」

Rimg0064 夕方S君が、一緒に飲みましょう、と言いいながらワインを下げてやってきた。前日の深酒もあってその日は遠慮することにしたのだが、先日秋月の友人の店で見かけた美味しそうなビオワインである。ボトルを脇に眺めつつ四方山話をするうち、もうすぐ店も終わるわけだし、誘惑には勝てず結局飲むことにする。あり合わせをつまみに、彼が観たことがないというので「テンペスト」を鑑賞することにした。何度観たか覚えていないほど好きな映画で、監督はポール・マザスキー、主演はジョン・カサベテス。ジーナ・ローランズをはじめ、スーザン・サランドン、ラウル・ジュリアなどが脇を固めたシェークスピアを原作とするほろ苦い映画だ。監督としてのカサベテスもすごいと思うけど、ちょっと重くて気軽に観る映画ではない。それと比較すると、俳優カサベテスの表情と独特の笑い声が存分に味わえるこのビデオは僕にとっての宝物。観る度に、最後のカーテンコールを模したシーンにダイナ・ワシントンの「マンハッタン」という曲がオーバーラップすると、つい涙してしまう。観たことはないが、オフ・ブロードウェイってこんな感じなのだろうか。ルパート・ホームズやオーケストラ・ルナなんかも連想してしまうNYならではのアソシエーションだ。そういえば、パーティーの場面で「あっ、ウディ・アレンがいる」という娘の言葉と一緒に、一瞬豆粒みたいに小さく写るシーンがあるのが可笑しい。果たして本人なのだろうか?多分、そうだと思うのだが。
"Tempest" Columbia Pictures 1982年

Friday, May 22, 2009

程度

Sany0047-1 今日は福岡一高いマンションを見学させてもらった。これは、40階建てという高度と、メゾネット・タイプで1億8500万円という値段両方の意味においてだ。エレベーターで耳がつまり、ベランダに出るとスゴイ風が吹いていて、身体が持ってかれそうだった。そこから眺めた地上は、まるでグーグル・マップで見る景色そっくりだった。地上に戻り、腹が減ったので讃岐うどんを食べてようやく人心地が付いた。高いところは嫌いではなかったはずだが、何事も程度があるのだろう。

Wednesday, May 20, 2009

le vandemiaire(葡萄月)

Rimg0123 昨日は、久々の郊外ドライブだった。高速を使わず40分ほど走り甘木付近にさしかかると、道の両側に黄金色の麦畑が広がっていた。ウェットな水田と違い、麦畑というのがなんだかゴッホっぽい。なのに、ついうどんを思い浮かべてしまうのは、早起きしすぎで腹が減っていたのだろう。秋月に新居を構えた友人が始めたワインセラー&ギャラリーをのぞいた後、美味しいと評判の蕎麦を食べる予定なのだが、果たしてそれまで待てるだろうか。”le vandemiaire(葡萄月)”という名前が付いたその店は、江戸時代に建てられたという秋月藩家老の長屋門を改装したもの。東京からUターンした友人が家族と一緒に始めたばかりなのである。さっそく、お目当てのビオワインをいくつか試飲させてもらう。一口に自然農法といってもいろいろあるらしく、天体、土壌をとりまく環境すべての力を利用したものや、化学物質を一切使わないものなどから、いわゆる減農薬までを含めた総称なのだ。いづれにしても、寝かして楽しむワインではないので、なるべく早めに消費することが肝心らしい。フランスのロゼと、イタリアの白をいただくことにした。空き腹だったせいか、何種類か試飲しただけなのにほろ酔い気分である。やはり昼間酒ってのは、効きが違う。車に乗り、そこから10分ほど山を登ったところにある蕎麦屋へ向かった。ところが、あいにく休みである。仕方がないので、山をくだり、友人お薦めのうどん屋へ行くことになった。結局、「麦〜うどん」という連想ゲームが完結したことになったので納得した。そうそう、ギャラリーにあった南桂子の版画がとても良かった。次回再訪まであるかしら?
le vandemiaire 葡萄月: 福岡県朝倉市秋月野鳥761-1 tel.0946-25-1025 火曜定休

Saturday, May 16, 2009

ジョルジョ・モランディ

Rimg0094-2 ジョルジョ・モランディというイタリアの画家がいる。生涯、ひたすら壺や花瓶ばかりを描いた人である。しばらく前にどこかで作品の写真を見て、一目で好きになった。フィレンツェに行くと決めたとき、一瞬だがモランディのことが頭をよぎった。彼の作品がどこかで直に見れたらいいな、と思った。でも、旅行中にはすっかり忘れていた。なにせ、ファースト・ネームさえ覚えていなかったくらいだったから、当然かもしれない。モランディと言えば、60年代、映画「太陽の下の18才」で「サンライト・ツイスト」を唄ったジャンニ・モランディが浮かんでしまう。小学生にとっては鮮烈な唄だったから、今でも刷り込まれているのだろう。無理やり、ジョルジョ・アルマーニに結びつけて覚えようともしたが、彼の服が好きでないからダメだった。ようやくジョルジオをインプット出来たのは、最近気に入っているジョルジョ・トゥーマのおかげといっていい。ちょっとクリス・モンテスを思わせるソフトロックは「何処がイタリア?」と耳を疑うが、なにせ心地良いから僕の古びたメモリーにも追加できたわけだ。話がすっかり逸れてしまったが、イタリアから戻り、古本屋で芸術新潮のモランディ特集を買い、出身地がボローニャだと知った。そこには、彼のアトリエをそっくり再現したミュージアムもあるという。ボローニャといえばフィレンツェからさほど遠くはないはずだ。「次回はぜひ」とも思うのだが、秋には初のスペインがひかえているし、さていつになるやら。

Monday, May 11, 2009

ディーラーのところと、友人

ピクチャ 2
5月2日にorganの3階で開かれたトークイヴェント「買付見聞録」は、おかげさまで事前予約で満席。会場には、普段店に来ていただく顔もちらほら見えてはいるものの、企画をした野見山さん共々少々緊張気味。フライヤーで「これからお店を開きたい人はもちろん・・・」とうたった手前もあり、実益のある話もしたいが、さてどうしたものか。思いつくのは、SASのエコノミーでコペンに行くときは32番の席が足元が広くて楽だとか、夜ホテルで買い付け商品をパッキングする際はひとりでやった方が良い。なぜならば、ふたりでやると「輸送中の割れ事故を防ぐ最良の詰め方」について互いに一家言あるためか、下手をすると大げんかになる可能性がある、など、些末なことしか思い浮かばない。そんな、凸凹夫婦の珍道中を、しかもお足をいただいてノーノーと話すってのは気が引けて仕方がない。しかし、ここは「まな板の上の鯉」、一見平気なふりをしてやるしかない。コペン、フィレンツェ、パリとEU圏内とはいえ気候も風土もそれぞれ。買付ツアーと称する東洋人2人が欲望の固まりとなって徘徊する様を赤裸々にスライド&動画化したつもりなのだが・・・。質問タイムでは「ポイントになるところってあるんですか?」という問いがあった。「ディーラーのところと、友人です」みたいな答えしかしなかったのだが、答えになっていたのだろうか。豚インフルエンザじゃないけれど「地球は想像しているよりも、案外狭い」と、言いたかったのだが。

Sunday, May 10, 2009

ボンドは付けすぎないように

Rimg0056-2 福岡ではドンタクの期間中、かならず雨が降るというジンクスがある。ENOUGHの田中さんとgrafの服部さんが一緒に開いたワークショップ「ハウ・トゥ・イメージ」がその日だったのだが、全面窓ガラスの会場は雨にしっとり囲まれて案外悪くない雰囲気だ。前半は、2人のトーク・セッション。服部さんの分析力と田中さんの熱意が交錯した静かだけれど熱い1時間だった。休憩をはさみ、いよいよワークショップ。あらかじめ用意されたチークの端材に、様々な色の小さなタイルをボンドでくっつけてウォール・ハンギングを作るという趣向。僕は勝手にロジェ・カプロンみたいな作品を目指して参加させてもらったが、13色のタイルがどれもきれいで、どれを使うかさっそく迷ってしまう。色を絞った方が良さそうなのだが、なにをイメージしたらよいのかがわからない。田中さんの「表札なんかにも使えるかも」、という言葉が耳に入り、とっさに”ENOUGH"に決定。大体の構図を決め、タイルを並べてみる。「まあ、こんなものだろう」ということで、ボンドを塗ってタイルを固定することになりハタと気がついた。小学生の時分、プラモデル作りでさんざん手こずったのがセメダインだ。「ボンドは付けすぎないように」という言葉が聞こえつつ、もはや板にたっぷりのせてしまっている。「えい、ままよ」と、ボンドを伸ばしタイルを押しつけてゆくと、案の定すきまからはみ出てしまった。後戻りは出来ないのでムキになりそのまま続行、結局表札に使えるしろものではなくなってしまった。終わって全員の作品を見回し、一番気に入ったのが野見山さんのもので、もちろんボンドははみ出てはいない。「南米をイメージした」という本人の弁通りの仕上がりに、嫉妬した。

レースのようなすきま

Rimg0002-3 ENOUGH ROOMでの李さんの料理イヴェントに駆けつけたのは3時過ぎだった。当日の「レモン懐石」コースがとうに終わっているのは承知だったが、後半のコーヒータイムに間に合えばいいな、と思っていた。ドアを開けてみると、普段訪れる時のがらんとした部屋とは打って変わった様子に唖然とした。なんと、女子ばかりがわんさかといる。予約だけで満員なのは知っていたけど、実際目の当たりにすると、自分の居場所さがしに苦労するほど「女の園」化している。仕方がないので、ベランダでタバコを吹かしていたら、李さんが揚げたての「春野菜の天ぷら、レモン塩で」を油紙に入れて運んできてくれた。アツアツを冷えた白ワインでいただく。野菜の甘さが旨い。ふと、牛島君が「エクリチュールについて、分かりやすく書いてあります」といって貸してくれたロラン・バルトの「表徴の帝国」の一節を思い出した(実際、前半は分かりやすかったが)。それは、西洋のフライと日本の天ぷらとの違いについてである。フライが持っている重い衣からほど遠く、天ぷらとは「レースのようなすきま」、もしくは「空虚な表徴」であり、魚であれ野菜であれ、「手つかずの生のままから生まれるすがすがしさ」をそなえているらしい。確かに、野菜の色が透けて見えるし、食べると素材の味がしっかり感じられる。さすが日本好きのフランス人はうまいことを言うもんだ。それ以上に、李さん自身もしごくさっぱりした人なのだから、天ぷらもストレート味だったのだろうか。出来れば、レモンステーキもいただきたかったと思う。

Saturday, May 9, 2009

着地点

Rimg0119 almost ENOUGH展が終了した。13日間3会場で10のプログラムを組むという欲張りな試みが何とかやり通せたことは、ちょっとミラクルだったように思う。それもこれも、巻き込んでしまったたくさんの方達の協力があったからこそ。ENOUGH,grafのみなさん、李さん、藪さん、津田さん、泉さん、牛島さん、永田さん、お疲れ様でした。お互いに旧知の仲であれ初対面であれ、今回テーマにした「デザインを通したコール&レスポンス」が、いろんな場で自然発生したようでなんだか嬉しかった。ワークショップやトーク・セッションに来ていただいた方々にも、傍観者ではなく、参加している気分が感じられた。そんな中”ドット・エフ”田北さんの「失われつつあるコミュニティに代わって、より自発的に参加するアソシエーションという考え方」という発言に同感した。そのためには、みずから取捨選択できる力を養うことこそ必要なのでは、と痛感。経済のためだったり、機能を成立させるためのソリューションとしてのデザインを否定は出来ない。しかし、青臭いと言われようが、着地点を想定しないデザインがあってもいい。デザインとは考えるということの言い換えだとすれば、それは作り手のデザイナーだけではなく、まずもってユーザー自身の問題のような気がする。だから、対話し続けることが大切なのだろう。