ホテル・ホノカア・クラブのいい具合にくたびれたダイニングルームで、僕はジョリーに日本人移民の話をアレコレ聞いていた。それは、今回の旅の目的のひとつだったし、彼はそのことを尋ねる相手としてピッタリだと思ったからだ。
唐突に「Katsuを知っているか?」と問われて、知らないと答えた。「随分昔、Katsuはこの先にある電柱に吊るされた。彼は砂糖きび畑で働く労働者の良い相談相手だった。アメリカ人とも対等に話ができる日本人だったんだ」。ショッキングな話だった。Katsuの記念碑が町のハズレに立っているから、もし興味があるなら、明日行ってみてはどうか、と勧められた。
翌朝、ホテルの隣家の庭で育ったというマンゴーやバナナ、そしてパン&コーヒーという簡素だけど、そのどれもが滋味に満ちた朝ごはんを食べ終わった時にジョリーから声をかけられた。
「昨日話したKatsuの記念碑、もし良かったら僕のカートで連れてゆくよ、その前に郵便局に寄ってよければね」とのお誘い。ひょっとして、カートって、いつもホテル玄関で目印代わりになっているピンク色の、おそらくゴルフ場のお下がりらしきモノのことか? アレって公道を走っていいのか? 僕には断る利用は何もなかった。
かくして、ホノカアのノスタルジックなメインストリートを、大人3人を載せたビークルが、爽やかな島風にあおられて疾走することわずか3分でまずはUSPSのサインがある建物へ到着。そして、今度は町の反対の方向へ走って、ホテルも通り過ぎ、間違いなく5分で記念碑の前に着いた。その間、ジョリーは知り合いの何人かと、あろうことか、すれちがったパトカーにも挨拶を忘れなかった。なにがリベラル左派なものか、彼は正真正銘ラブリーなアナキストに違いなかった。