Friday, January 10, 2014

『びっくりトルコ8日間』トロイの混血。

     
 パックツアーの朝は早い。初日から容赦なく5時にモーニングコール、7時に出発だ。バスに乗り込むと、すぐにトルコ人ガイドのニハットさんが待っていた。「みなさん、おはようございます。部屋に忘れ物ありませんか?パスポート、財布、携帯、旦那さん、奥さん、入れ歯、位牌…、笑い事じゃない !」。東京で1年間、国際交流基金の奨学金で留学生活を経験したとはいうものの、彼の日本語は上手すぎる。しかも話が「歴史&文化」から「政治&経済」まで多岐にわたっているから勉強になる。日本の2倍という広さのトルコのエーゲ海沿岸から中部まで、延べにすると2000キロのバス移動で、彼からいろいろなことを教わった。その中には、彼自身の意見も入っていておもしろい。ただし時々ハテナだけれど。
 イスタンブールを出発してヨーロッパ・サイドを南下、ダーダネルス海峡をフェリーで渡ること20分、我々は小アジアというか、トルコ半島、正式にはアナトリア半島に上陸、その間は泳いでも渡れるほど近い。バスはエーゲ海を右に見ながらひたすら走る。すると「みなさん、今見えている島はレスボス島といいます。ここは古代の女性詩人サッフォーが生まれた島です。彼女はここで女性だけのサロンを作り、彼女自身も同性愛者でした。ですから、女性の同性愛者をレスビアンと呼ぶようになりました」というニハットさんの解説。ぼくら全員年配のツアー客は小さく「ヘェー…」とつぶやくしかない。サッフォーって、80年代フランスの女性シンガー?のはずないが、たしかに、洋の東西を問わず、大昔から男女の同性愛は珍しくはなかったのだ。それがタブーとみなされるようになったのは、紀元後にキリスト教世界が確立してからのこと。「人類が進化すれば中間の性にいたる」という言葉もあるが、紀元前以降現在まで、その進化はさまざまな偏見の為か遅々として進んでいない。
 初めて目にするトロイの遺跡は、ほぼまだ土の中に眠ったままだった。それもそのはず、ホメロスが書いた叙事詩にある「トロイ戦争」を神話ではなく実在したと信じたあるドイツ人が1870年代に発掘するまでは、単なる丘にすぎなかった。でも土の下から9層に渡る古層や城壁らしき石塊があらわれた。その中の第6層に、明らかに火災にあった痕跡らしきものが。そう、その時期が西洋人が初めてアジア人を打ち破った「トロイ戦争」だったと想像した。事実だとすれば、西洋の歴史にとっては大発見なのだが、実証はされてはいないようだ。ところが、ニハットさんの説明はこんなふうだった。
 「トロイ戦争のあと、ギリシャ人がたくさんアナトリア半島にやってきました。でも、かわりにトルコ人もヨーロッパへ渡るようになったんです。おかげで地中海にラテン系の人々が誕生したし、ゲルマン系もそうやって混血したんです。だからトルコにはドイツ人の観光客が一番多いのです。自分たちの起源だと思っているようです」。ウーン、これは新説か、珍説か?いづれにしても、戦争という惨禍がもたらす作用のひとつに”混血”という要素があることは確かだ。