Sunday, April 24, 2011
工芸美術館のBIBLIOTEK。
パリからコペンハーゲンに駆けつけた二人に「工芸美術館へ行くとデンマーク・デザインの素晴らしさが実感できるよ」と言いつつ案内したものの、過去に何度か足を運んでいるわけで、今回僕は入館せずにウェグナーのModel701がズラリと並んだカフェテリアでひとり休憩を決めこむことにした。ところが昼時でもあり満員だった。しかたなくその奥にある図書室をガラス越しに覗いてみると、すこぶるイイ感じ。チト入りづらい雰囲気を感じつつドアを開けて足を踏み入れてみた。ひととおり本棚を眺めると日本のコーナーも結構充実していて、大好きな『かたち』のオリジナル版もちゃんと置いてある。すると女性スタッフが近寄ってきて「日本の方ですか?」と声を掛けられた。今回方々で震災への見舞いの言葉を掛けられたので、てっきりそうだと思ったのだが、そうではなかった。「日本の古い版画があり、そこに描かれてる花がサクラかどうか判断していただきたいのです」とのこと。多分彼女は一番不適格な「花オンチ」へ声を掛けてしまったようだ。しかしサクラとウメの違いくらいは何とかなるだろうと思い承諾した。それは淡い色調が美しい、細密な一種の装飾パターンで、多分襖(ふすま)にでも使われたのだろうか? 描かれている花はほぼサクラに違いなかった。刷られた年代を尋ねると1900年前後とのこと。ずいぶん前に骨董市で買った竹久夢二の色紙にも通じるグラフィカルさだが、こちらはもっと手が込んでいる。ひとしきり見入っていると「他にもあるけど、見ませんか?」との声。断る理由はなくお願いすると、彼女の姿が消え、しばらくすると一抱えもある大きな箱をかかえて戻ってきた。そこから現れた、ため息が出るほど素晴らしい日本の色彩と意匠にしばし呆然。なんだか勝手に誇らしい気分に浸りつつ部屋を後にした。
Thursday, April 21, 2011
Nyonya Malaysia Express
Sunday, April 17, 2011
カウンターを繰り出すのが上手い。
司馬遼太郎の『街道をゆく・オランダ紀行』だったと思うけど、レンブラントの絵について興味深い記述があった。有名な「夜警」にしてもそうだけれど、なぜ集団画なのか?、という疑問に対する答えだった。それは当時オランダで勃興した商人たちの肖像画だったのだけれど、ひとりづつでは費用がかさむため、集団という構図でもっていわば「団体割引」にしたという。だから、各人にはちゃんと出自があり、見る人が見れば「どこの誰それさん」と分かるのだそうである。さすが元祖"Go Dutch(割り勘)"のお国柄らしい精神だと感心した。そんな質素な生活振りは、たとえばフリーマーケットにもあらわれていて、様々な生活用具は見つかるのだが、場所的には近い割に北欧ブランドなどは皆無といっていいほど少ない。ちなみに、ワークシェアリングという発想もオランダが発祥とか。海をせき止め、低地を干拓した人々の創意工夫が脈々と受け継がれているのだろうか。
オランダはデザインの分野でも独特だ。90年代にドローグが登場し世界をアッと言わせ、マルセル・ワンダース、ヘラ・ヨンゲリウスを輩出したし、その後のマーティン・バースなど、ウィットと批評性に満ちた立ち位置がとても刺激的だ。僕には、その根っこにトーマス・リートフェルトの存在が感じられる。木片を積み木のようにくっつけて作った椅子や家具には、手練れの職人技の痕跡はない。有名な「ジグザグ・チェア」なんて、どうみても座り心地が良さそうには見えない。しかし、いったい「究極の座り心地を約束する椅子」とは何だろう、と思ってしまう。座った瞬間はどんなにラクチンでも、そのままの姿勢を保ちつつづけることは考えにくい。ヒトは動く存在なのだから。「椅子とはすべからく仕事椅子である」と言ったのは、それこそリートフェルト本人だったような記憶がある。そして追い打ちを掛けるように「もし休息がお望みならベッドがある」とも言っていたような...。そういえば、オランダでは安楽死も認められているのだ。
ポップスで思い出すのはフェイ・ロブスキーという女性シンガーソング&ライター。フォーキー&ジャジーなスウィンギン・スタイルがキュートで、90年代モンド・ミュージックなひと。80年代にはグルッポ・スポルティーヴォというアーティーでパンキッシュなバンドもいたっけ。オランダって、カウンターを繰り出すのが上手い。結論として、久々のアムステルダムはすこぶる楽しかった。出来ることなら、来週にでもまた行きたいほどだ。
オランダはデザインの分野でも独特だ。90年代にドローグが登場し世界をアッと言わせ、マルセル・ワンダース、ヘラ・ヨンゲリウスを輩出したし、その後のマーティン・バースなど、ウィットと批評性に満ちた立ち位置がとても刺激的だ。僕には、その根っこにトーマス・リートフェルトの存在が感じられる。木片を積み木のようにくっつけて作った椅子や家具には、手練れの職人技の痕跡はない。有名な「ジグザグ・チェア」なんて、どうみても座り心地が良さそうには見えない。しかし、いったい「究極の座り心地を約束する椅子」とは何だろう、と思ってしまう。座った瞬間はどんなにラクチンでも、そのままの姿勢を保ちつつづけることは考えにくい。ヒトは動く存在なのだから。「椅子とはすべからく仕事椅子である」と言ったのは、それこそリートフェルト本人だったような記憶がある。そして追い打ちを掛けるように「もし休息がお望みならベッドがある」とも言っていたような...。そういえば、オランダでは安楽死も認められているのだ。
ポップスで思い出すのはフェイ・ロブスキーという女性シンガーソング&ライター。フォーキー&ジャジーなスウィンギン・スタイルがキュートで、90年代モンド・ミュージックなひと。80年代にはグルッポ・スポルティーヴォというアーティーでパンキッシュなバンドもいたっけ。オランダって、カウンターを繰り出すのが上手い。結論として、久々のアムステルダムはすこぶる楽しかった。出来ることなら、来週にでもまた行きたいほどだ。
Thursday, April 14, 2011
タンゴの調べ。
LLOYD HOTEL
買付の旅は一回ほぼ3個所くらいを巡ることが多い。つまり最低でも3個所のホテルを予約しなければならない。数年前まではガイドブックに頼り、電話かファックスで空き部屋を確認して申し込むスタイルだったけど、最近はネットでチェックして簡単に予約できるようになった。といっても、ロケーションや設備、そして値段など、あれこれ悩むものである。今回、アムステルダムの3泊に"LLOYD HOTEL"を選んでみた。自慢じゃないが、初の「デザイン・ホテル」である。もっとも、一部屋平均一万円以内という不文律をギリギリ守ったツイン一泊80ユーロなり。トイレ、シャワー共同の一番安いランク。案の定、部屋は狭かったがオリーブ色で高窓があり、まるで下級将校の部屋のようだ。それもそのはず、1920 年建造当時は東欧からカナダや南米へ向かう移民の待機所として使用されたという。どうりで建物は質実剛健、まるで学校か病院のよう。1960年代からは校正施設になり、その後はアーティストの住居兼アトリエとして利用されてきたらしい。世界ではじめて市民社会を実現したと言われるオランダはなによりも個人の自由を大切にする。この施設は、様々な理由で国を捨てなければならなかった他国の人々に対する配慮だったように思えた。その後の更正施設というのも、マリファナなどではなくもっとヘヴィーなヘロインなどの麻薬中毒の人達の為だったのでは?そんな色んな想像をしながらホテル内を歩くと、デザインに関する様々な情報が用意されていたり、アーティストのインスタレーションもあり、と退屈しない。スタッフはデザインにも明るく、リートフェルトやフリーマーケットのことにも即対応してくれた。つまり、ここは新奇さを狙った「デザインホテル」とは違っていたわけで、ひと安心。ただ、朝ご飯(とても美味しかったのだ)が、チェックアウト時に一回一人17ユーロと聞き、顔色が変わった。
Monday, April 11, 2011
ボーンホルム島
ヨーロッパ大陸とスカンジナビア半島にぐるりと囲まれたバルト海は、いわば北欧の地中海ってところか。でも、スウェーデン南端の港からフェリーに乗って2時間くらいで着いてみると、冬ざれた島は人気もなく霧に包まれていた。シーズンになれば、きっとたくさんの観光客でにぎわうはずのレストランやアンティック・ショップもクローズしてるのが多い。お目当の窯元も、照明は点いてはいたもののドアが閉まっている。どうやら、開店まで1時間以上あるようだ。あきらめかけた頃、中からドアが開き、事情を説明して入れてもらうことが出来た。以前フリーマーケットで見つけた陶器のいかにもダニッシュな質感と表情が気に入り、後になってそれがボーンホルム島に古くからある窯であることを知った。そうなると、ぜひ訪れてみたくなるのが人情ってもの。店内に入ると一瞬「ここは隆太窯なのか」、と錯覚しそうなほどキリッとした空気。モノクロームな中にやわらかいグリーンや藍色の差し色の器たちが静かに並んでいた。展示室を見せてもらうと、ギリシャ、ローマなど地中海(やはり)の影響が顕著な初期の作品から、中国や朝鮮、日本への接近を経ることで今のスタイルへ帰納した様子がかいま見える。やはり、陶器を巡る冒険は世界を巡るのだろう。そうそう、でたらめに読んでいた"HJORTH"という屋号、スタッフに何度も発音してもらい、どうやら「ヨート」と聞こえた。
Sunday, April 10, 2011
物好きのほど。
再発ブーム
久しぶりのコペンハーゲンは、あいにく冷たい雨だった。でも大丈夫、いつもお世話になっているお宅に到着すると、家具デザイナーであるTさんと奥様が笑顔で出迎えてくれる。長旅の疲れがスーと消える瞬間だ。荷ほどきをする間もなくウエルカム・ワインで乾杯。近況を語り合うのももどかしく「最近の再発ブーム」についてTさんが話の口火を切る。まだボンヤリしている頭にハッパを掛けながら聞いてみると、思い当たることも多い。様々な名作といわれる椅子や照明、デザイン・アイコンな作品の再発がこの数年堰を切ったように続いている。もちろん、きちんとしたものもあるが、残念なことに形だけを、それも乱暴になぞっただけのようなものも少なくない。一般的に著作権は50年とされているが、量産可能な家具などが著作物と認められるケースは非常に少なく、たとえ意匠権を取得していてもなかなか機能しないのが現状らしい。でも、Tさんが言いたいことはどうやらそんなことではないようだ。それは、北欧家具を生み出したデンマークが、旧作の復刻に熱心なあまり、本家としての求心力を失うのではないかという危機感のように聞こえる。たしかに、新製品の開発には多大なコストとリスクがともなう。ついつい過去のヒット作を、今的なカラーやサイズに見直してリメイクするほうが手っ取り早いにちがいない。でもそれは、デザイナーと職人が協力してつちかってきたデンマーク・クラフトの力を削ぐことになりはしないか、という危惧なのだろう。目指すべきことは、安易な反復ではなく、本来持っていた価値への気づきであり、回復への思いを込めた工夫ということなのか。40年前、ひとりでこの地へやって来て以来、デザイナーであり、なにより職人という矜持を持ちながら仕事をする人らしい話だ。そういえば、Tさんがデザインした木馬には、あのカイ・ボイセンの名作へのオマージュを越えた、彼の真骨頂が感じられるのである。
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