あたふたとチェンマイ行きを決めたのは、友人のO夫妻のおかげである。15年ほど前、アジアの音楽が好きだった頃にバンコクやコサムイとともに短期間だが滞在したことがあった。そういえば、しっとりとした風情をたたえたお堀の風景とかがぼんやりとある。なにより、おいしい食べ物や、古い織物、陶器など友人夫妻の話を聞くに付け、なんだかチェンマイが呼んでいるような気がしだした。気がし出すと、待てないたちである。「11月頃の良いシーズンにご一緒しましょう」、というおさそいが待ちきれず、急遽抜け駆けをしてしまった。
出発直前、Oさんからびっくりするほど詳細なチェンマイ情報がメールで送られてきた。そこには普通のガイド本には載っていない地元の人しか行かないような食堂が、各種の料理ごとに、ホテルからの行き方や、タイ語でのオーダーの仕方などを含めことこまかに記してある。おまけに、宅急便で目標の店の所在地がマークされたチェンマイの地図と、タイ語がわからない僕らのために食堂の看板を写した写真のコピーまでも送られてきた。なんというこまかい配慮だろう。これで鬼に金棒である。
そんな「オニ情報」の中に、Oさんの奥さんが「入ったら1時間は出てこない」という、オーガニックなコスメや食材を扱う店があった。行ってみると、こざっぱりした店構えで、商品も香り系や天然系がズラリ、適度なボリュームで流れている店内演奏のBGMもしごく心地良い。もちろん、うちの奥さんももう夢中。これはやっぱり1時間だな、と覚悟を決めて上階にあるブック・センターで時間をつぶす。北タイの古陶器や古布の本を立ち読み。古くからいろんな民族が混在する地方にふさわしく、いずれもすばらしいものばかり。
頃合いを見計らって店に戻ってみると、さっき流れていたのと同じBGMがまだ流れている。簡素なギターやシンセと、タブラ、スリン(横笛)をバックに、男女のユニゾン・コーラスがゆったりと聞こえる。普段ならこういう「癒し」系の音は苦手なはずなのに、とても気になる。気になると、待てない。見ると、テーブルの上に10種類のくらいのCDが販売用に置いてある。今流れているのも、多分この中の一枚かもしれない。いや、そうにちがいない、と、カウンターの女の子に尋ねた。案の定、後ろの棚からサンプルを取り出してくれる。仏様が描かれたピンク色のジャケにタイ文字と「般若波羅密多心経」の漢字が見える。そうか、これはお経なんだ。これも何かの縁、買うことにしよう、とその旨を女の子に伝える。テーブルに並んだCD(よく見ると、ほとんど全部が極彩色ジャケの念仏系シリーズではないか)をガサゴソ探し出すがどうも見つからない様子。仕方なく、似たやつが他にないかと尋ね、一枚聴かせてもらう。ネパールの念仏のようだが、どうもぴんとこない。あきらめが悪い僕は、ダメもとで、もう一人の女の子にも尋ねると、同じくガサゴソやるうちに、なんと下の方から一枚出てきたではないか。悪びれる風もない女の子と、素直に喜ぶ僕。さすが、早くも仏様の功徳なのだろうか。
僕には「ばらけて、ばらけて、バラ3本」と聞こえて仕方がないフレーズが、エンドレスで永遠に続くこのCD。帰国して以来、僕の店で繰り返し、繰り返しかけている。スリーブにはアルファベットで歌詞というか、お経が書いてある。 よく見ると、「Para-gate Para-gate Para-samana」である。そういえば、お葬式で坊さんが「ハラ ギャーテ、ハラ ギャーテ」といっていたのがこれなんだろうか。僕の葬式には、出来ればこのCDをかけて欲しいものだ。