Monday, June 9, 2014
嬉しい姉妹店。
僕が住んでいる大橋にはもう一軒organがある。うちから歩いて5分、1階に飲食店がはいっている大きめのマンションの3階の一室で、古い電子オルガンを修理&販売している店だ。そのことを教えてくれたのはペトブルの小出さんだった。ある晩、フラッと立ち寄ったら「大橋でorganをやっている松末さんです」と紹介されて、「チェーン店みたいですね」と笑いあった。その直後だったか、彼のオルガンを使ったライブ・イヴェントがあり、僕も見に行った。機種は忘れたが、1960年代のものと思しきキッチユなプラスティックの楽器が、なんともいえない小憎らしい音をかなでていた。
そうしたら、翌日、松末くんがライブでオルガンを弾いてくれた須藤さんと一緒に、遊びに来てくれて、近くの飲み屋でさんざん飲んだ。話はやはりオルガンのことだった。ビートルズのジョン・レノンがシェア・スタジアムで使っていたのはVOXだったとか、ザ・バンドのガース・ハドソンはイタリア製のファルフィッサだった、いや、ロウリーだった、などという話で盛り上がった。
我が家に初めてオルガンがやってきたのは、僕が中学生だったころか。ピアノが欲しかったが無理で、たしか親戚の伯母さんの知り合いの要らなくなった年代物だったが、それでも嬉しくてしょうがなかった。でも、足踏み式のスカスカした音と、なんともユルイ反応ぶりに飽きたりず、すぐに埃をかぶってしまった。僕としては、プロコル・ハルムの『ハンブルグ』で鳴っているような、荘厳で悲しげな響きが欲しかったのだ。だから、大学でバンドを結成するときに、一年後輩の佐考くんがヤマハの電子オルガンを持っていて、プロコル・ハルムも好きで、おまけに”レズリー・スピーカー”も持っていると聞いた瞬間に彼の参加は決まった。回転するスピーカーの速度によって、音の陰影が付く魔法のような”レズリー・スピーカー”は、輸入品でとても高価、おまけに重くて、ライブのたびに大変だった。
先週、須藤くんが東京から四国を経て、ひょっこり、なんとオートバイでやってきた。なんでも、数カ所でライブをやりながららしい。当然のように、その夜は松末くんも一緒に飲むことになり、イタリアン居酒屋の2階にあるorganへ初めてお邪魔することになった。一歩足を踏み入れると、そこはワンダーランドだった。白と黒、もしくは赤という派手なコントラストに、3オクターブくらいの小さな鍵盤が付いた、さまざまなデザインの氾濫。ディーター・ラムスがデザインしたかのような端正なスイッチ類。どのオルガンも誰かに弾いて欲しくてウズウズしているようだ。シンセサイザーや、サンプラーみたいにもっともらしい音を鳴らす優等生ではなく、なんだか曲者ぞろいのトランジスター野郎ばかり。嬉しい姉妹店だ。