振り返ると、タンデム・チェアの端っこに座っている二人(男はちょっとくたびれ感がある中年の白人、女性は若めの日本人)のうちの女性が僕に声を掛けたようである。
「やっぱりTさんだ」。
うれしそうな声と、特徴的なキョロッとした目を見て、突然20年前の記憶がよみがえってきた。当時、僕は輸入レコード屋に勤めていて、確か彼女はまだ中学生だったはず。笑うたびに、矯正ブラケットが光る口で「ロバート・ワイアットは、自動車事故で足を無くして唄に専念するようになったんですか?」などという質問を投げかける、若くマニアックなお客さんだったのだ。
「久しぶり。で、L.A.で何してるんです」、とりあえずの質問に、
「2年前からL.A.に住んでて、今日か明日、結婚するんです。で、家族が日本からやってくるのをここで待ってるんです」という言葉が返ってきた。
時の経つのは何とやら。進学で東京に行ったのが最後だったはずで、その後の消息は一切知らなかった。それにしても、「今日か明日」ってのはさすがL.A.,アバウトなのだ。
「へー、そうなんだ。ひょっとして隣の方が・・・」、と地味目なおじさんに目線を移すと、「ええ、スパークスのロン・メールです」と、もう矯正ブラケットは無い口から、実に驚天動地な答えが返ってきた。
ともあれ、その時、僕の目の前にはスパークスの中心人物がいたが、もはやチョビ髭ではなかった。彼は白くなったコールマン髭と、多分染めたのだろう真っ黒な髪で立ち上がり、近寄ってきて握手をしてくれた。もちろん僕は感激して、お定まりの言葉を口にした。
「僕は、ずっとあなたの熱烈なファンでした」と。
言った途端に、後悔した。なぜ、現在形じゃないんだ。あわてて、質問を浴びせかけてしまった。
「最近はアルバム出してないのですか?」。
彼は、真顔になって答えた。
「今年、出しました。聞いてくれましたか?」。
「・・・、実はまだ・・・」、
「後で送りますから、良かったら聞いてください」。
しかし、日本に帰ってひと月、今だにそのCDは届いていない。
といって、自分で買いに行く気配もない。
ただ、なんとなくハッピーな気分が残っているのは確かなんだけど。
*1 イームズがシカゴのオヘア空港の為にデザインし1962年にハーマン・ミラーより発売された。その後世界中の空港で使用されている。座り心地の良さは格別で、旅の気分も盛り上がる。福岡の老舗デパート「岩田屋」にも残っている。
*2 ビッグ・スターを輩出し商業化してしまったロック界を、一度壊してあらたな地平を築こうと模索した動き。美術用語を今野氏が独自に転用したものだと思う。後のパンクやニューウェーヴなどが生まれるまでの橋渡しをした功績は無視できない。セイラー、スプリット・エンズ、10cc、ルイス・フューレー、デフ・スクール、コックニー・レヴェル、アレックス・ハーヴェイ・バンドなどがいた。