去年を振り返ると、ほぼ毎月のように「短期亡命」を果たしたような気がする。もし1ヶ月以上この国にいて新聞ばかり見ていると、気がクサクサして神経衰弱になっていたにちがいない。トルコに行こうと思ったのにはいくつかワケがある。「ドイツになぜトルコ移民が多いのか」という政治っぽい理由が若干、「コルビュジェが若いころイスタンブールのアヤ・ソフィアに行った」ってことも多少。でも、直接のキッカケは新聞に載っていたツアーの広告か。『びっくりトルコ8日間』は格安、全食事付き、しかも、宿泊はすべて普段絶対泊まることがない5星ホテル。添乗員同行で、お土産物店巡り必須、自由時間は最終日の午前中だけという縛りはきつかったけど、(徴兵制にそなえて)団体生活に慣れておく必要も感じた。しかも、カッパドキアや、ボスポラス海峡クルーズ、ベリーダンス付きディナーという「ベリー・トルコ」な見どころに加え、エーゲ海沿岸にある古代遺跡群が含まれていたことが決定打となった。
そこは紀元前にギリシャ人の一部がトルコ半島に移住してつくった「イオニア」と呼ばれていた地方なのだそうだ。柄谷行人は『哲学の起源』のなかで、そこに「イソノミア」と呼ばれる「無支配」を旨とする、自由で平等な社会が存在したと想像している。しかもそれは、その後アテネから始まったといわれる民主主義が、あらかじめ失ってしまっていたものだという。アテネの民主主義とは、実は、奴隷に労働を課すことで得た時間で、限られた数の市民と呼ばれる階級の人々が政治や戦争に参加するという、かなり歪曲した社会だったらしい。今では誰も異議を挟めない、選挙を通して選ばれた代議員が”民意を反映した政治を行う”はずの「民主主義」とは、つまるところ「多数決」の論理に陥りやすく、あのナチズムに見られるように、時として権力の暴走につながる危険性をはらんでいる。つまり、僕にとっての柄谷氏の意見は、「民主主義が、かならずしも地球社会のための最終形態ではない」という、至極まっとうな異議申立てともいえる。そういわれると、イオニアの地を、どうしても実際に踏んでみたくなるのが人情だ。
まずはイオニアの前に、もっと昔のトロイの遺跡から僕達のツアーは始まった。 そこで見たのは、大げさにいえば、「人間が繰り返してきた”失敗”のかずかず」みたいなものだった。