Tuesday, June 3, 2014

無常感、アリマス。


福岡に戻り、「蕗の大堂」のことを少し調べてみた。国東半島は山岳密教が盛んだった場所らしい。「密教」といえば、空海や最澄が唐から持ち帰った、当時最新のカルチャー=仏教の教義のはずだ。”護摩焚き”や”曼荼羅”などという、なんだか呪術的な秘儀を含め、文字通り秘密めいた匂いがする。また「ご利益」という面が強調されたふしもある。もちろん、あらゆる宗教には「現世」がつきものなのだ。健康や安産、受験合格など私的なことから、果ては国難排除などまで、さまざまな願いをかなえてくれるか、という点が勝負の分かれ目なのである。
 高校生だったころ、ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』を読んだ。ストーリーはすっかり忘れてしまったが、なんだか感動した。”悟り”を求め仏陀のもとへ 赴くが、満足を得られず、あえて俗世間に戻って、すべてをあるがままに受け入れる境地に達する、というようなことだったか。これは、”禅”にも通じる「自 力」の世界で、我ら凡人には到底到達できない境地だろう。対極にあるのが浄土真宗の「他力本願」か(ただし、「他人任せのほうがなんとかなる」などという 簡単な教えではないようだけれど)。他方、密教は「自力と他力」のバランスを取った宗教といわれる。「バランス」。うーん、そこらへんのところが、六つか しい。
 大堂のわきに「笠塔婆」が3本立っている。鎌倉時代のものらしく、普段見慣れているのとは違い、とても不思議な形をしている。彫刻の ようでもあるし、地味なソットサスみたいにも見える。そこには色々なカルチャーの混交が重なって見えている。朝鮮、中国、そのさきの西域やペルシャ、エトセトラ。 3つが、大きい方から順に、なんとなく距離を置いて配置されているところもいい。無常感、アリマス。