実際に土足で暮らしている人に初めて出会ったのは28年ほど前だろうか。アメリカに単身渡り、ヒッピーや、ブラック・パワー後のカルチャーに触れ、日本へ戻った彼はたまたま福岡でとてもヒップな服屋を始めたばかりだった。フランソワ&マリテ・ジルボーのジーンズや、フィオルッチなどの新しいブランドも扱っていたけど、ブルックス・ブラザースやコールハンというベーシックなアイテムも押さえた、当時としては革新的に刺激的なショップだった。お互いにセルロイド・フレームのメガネをかけていたことから仲良くなり、音楽やファッションの話をするようになった。ある日、彼のさほど広くないアパートを訪ねると、なんと畳にカーペットを敷き靴のままの生活をしていた。驚くと同時に格好いいな、と思った。「なんでみんな土足せーへんのやろ、オカシーとおもへんか?」、と大阪弁で気炎を上げる彼の強引なライフ・スタイルが正直うらやましかったりした。
サーファーでもあった彼はその後郊外の海辺に南仏風の家を造り、ドーベルマンを飼い、流木で椅子を作ったりしながら少しずつファッションの世界から離れていった。僕や友人達がコンピューターを手に入れても、彼は頑なに拒否していた。そのうち、さしたる理由はないまま、お互いに会う機会は少なくなってしまった。
今でも覚えているのだけれど、お洒落について彼はこんなことを言っていたっけ、「街を歩いている見知らぬ人にアピールしても仕方がない。お洒落とは、結局知ってる者どうしの暗号みたいなものだ」、と。確かに、ある友人がひょんなことで、いつもとは違った格好をしていて、それがとてもよく似合っていたとする。なにか、心境の変化があったのかもしれないし、新しい恋人が出来たのかもしれない、と想像してみる。でも、そんなことを思えるのは、その友人のことをよく知っているからにちがいない。
多分、僕が土足に抵抗が無くなったのも同じようなことだと思う。突然、ある人から勧められていたとしても、果たして関心を示しただろうか。「ゲイの恋愛も、ストレートな恋愛も同じ。男と女と同じように、相手に優しく接するということには変わりはない」なんていうことを言ってしまう彼だったからこそ、僕はその気になってしまったのだ。「土足を選ぶ」ことが情報ではなく、リアルな選択肢になったのは、彼を介して初めて成り立ったのだと思う。
4月25日から29日までの間、オルガン下の自宅部分を開放します。情報としてではなく、26年経過した土足生活の有り様をご覧いただけるはずです。