しばらく前にANAの機内誌『翼の王国』でジェフリー・バワという建築家のことを知り、がぜん興味がわいた。熱帯のリゾートホテルを多く手がけたらしく、今では日本でも見られるようになった、水面がその向こうの海や川と連続したような錯覚を起こさせる「インフィニティ・プール」を最初に考えついた人らしい。しかし、カナヅチのボクはそれよりも、彼の「アジアでも西洋でもあり、同時にどちらでもない」ようなスタイルが気に入ってしまった。それは、ヨーロッパやアメリカ人ではなく、スリランカの人だったことに関係があるのかもしれない。これは、行ってみるしかない、と思った。
セイロンと呼ばれてきたこの島は、インド亜大陸から東南に、まるで千切られたように浮かんでいる。北海道よりちょっと小さめの面積に、紀元前に北インドから渡来したシンハラ人、南インドからやってきたタミル人、先住民ヴェッダ人、イスラム系ムーア人、マレー系など多様な人種が住んできた。その上に、16世紀にやってきたポルトガル人やその後のオランダ人、イギリス人など白人との混血であるバーガーと呼ばれる人達、アンド・モアがいる。「単一民族説」がまかり通る日本人には、まことに頭がクラクラしそうなたくさんのエスニック・コミュニティが共存する島なのだ。
「バワはムスリムでした」とワジラさん。バブル期に名古屋にあるTOYOTA系の会社で13年働いた経験を持つ、日本語がペラペラのガイドさんだ。今回の旅が楽しかったのは、彼のおかげといってもいい。「バワはゲイだって聞いたけど?」とけしかけると、「とんでもない!ふたり奥さんがいてウンヌンカンヌン…」と、ここではとても書けないようなトピックも。帰国後、調べてみると、バワの祖父、父ともに白人の妻を娶っている。しかも母はプランテーション経営者の娘だったらしく、バワは裕福なバーガーだったことになる。建築家としてのキャリアは1957年、38歳でスタート。オックスフォードへ留学後、いったん法律家となるが、その後ヨーロッパを放浪、北イタリアのヴィラと庭園をスリランカに再現する夢を実現するために建築の勉強をしたという。ムスリムであることは、おそらく父方の系譜として選択の余地がなく、本人はどれほどイスラム教に熱心だっただろうか?それより、彼の人物像には様々にレイヤーしたカルチャーが深く関係しているようだ。それは自邸&オフィスである「ナンバー11」にあるオブジェにあらわれている。バワは、サーリネンやイームズを愛したイスラムの人として在った。
Friday, April 26, 2013
Sunday, March 31, 2013
踏十里(タッシムニ)の骨董ビル
ソウルの中心から地下鉄で20分ほどのところに建築資材の問屋街があって、その端っこのほうに骨董店が集まった古いビルが3つある。アメリカならさしずめアンティック・モールというところか。ひとつの店が5~10坪くらいと小さいから、3棟全部だとちょっとした数だ。なにしろゴチャゴチャした店が面白く、4日間の滞在で、結局毎日訪れてしまった。もっとも、気に入った店を再訪するのにその都度迷うのには閉口したけど。以前は、確か2階にも店があったはずだが、今回行ってみると1階だけになっている。「最近は景気が悪くって…」と愚痴るオモニもいるが、店を仕切る彼女たちはなかなかの商売人で、そう言いつつも、いざ値段交渉となるとタフだ(もちろんオジサンがやってる店もあるのだが、なぜか気に入った店はほぼオモニ系だった)。
そんなオモニたちのおしゃれには、一定の法則がある。まずヘアースタイルはしっかりパーマネント。仕事が忙しく、手早くカツっとまとまる髪が必要条件なのだ。なかにはほぼパンチパーマの方もいらっしゃる。服装は花柄系を好み、色はビビッド。しかも「柄on柄」がお気に入りなところなど、まるで一昔前の日本の田舎のおばちゃんだ。若い女子はというと、日本では最近見なくなったレギンスに、足元はニューバランス、フード付きのパーカーにキャップ。男子のお洒落さんは細ーいパンツにこれまたニューバランス、グレー細身のジャケットにアラレちゃん系セルフレーム・メガネ、髪の毛はマッシュルーム・カットと、昔で言う”シスターボーイ”風。以上、街角スナップでした。
話を戻すと、僕が探すのは例えば李氏朝鮮時代の焼き物で、それも「官窯」と呼ばれるような上等なものではなく、庶民的で生活に根ざしたもの。したがって白磁といっても、真っ白ではないし、形も結構いびつだ。四角いお盆や、ソバンと呼ばれる「ひとりお膳」なども、合わせがけっこうラフだったり、材が歪んだりしていて、いわば”下手物”と呼ばれても仕方がないようなもの。よく言えば「簡素」なので、手の込んだ「匠の技」には程遠い。でも、一個一個に独自の経歴が潜んでいるようで、傷ひとつとってもプロダクトにはないドラマがある。そうそう、朝鮮では昔、職人が町々に滞在しながら家具などを作っていたと聞いたことがある。”旅する家具職人”だから、時間をかけずにサクッと作った感があるのかもしれない。多いのは祭事用の道具類。たとえば真鍮製の小さなボウルを見ると、我が家の仏壇を思い出したりする。「チーン」と音がする例のヤツである。
とまあ、朝鮮と日本は昔から因縁が深いから類似点だらけと思っていたが、あんがい相違点も多い。それは時間差の問題だけじゃない。彼らはタフ&ラフである。
そんなオモニたちのおしゃれには、一定の法則がある。まずヘアースタイルはしっかりパーマネント。仕事が忙しく、手早くカツっとまとまる髪が必要条件なのだ。なかにはほぼパンチパーマの方もいらっしゃる。服装は花柄系を好み、色はビビッド。しかも「柄on柄」がお気に入りなところなど、まるで一昔前の日本の田舎のおばちゃんだ。若い女子はというと、日本では最近見なくなったレギンスに、足元はニューバランス、フード付きのパーカーにキャップ。男子のお洒落さんは細ーいパンツにこれまたニューバランス、グレー細身のジャケットにアラレちゃん系セルフレーム・メガネ、髪の毛はマッシュルーム・カットと、昔で言う”シスターボーイ”風。以上、街角スナップでした。
話を戻すと、僕が探すのは例えば李氏朝鮮時代の焼き物で、それも「官窯」と呼ばれるような上等なものではなく、庶民的で生活に根ざしたもの。したがって白磁といっても、真っ白ではないし、形も結構いびつだ。四角いお盆や、ソバンと呼ばれる「ひとりお膳」なども、合わせがけっこうラフだったり、材が歪んだりしていて、いわば”下手物”と呼ばれても仕方がないようなもの。よく言えば「簡素」なので、手の込んだ「匠の技」には程遠い。でも、一個一個に独自の経歴が潜んでいるようで、傷ひとつとってもプロダクトにはないドラマがある。そうそう、朝鮮では昔、職人が町々に滞在しながら家具などを作っていたと聞いたことがある。”旅する家具職人”だから、時間をかけずにサクッと作った感があるのかもしれない。多いのは祭事用の道具類。たとえば真鍮製の小さなボウルを見ると、我が家の仏壇を思い出したりする。「チーン」と音がする例のヤツである。
とまあ、朝鮮と日本は昔から因縁が深いから類似点だらけと思っていたが、あんがい相違点も多い。それは時間差の問題だけじゃない。彼らはタフ&ラフである。
Sunday, March 24, 2013
”良心的兵役忌避者”
あれは、大韓航空で初めてパリへ行く途中、 トランジットのために降りた金浦空港だから、 もう20年以上前のことになる。 滑走路にはジェット戦闘機が待機中だし、 パスポートをチェックする軍服の係官は 福岡空港の免税店で買った僕のマルボーロ、 ワンカートンを、ニッコリ笑って机の下に滑りこませた。 まるで戦時下の国にやって来たみたいで、すっかりメゲテしまった。 2度目は7年ほど前、李氏朝鮮の陶磁器や民具見たさに、 矢も楯もたまらずピカピカの仁川空港へ降りたった。そして今回、 高層ビル街のモーレツ・サラリーマン+ オシャレな若者たち+ パワフルなオモニが割拠する今のソウルを、それなりに楽しんだ。しかし、 迷彩服を着込んだ若者とすれ違うたびに、あー徴兵制があるんだ、 と思い知らされる。
兵役免除の年齢になるまで、 なんとか徴兵制が復活しないことを密かに祈ったのは中学生だっ たころ。ジョン・レノンはまだ反戦的ではなかったから、 増村保造の『兵隊やくざ』という映画のせいか、 ツルゲーネフの小説か。とにかく、日本はまだ「安保」という問題を引きずっていた。アメリカの対共産圏軍事同盟に与することは、いずれ自分たちも戦争に巻き込まれる可能性があるということだ。そうなったら、軍隊の組織というものが、 まちがいなく僕のようなものを無化してしまうことを予感し、恐怖した。そして、 徴兵を免れる年齢を60歳と仮定した。 太平洋戦争で日本の戦局が悪くなるにつれ、 年寄りでも徴集されたことをどこかで聞いたからだ。
その後、大学時代に『アリスのレストラン』というアメリカ映画を観て、”良心的兵役忌避者”という言葉に出会った。宗教や民族、政治や哲学などの背景に基づいて、「良心的」に戦争を拒否する権利は、欧米においては、どうやら基本的人権として認知されるようになっている。一方、いつの間にか僕は60歳を過ぎていて、平和憲法なるものも成立して60年を過ぎていることにハタと気がついた。どうやら、この憲法のおかげで、僕は、あくまで「潜在的」兵役忌避者のまま、なんとか今まで呑気に生きてくることが出来たのかもしれない。なんだか得をしたような、妙な気持ちなのだ。
兵役免除の年齢になるまで、
その後、大学時代に『アリスのレストラン』というアメリカ映画を観て、”良心的兵役忌避者”という言葉に出会った。宗教や民族、政治や哲学などの背景に基づいて、「良心的」に戦争を拒否する権利は、欧米においては、どうやら基本的人権として認知されるようになっている。一方、いつの間にか僕は60歳を過ぎていて、平和憲法なるものも成立して60年を過ぎていることにハタと気がついた。どうやら、この憲法のおかげで、僕は、あくまで「潜在的」兵役忌避者のまま、なんとか今まで呑気に生きてくることが出来たのかもしれない。なんだか得をしたような、妙な気持ちなのだ。
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