Saturday, June 4, 2011

おとといポップス#2 ”Re-make/Re-model"

Rimg0048-1 あいまいな記憶をさかのぼってみると、ぼくらのバンドはアメリカの"Down to earth"な音楽から一転して、今野雄二さんが言うところの「ロック・マニエリズム」(1)へと急旋回したようだ。文化服装学院の一部の学生さんを除けば、ファンなんてほとんどいないも同然だったので特に支障はなかった。なにより、まだ「日本化」されていない音楽を発見するのは刺激的だった。造反、もとい、新しい風を送り込んでくれた青木君はその後次々にヘンテコなアルバムを紹介し、ぼくらも次第に興味を持ち始めた。それは例えばルイス・フューレー(2)やスパークス(3)だったり、コックニーレベル、セイラーだったりとクセの強い、よく言えばアーテイスト肌の人達で、もちろんマイナーな存在だったが、比較的名の知れたRoxy Musicはその中でもハードルが高めだった。当時全盛だったグラムロック張りの派手な衣装とメイクをほどこした1stアルバムは、”Re-make/Re-model"という曲から始まっている。当時マルセル・デュシャンの”Ready-made”からアダプトされたことを知るよしもなく、なんだか神経を逆なでされるような音だと思った。それは、グループ内のもう一人のブライアンであるイーノの存在が大きかったのかもしれない。その証拠に、1972年に発売されたブライアン・フェリーのソロアルバムのほうは、ビートルズやディランなどのカヴァー曲で占められた、ある意味でポップなものだった。とはいっても、それはノスタルジーという定型を使って、むしろそれを外して戯れているかのような感じがした。もちろんぼくらはそんな技量を持ち合わせてはいなかったので、ごく律儀に、愚鈍に影響を受けただけだったのだけれど...。それにしても、同じ接頭詞”Re”とは言え"Re-set"という、あたかもそれまでの歴史や振る舞いが帳消しになって、なにか新しい価値が立ち上がってくるような幻想を持つことはなかった(と思うのだが)。
(1) 元来”マニエリズム”とは絵画用語で「一度完成されてしまった絵画をいかにして崩して新しい動きをみつけるかを模索していた時代」を指す。それを、大のロキシー・ファンだった今野さんがポップスに当てはめたもの。後にパンクやニューウェーブが出現するまでの過渡期的時代を言い当てた言葉として記憶にとどめたい。
(2)フランス語圏カナダ人ミュージシャン。シアトリカルでデカダンな世界には緒川たまきさんもゾッコンだと「モンド・ミュージック」でのインタビューで答えていたっけ。1985年自ら監督した映画『ナイト・マジック』ではレナード・コーエンとパートナーであるキャロル・ロールと(ファンにとっては)夢のコラボを果たした。
(3)ロンとラッセル兄弟により1960年代にロスアンジェルスにて活動開始。1971年、トッド・ラングレンのプロデュースによる「ハーフ・ネルソン」名義のアルバムを(なんと)ベアズヴィル・レーベルよりリリースするも不発。1974年イギリスで製作したアルバム「キモノ・マイ・ハウス」がヒット。当時我が青木君はロンに対抗してチョビ髭をたくわえてステージに立つことになる。

Tuesday, May 31, 2011

おとといポップス#1 "聴いた途端に「音痴」だと思った"。

Img 2707 ブライアン・フェリーを初めて聴いたのは、高円寺の駅前にあったロック喫茶で、多分1975年だったか。ぼくは、参加していたバンドが幸運にもアルバム・デビューし、渋谷のジャンジャンや、都内にボチボチでき始めたライブハウスで地味に活動はしていたものの、あいかわらず鬱々とした東京暮らしを続けていた。それでも次のアルバムへの模索も始めていて、方向性についてバンド内での意見が分かれていた頃だった。ある日、いつものように小さなスタジオでの練習を終え、同じ中央線沿線に住むバンドの青木くんと電車に乗ったところ、面白いレコードがあるから聴いてみないかと誘われ、それじゃあ、ということでその店に行くことになった。道玄坂のヤマハで買ったというそのレコードはRoxy Musicだった。まがまがしいジャケット(1)を見たとたん、アメリカン・ロックやSS&Wをウリにしているその店(2)には不向きなことが想像できたが、彼の熱意に負けてかけてもらうことにした。ところが、予想以上にイカレタ音にすっかりゲンナリしてしまった。実験的な演奏と性急なリズムにヒステリックなシンセサイザーが絡むかと思えば、一転して単調なフレーズの繰り返し。前衛といわれるグループを知らないわけではなかったが、そのいずれとも違う奇天烈さ。極めつけはブライアン・フェリーのボーカルだ。聴いた途端に「音痴」だと思った(3)。しかも唄っている本人は思い入れタップリと来ている。LPの片面がこんなに長く感じたことはない。もうこの店には顔は出せないな、と思いつつ彼と別れた。ところが、それからしばらくするといっぱしのファンになっていた。多分、アメリカ音楽に食傷気味だったのかも。師匠ザ・バンドは求心力を失い、ロックという名の巨大なマーケットと化したアメリカから、イギリスやヨーロッパから発信される独創的な音楽へと意識的にシフトしようとしたのだろうか。昨日のことのようにとはゆかないが、おとといの出来事くらいには覚えている。
(1)多分4枚目の「Country Life」だったかな? 間違ってたらゴメン、青ちゃん。
(2)行きつけだった [Movin'] はもはや存在せず、駅近くにできた何軒かのロック喫茶のうちのひとつ。名前は忘却。
(3)そういえば、ボブ・ディランにしても、「風に吹かれて」をラジオで初めて耳にしたとき、レコードの回転数が間違っていると疑った。

Friday, May 6, 2011

『I'm Your Fun』

Img 2648 毎年、ゴールデンウィーク後半ともなると、駅前広場に大きな舞台が出現する。朝から「チェック、チェック、ワン、ツー、ワン、ツー」とマイク・テストが始まって、アーそうだった、”どんたく”だったと気づく。そうなると夜まで大音量で和太鼓や演歌を聞かされる羽目になる。背振山のトンネルを抜けた佐賀の吉野ヶ里近くのAMPギャラリーへ行く気になったのには、つまり喧噪を逃れる為もあった(そんなことを言ってもYABUさんは怒らないだろう。なにしろ彼と僕は「山笠が苦手」という共通項があるのだから)。もちろん、彼にとって初の試みである、ロック・ミュージシャンばかりを描いた『I'm Your Fun』と題する個展を楽しみにしていたのは言うまでもない。
 AMPギャラリーを主宰する瀬下黃太さんはミュージシャンでもあり、彼のユニットであるGOGGLESを僕は勝手に贔屓にしている。初めて彼らのCDを聴いたのはずいぶん前だった。『Please Freeze Me』と題され、ビートルズを見事に換骨奪胎したかのような曲にノックアウトされてしまったのだ。そんな繋がりも感じつつ訪れた会場は、とあるカーマニアの方がヴィンテージ・カーを保管しているという広いガレージの一画にあった(以前は白州次郎が所有し、その後、伊丹十三、ムッシュかまやつへと受け継がれた名車ロータス・ヨーロッパも保管されていたというエピソードもあり)。
 前置きはこれくらいで、肝心の個展である。YABUさん自身「まるで昔の音楽雑誌の投稿欄にある似顔絵みたいなものを描くとは思ってもいなかった」と恥じらうのもムベナルカナという感じのカリカチュアに思わずニンマリ。どこかで見覚えがある、おもに80年代ニューウェイヴ期以降に活躍した(り、そうでもなかった)ミュージシャン達の「ほぼ決定的瞬間」がさまざまな技法でFreezeされている。赤のクレヨンで単純化されてしまったデイヴィッド・バーン、クロッキーで鎮魂化されたイアン・カーティス、JRでふたりのオバサンの横に何気に座るベック( 写真 )、虚空を見つめながらベッドで放心しているサーストン・ムーア、赤のジャケットを着た本物よりも男前なイアン・デュリー。そのどれもが、YABUさんの優しい毒牙にかけられてスッカリ観念してしまっているのである。会期は残すところあと2日。間に合う方はぜひ足を運んでみてください。お腹が空いたらカフェで名物「ヤッホー・カレー」をドーゾ。
PS.  GOGGLES待望の2nd " Come Togeta ( コメトゲタ)"もヨロシク!