野見山暁治の「パリ・キュリイ病院」を読み終える。後に「四百字のデッサン」で非凡な文才を発揮することになる画家の処女作であり、突然異国で病に倒れた妻に起こった現実を表した容赦なしの報告書である。医者や友人達の世間的なアドバイスに耳を貸さず、あくまで自分のやり方で妻の最期を看取る姿がラディカル。まるで、回りの理解を意図的に拒むかのようだ。妻が理不尽な病魔に冒され、そして死んで行く様子を完璧に示そうとする文章は明晰過ぎて、ちょっと恐いくらいだ。読み終えるのに時間がかかったわけである。もちろん、「泣き」の場面は少ないが、亡くなる前、かろうじて意識があった妻の言葉にドキリとした。「オニイ(彼女は野見山のことを”兄”になぞらえ、そう呼んでいた)が見えるよ。だけど、ぼーっと、しとうとよー」。唐突に現れた博多弁だ。1950年代のパリに、つたないフランス語と博多弁をしゃべる夫婦が確かに存在したことの証言だ。感情の中立性を探求するかのような文体に現れたハプニング。若き絵描きはシリアスに、やさしい。25年振りに復刊された表紙を飾るのは(おそらく短い時間二人が住んだアパルトマンを描いた)妻の無邪気なドローイングだ。