Friday, August 2, 2013

モダニストとは多かれ少なかれ社会主義者だったのです。


 フィンランドは、日本とほぼ同じくらいの国土なのに、530万の人間しか住んでいません。これは、大阪府全体より少ない人口です。ちなみに首都ヘルシンキは60万人だから福岡市の半分しかありません。したがって、マリメッコやアルテックの本店がある目抜き通りを歩いても、どうかすると天神より人が少ない。これで大丈夫なんだろうか、と余計な心配をしたくなるところですが、一人当たり国民所得はドイツ並なのです。その上に教育システムが整っていて、英語をはじめスウェーデン語など複数の外国語を話せる人も珍しくありません。長く実質支配していたスウェーデン、その後のロシア、ソビエト連邦から独立したのは1917年と、国民国家としては、実は新しい。その間、スウェーデンからは重工業を含めた資本制自由主義を取り入れ、ソビエトの国家共産主義、社会主義路線との間で微妙な舵取りをしながら、東西冷戦の時代を独自のスタンスで切り抜けてきたようです。そして、その姿勢はデザインの世界にも表れていると思います。それは、まるでバウハウスのように「資本主義経済がもたらした技術を受け入れると同時に、資本主義経済に対抗するという両義的な運動だった(K氏)」のかもしれません。アルヴァー・アールトの三本脚のスツールと、タピオ・ヴィルカラの精緻なガラス・オブジェが、どちらもこの国から生まれたことは、決して偶然ではないはずです。モダニストとは多かれ少なかれ社会主義者だったのだと思います。