ブライアン・フェリーを初めて聴いたのは、高円寺の駅前にあったロック喫茶で、多分1975年だったか。ぼくは、参加していたバンドが幸運にもアルバム・デビューし、渋谷のジャンジャンや、都内にボチボチでき始めたライブハウスで地味に活動はしていたものの、あいかわらず鬱々とした東京暮らしを続けていた。それでも次のアルバムへの模索も始めていて、方向性についてバンド内での意見が分かれていた頃だった。ある日、いつものように小さなスタジオでの練習を終え、同じ中央線沿線に住むバンドの青木くんと電車に乗ったところ、面白いレコードがあるから聴いてみないかと誘われ、それじゃあ、ということでその店に行くことになった。道玄坂のヤマハで買ったというそのレコードはRoxy Musicだった。まがまがしいジャケット(1)を見たとたん、アメリカン・ロックやSS&Wをウリにしているその店(2)には不向きなことが想像できたが、彼の熱意に負けてかけてもらうことにした。ところが、予想以上にイカレタ音にすっかりゲンナリしてしまった。実験的な演奏と性急なリズムにヒステリックなシンセサイザーが絡むかと思えば、一転して単調なフレーズの繰り返し。前衛といわれるグループを知らないわけではなかったが、そのいずれとも違う奇天烈さ。極めつけはブライアン・フェリーのボーカルだ。聴いた途端に「音痴」だと思った(3)。しかも唄っている本人は思い入れタップリと来ている。LPの片面がこんなに長く感じたことはない。もうこの店には顔は出せないな、と思いつつ彼と別れた。ところが、それからしばらくするといっぱしのファンになっていた。多分、アメリカ音楽に食傷気味だったのかも。師匠ザ・バンドは求心力を失い、ロックという名の巨大なマーケットと化したアメリカから、イギリスやヨーロッパから発信される独創的な音楽へと意識的にシフトしようとしたのだろうか。昨日のことのようにとはゆかないが、おとといの出来事くらいには覚えている。
(1)多分4枚目の「Country Life」だったかな? 間違ってたらゴメン、青ちゃん。
(2)行きつけだった [Movin'] はもはや存在せず、駅近くにできた何軒かのロック喫茶のうちのひとつ。名前は忘却。
(3)そういえば、ボブ・ディランにしても、「風に吹かれて」をラジオで初めて耳にしたとき、レコードの回転数が間違っていると疑った。