装飾美術館では "MOBI BOOM" と題して、1945-1975年フランスの、いわゆるミッド・センチュリー・モダン展をやっていた。なにしろ、その時代のフレンチ・デザインは一般的にほとんど認知されていないのだから、これは嬉しかった。思えば80年代だったか、ジャック・タチの『ぼくの伯父さん』を観て、フランスの家具ってなんてヘンテコでカッコイイんだろー、と思ったのが最初。その後、パリへ行く度に、『2001年宇宙の旅』のオリヴィエ・ムルグによる近未来な椅子や、ピエール・ポーランの洒落たデスクなど、レアールの近く、ティケトンヌ通りにあった「シェ・ママン」という店で、随分夢中になって探したものだ。で、こうやって一同に集められた家具を見ると、やはり独特だ。ガーリッシュのプラスティック椅子にしても、イームズの完成されたプロダクト感とは違って、フォルムがずっと自由なのだ。アノニマスな美しさではなく、作家のデッサンをそのまま形にしてしまったような楽しさやユーモアが感じられる。だからなのか、フランスの家具は世界商品としては流通しなかった。というか、もともとそんな気もなかったのかもしれない、などと思ってしまうほど。それを物語るのが展覧会図録の表紙。アラン・リシャール、ロジェ・タロンをはじめ、コンテンツは素晴らしいのだが、これではやはり誤解されてしまいそうだな。
Friday, November 19, 2010
"MOBI BOOM"
装飾美術館では "MOBI BOOM" と題して、1945-1975年フランスの、いわゆるミッド・センチュリー・モダン展をやっていた。なにしろ、その時代のフレンチ・デザインは一般的にほとんど認知されていないのだから、これは嬉しかった。思えば80年代だったか、ジャック・タチの『ぼくの伯父さん』を観て、フランスの家具ってなんてヘンテコでカッコイイんだろー、と思ったのが最初。その後、パリへ行く度に、『2001年宇宙の旅』のオリヴィエ・ムルグによる近未来な椅子や、ピエール・ポーランの洒落たデスクなど、レアールの近く、ティケトンヌ通りにあった「シェ・ママン」という店で、随分夢中になって探したものだ。で、こうやって一同に集められた家具を見ると、やはり独特だ。ガーリッシュのプラスティック椅子にしても、イームズの完成されたプロダクト感とは違って、フォルムがずっと自由なのだ。アノニマスな美しさではなく、作家のデッサンをそのまま形にしてしまったような楽しさやユーモアが感じられる。だからなのか、フランスの家具は世界商品としては流通しなかった。というか、もともとそんな気もなかったのかもしれない、などと思ってしまうほど。それを物語るのが展覧会図録の表紙。アラン・リシャール、ロジェ・タロンをはじめ、コンテンツは素晴らしいのだが、これではやはり誤解されてしまいそうだな。
Thursday, November 18, 2010
アヌシーの教訓
「フランスのヴェニス」などと呼ばれる旧市街を水路沿いに歩くと、目の前に、雄大なアルプスを背景にした湖の息をのむような景色が現れる。泳ぐ水鳥の脚先に、ゴミひとつない水底までがくっきりと透けて見えるほどの透明な水。「夏なら、すぐにでも飛び込むのに」とは、目を覚ました人らしい言葉。
小型の遊覧船に乗って、1時間の湖水巡りをする気になったのには小さな目的があった。ずいぶん前に観たエリック・ロメールの映画『クレールの膝』の舞台となった湖面を、一度でいいからボートで走ってみたかったのだ。対岸に目をこらし、映画に出てきた石灰岩の山を眺めながら夢中になってi phoneで動画を撮った。名手ネストール・アルメンドロスが撮影した湖面には、いまも変わらぬ光がキラキラと輝いている。映画の中で、突然の雨を避けるためにボートを船着き場に止め、主人公がクレールの膝に不器用に手を置くシーンを思い出すと、今でもハラハラしてしまう。長年、付かず離れずだった恋人との結婚をいったんは決意しながら、10代のクレールに、それも”薄い皮膜にかろうじて包まれ、肉体の温もりが消えかけた「膝」”に恋した中年男。そんな、まことに「やるせない」映画が、いったい自分にとって”教訓話”として成り立っていたのか、はなはだ疑問だ。欲望から解き放たれることは、とてもむずかしいことだろう。
Friday, November 12, 2010
リヨンでブション
到着した昼に、さっそくホテルの近くのブラッスリー“Le Sud”にランチを食べに行ってみた。ポール・ボキューズというヌーヴェル・キュイジーヌで有名な料理人が経営する店で、ブションではない。名前通り、南系の料理なので、クスクスとスズキのグリルを食べてみた。どちらも美味しかったが、味付けが甘めだった。しかし、スタートとしては申し分あるわけがない。その夜は疲れもあってメシ抜きでバタン。
次の日は早朝からアンティック・フェアに出向き、フラフラの体で市内へ戻り、ランチを食べに、ガイドブックにあった近場のブション街へ。とりあえず一番それらしい構えの店に入り、虎の巻を出して品書きに見入る。壁中やたらに牛の剥製やらが飾ってあり、ここは元来肉屋だった様子。だから、多分肉を食べたのだろうが、記憶がない。つまり、そんな風。でも、バターと塩分が強かったことだけは覚えている。その後、やっぱりバタンで夜抜き(ま、ワインは飲んでたけど)。
翌日は、蚤の市へ出向いたのでそこにあるカフェで昼の定食、シュークルート。ソーセージも名物らしいのだが、やはり塩分がきつい。酢キャベツが体に沁みたね。バイク好きが溜まる店みたいで、昼からみんな良い調子。僕も負けずにワインをピシェにていただく。夜は、調べておいた“Chez Paul"を尋ねて市庁舎付近をウロウロ。ようやくたどり着いたものの、予約で満員だった。もう一軒近くにリアル・ブションがあったはずと、疲れた足を引きずりつつ行ってみると、そこも満員御礼。予約という手間を省いた僕らが甘かった。美味しいブションの人気は予想以上のようである。そういえば、観光通りのブションにはなかった公認マークがあるじゃないの。コレ探してたんだよなー。
続く日曜と祭日だった月曜は、どこも軒並みお休み。あきらめ切れず、最終日13時30分のTGVに乗る前、ランチに再トライ。12時開店と同時に席に着き、「タブリエ・ド・サプール(牛の内臓にパン粉を付け、衣を付けて焼き、クリームソースで食す。癖がなく旨し)」と、「クネル(魚のすり身をはんぺん状にしたものをバターソースで。これ又旨し。)」を急ぎ平らげる。もう時間切れなので、勘定をお願いすると「なんでデザートを食べないんだ!」と、丸々太ったオヤジに一喝されて、これまた手作りのプリンにリンゴソースとプラムジャムを、なんなく胃袋に治め、タクシーに飛び乗った。
Monday, November 8, 2010
リヨンの親切
予約しておいたホテルはローヌ川とソーヌ川に挟まれた中心街にあるベルクール広場の側で、すぐ裏通りは骨董屋街。昼前に到着後、さっそく探索。でもアンティック系が多く、フレンチモダンを扱う店は一軒だけ。ちょうどセルジュ・ムイユの展示会をしていて、本でしか見たことがない珍しいタイプのランプなどもあり、びっくり。聞くとヴィンテージではないらしく、正式なリプロダクトらしい。値段はIDEEのものよりかなり高め。もちろん、ヴィンテージほどではないけど...。美人のスタッフと少し話しをするうちに、お互い明日郊外で開かれるアンティック・フェアに行くことが分かり、ファイトが湧く。
翌日、朝まだきの寒さの中、メトロとトラムを乗り継ぎ、最後は徒歩で空港裏手のエキスポ会場へたどり着くと、おじさん達が商品を並べ終わった頃だった。ウーンやっぱり骨董系が多い。そりゃそうだ、ヨーロッパだもの。でも、モダン一辺倒ではなく、古いものにももちろん面白いものがある。額縁や塑像、子供用の古いソリにスキー道具、ランプなどなど、どれも時間を経ているけど、まだまだ現役の顔をしている。そこかしこが欠けていたり、不完全だったりするところも、なんだか人間的で悪くない。結局、出口近くでシャーロット・ペリアンのダイニング椅子4脚を発見。けっこう遠くからやって来たらしいブロカンテなのだが、シッピングもやってくれるそうで、めでたく交渉成立。ほかにも欲しいものはあったのだけれど、なにしろ大きなものは買いにくい、ということでそうそうに断念。帰りの足がないのでバス停を尋ねているうち、太った赤ら顔のおじさんが「近くのトラムの駅までなら送ってやるよ」との申し出に、ありがたく便乗。こんな親切には、パリではお目に掛かったことがなく、いたく感激。ただし、車中、フランス語不案内な僕らにはおかまいなしに、ひたすらしゃべり続けるのには少し閉口したのだが。
Friday, November 5, 2010
RONSONの使い捨てライター
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