Wednesday, January 22, 2014

自分や犬や猫を大事にすることだ。

ドイツに生まれ、その後アメリカに亡命したユダヤ人女性哲学者を描いた映画『ハンナ・アーレント』を観た。1961年、ホロコーストに関わったアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴した彼女は、雑誌「ニューヨーカー」に文章を寄稿する。そのなかで、アイヒマンを”特別な悪の狂信者”としてではなく「ごく普通に生きていると思い込んでいる凡庸な一般人」であるとした。そして「悪はごく普通に生きている人によって引き起こされてしまう」と言ってしまう。その結果、アイヒマンを擁護したとして「世間」から激しいバッシングを受けることになる。”普通に生きている人々”の怒りをまねいたのだ。それだけではなく、ユダヤ人自治組織(ユダヤ人評議会、ユーデンラート)の指導者が、なんと強制収容所移送に手を貸したとする事実を公表してしまう。この内部告発ともとれる行為によって、とても親しかったユダヤ人たちからも縁を切られてしまう。その時彼女に投げかけられた問いとその答えは(うろ覚えだけど)、こんなふうだった。

「いったい君はユダヤ人やイスラエルを愛しているのか?」
「わたしは一つの民族だけを愛したことはありません。愛するのは友人です」

 ナショナリズムは誰にだってあるだろう、多かれ少なかれ。しかし国家が国民にナショナリズムを要請する時には気をつけなければいけない。彼らは「戦争」をしたがっているのかもしれない。もし戦争になれば、たとえ国家は残ったとしても、人々は深く傷つく。ならばいっそ「ローカル」と言ってしまおうではないか。「国家」ではなく「社会」。「国民」というより「個人」であること。なによりも、自分や犬や猫を大事にすることだ。

Friday, January 10, 2014

『びっくりトルコ8日間』トロイの混血。

     
 パックツアーの朝は早い。初日から容赦なく5時にモーニングコール、7時に出発だ。バスに乗り込むと、すぐにトルコ人ガイドのニハットさんが待っていた。「みなさん、おはようございます。部屋に忘れ物ありませんか?パスポート、財布、携帯、旦那さん、奥さん、入れ歯、位牌…、笑い事じゃない !」。東京で1年間、国際交流基金の奨学金で留学生活を経験したとはいうものの、彼の日本語は上手すぎる。しかも話が「歴史&文化」から「政治&経済」まで多岐にわたっているから勉強になる。日本の2倍という広さのトルコのエーゲ海沿岸から中部まで、延べにすると2000キロのバス移動で、彼からいろいろなことを教わった。その中には、彼自身の意見も入っていておもしろい。ただし時々ハテナだけれど。
 イスタンブールを出発してヨーロッパ・サイドを南下、ダーダネルス海峡をフェリーで渡ること20分、我々は小アジアというか、トルコ半島、正式にはアナトリア半島に上陸、その間は泳いでも渡れるほど近い。バスはエーゲ海を右に見ながらひたすら走る。すると「みなさん、今見えている島はレスボス島といいます。ここは古代の女性詩人サッフォーが生まれた島です。彼女はここで女性だけのサロンを作り、彼女自身も同性愛者でした。ですから、女性の同性愛者をレスビアンと呼ぶようになりました」というニハットさんの解説。ぼくら全員年配のツアー客は小さく「ヘェー…」とつぶやくしかない。サッフォーって、80年代フランスの女性シンガー?のはずないが、たしかに、洋の東西を問わず、大昔から男女の同性愛は珍しくはなかったのだ。それがタブーとみなされるようになったのは、紀元後にキリスト教世界が確立してからのこと。「人類が進化すれば中間の性にいたる」という言葉もあるが、紀元前以降現在まで、その進化はさまざまな偏見の為か遅々として進んでいない。
 初めて目にするトロイの遺跡は、ほぼまだ土の中に眠ったままだった。それもそのはず、ホメロスが書いた叙事詩にある「トロイ戦争」を神話ではなく実在したと信じたあるドイツ人が1870年代に発掘するまでは、単なる丘にすぎなかった。でも土の下から9層に渡る古層や城壁らしき石塊があらわれた。その中の第6層に、明らかに火災にあった痕跡らしきものが。そう、その時期が西洋人が初めてアジア人を打ち破った「トロイ戦争」だったと想像した。事実だとすれば、西洋の歴史にとっては大発見なのだが、実証はされてはいないようだ。ところが、ニハットさんの説明はこんなふうだった。
 「トロイ戦争のあと、ギリシャ人がたくさんアナトリア半島にやってきました。でも、かわりにトルコ人もヨーロッパへ渡るようになったんです。おかげで地中海にラテン系の人々が誕生したし、ゲルマン系もそうやって混血したんです。だからトルコにはドイツ人の観光客が一番多いのです。自分たちの起源だと思っているようです」。ウーン、これは新説か、珍説か?いづれにしても、戦争という惨禍がもたらす作用のひとつに”混血”という要素があることは確かだ。

Sunday, January 5, 2014

『びっくりトルコ8日間』

去年を振り返ると、ほぼ毎月のように「短期亡命」を果たしたような気がする。もし1ヶ月以上この国にいて新聞ばかり見ていると、気がクサクサして神経衰弱になっていたにちがいない。トルコに行こうと思ったのにはいくつかワケがある。「ドイツになぜトルコ移民が多いのか」という政治っぽい理由が若干、「コルビュジェが若いころイスタンブールのアヤ・ソフィアに行った」ってことも多少。でも、直接のキッカケは新聞に載っていたツアーの広告か。『びっくりトルコ8日間』は格安、全食事付き、しかも、宿泊はすべて普段絶対泊まることがない5星ホテル。添乗員同行で、お土産物店巡り必須、自由時間は最終日の午前中だけという縛りはきつかったけど、(徴兵制にそなえて)団体生活に慣れておく必要も感じた。しかも、カッパドキアや、ボスポラス海峡クルーズ、ベリーダンス付きディナーという「ベリー・トルコ」な見どころに加え、エーゲ海沿岸にある古代遺跡群が含まれていたことが決定打となった。
 そこは紀元前にギリシャ人の一部がトルコ半島に移住してつくった「イオニア」と呼ばれていた地方なのだそうだ。柄谷行人は『哲学の起源』のなかで、そこに「イソノミア」と呼ばれる「無支配」を旨とする、自由で平等な社会が存在したと想像している。しかもそれは、その後アテネから始まったといわれる民主主義が、あらかじめ失ってしまっていたものだという。アテネの民主主義とは、実は、奴隷に労働を課すことで得た時間で、限られた数の市民と呼ばれる階級の人々が政治や戦争に参加するという、かなり歪曲した社会だったらしい。今では誰も異議を挟めない、選挙を通して選ばれた代議員が”民意を反映した政治を行う”はずの「民主主義」とは、つまるところ「多数決」の論理に陥りやすく、あのナチズムに見られるように、時として権力の暴走につながる危険性をはらんでいる。つまり、僕にとっての柄谷氏の意見は、「民主主義が、かならずしも地球社会のための最終形態ではない」という、至極まっとうな異議申立てともいえる。そういわれると、イオニアの地を、どうしても実際に踏んでみたくなるのが人情だ。
 まずはイオニアの前に、もっと昔のトロイの遺跡から僕達のツアーは始まった。 そこで見たのは、大げさにいえば、「人間が繰り返してきた”失敗”のかずかず」みたいなものだった。